白峯 三

スポンサーリンク

            
現(げ)にまのあたりに見奉りしは、紫宸(ししん)清涼(せいりゃう)の御座(みくら)に朝(おほ)政(まつりごと)きこしめさせ給ふを、百(もも)の官人(つかさびと)は、かく賢(さか)しき君ぞとて、詔(みこと)恐(かしこ)みてつかへまつりし。

近衛院(このゑのゐん)に禅(ゆづ)りましても、藐如(はこ)射(や)の山(やま) の瓊(たま)の林(はやし)に禁(し)めさせ給ふを、思ひきや、麋(び)鹿(ろく)のかよふ跡のみ見えて、詣(まうで)つかふる人もなき深山(みやま)の荊(おどろ)の下に神がくれ給はんとは。

万乗(ばんじょう)の君にてわたらせ給ふさへ、宿世(すくせ)の業(ごふ)といふもののおそろしくもそひたてまつりて、罪をのがれさせ給はざりしよと、世のはかなきに思ひつづけて涙わき出づるがごとし。

終夜(よもすがら)供養(くやう)したてまつらばやと、御墓の前のたひらなる石の上に座をしめて、経文(きゃうもん)徐(しづ)かに、誦(ず)しつつも、かつ歌よみてたてまつる。
 

松山の浪のけしきはかはらじをかたなく君はなりまさりけり

現代語訳

思えば、目(ま)のあたりにお姿を拝した時は、紫宸殿(ししんでん)・清涼(せいりょう)殿(でん)の玉座で政治(おおまつりごと)をお執(と)りになっていたのを、多くの殿(てん)上人(じょうびと)・公(く)卿(げ)たちは、かくも賢明な君主でいらっしゃると、仰せ言を畏(おそ)れかしこんでお仕えしたことであった。

近衛帝に譲位なされた後も、上皇御所の美々しい宮殿にお住みになっていたのを、そのお方が今は、誰一人としてお参りする人もなく、ただ山鹿の通う足跡のみがわずかに残る、こんな深山の草藪(おどろ)の下に崩御(おかくれ)になっているとは、天子というような身であられても過去の因縁と言うものが恐ろしくつきまとい、前世で作った罪からはお逃れになれなかったのだな、と人の世のはかなきことを考え続けて、涙がとめどなくあふれる。

せめて今宵は一晩中供養申し上げようと御墓の前の平らな石の上に座り、おもむろにお経を読みながら一首の歌を詠みあげた。

松山の…

(松山の波は今も変わらず、寄せては返しているのに、いつまでもお変わりないと思われた君は、今では形(潟)なくお亡くなりになったのですね)

語句

■現(げ)にまのあたりに見奉りしは-実際、親しくお姿を拝したのは。■紫宸(ししん)清涼(せいりゃう)の御座(みくら)-紫宸(ししん)は大内裏正殿、清涼は中殿で帝の御座所。■御座(みくら)-天皇の御座席。玉座。■朝(おほ)政(まつりごと)きこしめさせ給ふ政務を-執り行う。■賢(さか)しき君-崇徳帝が賢君であった史実はない。■詔(みこと)-天皇のお言葉■恐(かしこ)みて-恐れ多い。もったいない。■近衛院(このゑのゐん)-崇徳帝の異母弟。母は美福門院■、藐如(はこ)射(や)の山(やま)-上皇の御座所。『荘子』によると仙人の住んでいたと山で、退位して政治を離れ、世俗から離れた上皇や法皇を仙人にたとえて、その御所を「藐如(はこ)射(や)の山(やま)」という。■瓊(たま)の林(はやし)-美しい山、転じて宮殿・御殿。■禁(し)めさせ給ふ-住んでおられる。■思ひきや-思って見たであろうか。思ってもみなかった。■麋(び)鹿(ろく)-野鹿(大鹿と鹿)。■神がくれ-神となっておかくれになる意から、天皇の崩御をいう。■万乗(ばんじょう)の-天子のこと。天皇。中国の周の制度によると、天使は兵車万乗(一万輌)を所有できたことから出た言葉。■宿世(すくせ)の業(ごふ)-前世でした悪い因縁。■誦(ず)しつつも-唱えながら。「誦す」は声をたてて唱えること。■世のはかなきに思ひつづけて-崇徳院の不運な生涯から、ひいては現世の無常やはかなさまで、次々と思ひが繰り広げられたのである。■終夜-一晩中。■供養-死者の霊に供え物を供えて、経を唱えたりして冥福を祈ること。■誦(ず)しつつも-唱えながら。■かつ-一方では。■松山の云々-松山は香川県坂出市にある。かたなくはむなしく。形は潟の掛詞。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


スポンサーリンク

音声つきメールマガジン「左大臣の古典・歴史の名場面」のご案内

現在18000人以上が購読中。

メールアドレスを入力すると、日本の歴史・古典について、楽しくわかりやすい解説音声を無料で定期的に受け取ることができます。毎回10分程度の短い解説で、時間を取りません。楽しんで聴いているうちに、日本の歴史・古典について、広く、立体的な知識が身につきます。スマートフォン・Androidでもお聴きになれます。不要な場合はいつでも購読解除できます。

いつも使っているメールアドレスを入力して、 「無料メルマガを受け取る」ボタンをクリックしてください。次回からお使いのメールアドレスにメルマガが届きます。

≫詳しくはこちら


スポンサーリンク