白峯 四

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猶((なほ))、心怠(おこた)らず供養(きようやう)す。露いかばかり快(そで)にふかかりけん。日は没(い)りしほどに、山深き夜のさま常(ただ)ならね、石(いし)の床(ゆか)木(この)葉(は)の衾(ふすま)いと寒く、神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て、物とはなしに凄(すさま)まじきここちせらる。月は出(い)でしかど、茂(しげ)きが林(もと)は影をもらさねば、あやなき闇(やみ)にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく「円(ゑん)位(ゐ)、円(ゑん)位(ゐ)」と呼ぶ声す。

眼(め)をひらきてすかし見れば、其の形(さま)異(こと)なる人の、背(せ)高く痩(やせ)おとろへたるが、顔のかたち、着たる衣の色(いろ)紋(あや)も見えで、こなたにむかひて立(た)てるを、西行もとより道心(だうしん)の法師(ほふし)なれば、恐(おそ)ろしともなくて、「ここに来(き)たるは誰(た)ぞ」と答ふ。

かの人いふ。「前(まえ)によみつること葉(のは)のかへりこと聞えんとて見えつるなり」とて、

松山の浪にながれてこし船のやがてむなしくなりにけるかな

現代語訳

なお心をゆるめずに読経を続ける。涙と夜露で、その袖はどんなに濡れていたことか。日が沈むにしたがって、深山の夜景は無気味でただならぬさまをみせてきた。石の上に座り、落ちかかる木の葉を身にかけただけではひどく寒く、そのため精神はすみ、骨の髄まで冷えて、なんとはなしに荒涼とした物凄い心地がする。月は出たが、繁茂した木立は月光(ひかり)を漏らさないので、文目(あやめ)もわからない闇の中で心わびしく思いながら、やがて眠るともなくうとうとしようとすると、たしかに、「円位、円位」と呼ぶ声がするではないか。

(西行が)目を開いて(闇の中を)透かして見ると、背の高く、やせ衰えた異形の人が、顔形、着衣の色、柄もはっきりとは見えない姿で、こちらを向いて立っている。もちろん、西行は悟道(ごどう)の僧であったから、恐ろしいなどとは思わず、「ここに来ているのはどなたか」と応答した。

その人が言うには、「さっき(お前が)詠んだ歌への返しをしようと姿を現したのだ」といって、

松山の

(松山に寄せては返す波、その波に漂い流された船のように、ついに都へ帰ることなく、わが身はこの地に朽ち果ててしまったことよ)

語句

■露いかばかり快(そで)にふかかりけん-夜露と涙との二重表現。夜露の為にどれほど袖を蒸らしたことであろう。■常(ただ)ならね-無気味で何か起こりそうである。■衾-夜具。散りかかる木の葉を、まとうに足らぬ夜具に見立てた。■神(しん)清(すみ)骨(ほね)冷(ひえ)て-精神が澄み渡り、寒さで骨まで冷えて。■、物とはなしに-何ということなしに。■茂(しげ)きが林(もと)-葉が深く茂った木立。■あやなき闇(やみ)-物の見わけもつかぬ闇。■うらぶれて-悲しみに沈んで。■円(ゑん)位(ゐ)-西行が出家直後の法名。西行は俗名佐藤義清、北面の武士であったが、二十三歳で出家、諸国行脚の末、河内弘川寺で没した、行年七十三歳。■すかし見れば-闇の中を透かして見ると。■形(さま)異(こと)なる人-怨霊であることを暗示。■色(いろ)紋(あや)も見えで-色も模様もはっきり見えないで。■道心(だうしん)-深く仏道に帰依した、迷いのない心。■かへりこと聞えん-返歌を申し上げよう。「聞え」は「言う」の敬語表現。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


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