白峯 五

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「喜(うれ)しくもまうでつるよ」と聞(きこ)こゆるに、新院の霊(れい)なることをしりて、地にぬかづき涙を流していふ。

「さりとていかに迷(まよ)はせ給ふや。濁世(ぢょくせ)を厭離(えんり)し給ひつることのうらやましく侍りこそ、今夜(こよひ)の法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを、現形(げぎょう)し給ふはありがたくも悲(かな)しき御(み)こころにし侍り。

ひたぶるに隔生即忘(きゃくしゃうそくまう)して、仏果(ぶつくゎ)円満(ゑんまん)の位(くらゐ)に昇(のぼ)らせ給へ」と。情(こころ)をつくして諫(いさめ)奉(たてまつ)る。
       
新院呵々(からから)と笑はせ給ひ、「汝(なんぢ)しらず、近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れは朕(わが)なすこと事(わざ)なり。生(いき)てありし日より魔道(まだう)にこころざしをかたふけて、平治(へいぢ)の乱(みだ)れを発(おこ)さしめ、死(しし)て猶(なほ)、朝家(てうか)に祟(たたり)をなす。
       
見よみよ、やがて天(あめ)が下(した)に大乱(たいらん)を生(しゃう)ぜしめん」といふ。

現代語訳

「よくここまで参ってくれた」と言うのを聞いて、これぞ崇徳新院の霊魂であると気づき、おもわず地にぬかづき、涙を流して申しあげた。

「畏(おそ)れ多いことでございます。しかしながら、何ゆえ成仏なされずお迷いになっておられますのか。醜悪な現世を逃(のが)れ去られたことが羨(うらや)ましく思われてこそ、こうして、仏縁にあやかるべく今夜はご回向申し上げましたのに、奇怪なご出現は愚僧にとってはありがたいよりは、悲しい御心(みこころ)であります。

どうか一途(いちず)にひたすらに現世への妄執(もうしゅう)を断たれ、円満十分な成仏の高みへ御昇りなされませ」と、心情をこめて諫(いさ)め申し上げる。

新院は声をあげてからからと笑われ、「汝(なんじ)は何も知らぬ。近頃の世の乱れは自分のしわざなのである。朕(われ)こそは生きていた日から魔道に深く心を傾けて平治(へいじ)の乱を起さしめ、死後もなお、国家・朝廷に祟(たた)ろうとするものである。

見ているがいい。もうすぐに、天下に大乱を起してやるぞ」と言った。

語句

■地にぬかづき-地に頭をつけて。うやうやしく拝礼すること。■さりとて-それにしても。「さあり」の約語。■迷(まよ)はせ給ふや-「迷ふ」は魂魄(こんぱく)が未だこの世に執着を残し、成仏できない状態をいう。■濁世(ぢょくせ)-仏教語で穢(けが)れたこの世。■厭離(えんり)-厭(いと)い離れる。■法施(ほふせ)-ここでは読経による回向。 ■随(ずい)縁(えん)-仏縁につながること。■法施(ほふせ)に随(ずい)縁(えん)したてまつるを-仏縁にあやかって供養し申しておりますのに。
■現形(げぎょう)-神仏や死霊が現世に姿を現すこと。■隔生即忘-死ぬことによって現世の迷妄を忘れること。■朕-「朕」は天子の自称。「わが」はあて読み。
■魔道-我執や怨恨の強さによって、成仏せずに激しく他に祟る悪魔の世界。■近来(ちかごろ)の世(よ)の乱(みだ)れ-崇徳院が讃岐に流されてからの世の混乱の事で、平治の乱、朝廷を中心とする様々な事件、平家の台頭や専横を指す。■平治(へいぢ)の乱(みだ)れ-平治元年(1159)、藤原信西、平清盛に対し、藤原信頼、源義朝らが戦い、後白河上皇、二条天皇を幽閉し、信西を殺したが、結局は清盛のために信頼も義朝も滅ぼされた。■大乱-清盛の専横に発し、諸国から源氏が挙兵し、ついに平氏の滅亡に至った治承・寿永の乱を指す。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


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