白峯 二

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この里ちかき白峰といふ所にこそ、新院(しんゐん)の陵(みささぎ)ありと聞きて、拝(をが)みたてまつらばやと、十月(かみなづき)はじめつかた、かの山に登(のぼ)る。松柏(まつかしわ)は奥深く茂(しげ)りあひて、青雲(あをぐも)の軽(た)靡(なび)く日すら小雨(こさめ)そぼふるがごとし。
  
児(ちご)が獄(だけ)といふ嶮(けは)しき獄(みね)背(うしろ)に聳(そばだ)ちて、千仞(せんじん)の谷底(たにそこ)より雲(くも)霧(きり)おひのぼれば、咫尺(まのあたり)をも鬱悒(おぼつかなき)ここ地(ち)せらる。

木立(こだち)わづかに開(すき)たる所に、土高(つちたか)く積(つみ)たるが上に、石を三(みつ)がさねに畳(たた)みなしたるが、荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)にうづもれてうらがなしきを、これならん御墓(みはか)にやと心もかきくらまされて、さらに夢(ゆめ)現(うつつ)をもわきがたし。

現代語訳

この里に近い、白峰という所に、崇(す)徳(とく)院の御陵(おはか)があると聞いて、拝み申し上げようと思い立ち、十月の初旬ごろその山に登った。松や柏が薄暗いまでに奥深く茂りあっていて、白雲がたなびく晴天の日さえ小雨がそぼ降るような感じである。

児(ちご)が獄(だけ)という険しい峰が背後にそそり立ち、その深い谷底から雲(き)霧(り)が這(は)い上がると、目の前さえおぼつかない不安な気持ちになる。

木立がわずかに隙(す)いた所に土を盛り上げ、三重の石を築き重ねただけの塚が、野(の)茨(いばら)や蔓草(つるくさ)などに埋もれているのを見たときは、なんとなく悲しくなり、「これがお墓であろうか」とあまりのことに心も真っ暗にかきくらまされ、まったく夢・現(うつつ)とも判然としなかった。

語句

■新院-七十五代崇徳天皇。退位後、先帝後鳥羽上皇を一院または本院と呼ぶのに対していう。元永二年(1119)生まれ、保安四年(1123)即位、 永治元年(1141)退位、保元元年(1156)、後白河法皇に叛して保元の乱を起こすが敗れ、讃岐に配流、長寛二年(1164)、八月二十六日崩御、四十六歳。その悲劇的な死のため、長く御霊(ごりょう)(祟る神)とし恐れられた。■はじめつかた-上旬。「つ」は連体修飾語を飾る格助詞。■「軽(た)靡(なび)く」は秋成の造語。■児(ちご)が獄(だけ)-白峰北側の大絶壁■咫尺(まのあたり)-距離が極めて近いことを表す。■鬱悒-はっきりしない。ぼんやりしている。■荊蕀(うばら)薜蘿(かづら)-地を覆い尽く隠す繁茂した雑草。野薔薇と蔓草。■うらがなし-なんとなく悲しい。■これならん御墓(みはか)にや-これが御墓であろうか。■心もかきくらまされて-心も真っ暗になって。呆然とすること。■さらに-下に打消しの語を伴って、「少しも」「まったく」。■わきがたし-「わき」は区別する。判断するの意。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


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