白峯 六

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西行(さいぎやう)此の詔(みことのり)に涙(なみだ)をとどめて、「こは浅(あさ)ましき御こころばへをうけ給はるものかな。君はもとよりも聡明(そうめい)の聞えましませば、王道(わうだう)のことわりはあきらめさせ給ふ。こころみに討(たづ)ね請(まう)すべし。そも保(ほう)元(げん)の御謀叛(ごむほん)は天(あめ)の神(かみ)の教(をしえ)給ふことわりにも違(たが)はじとておぼし立たせ給ふか。
又みづからの人(にん)欲(よく)より計(たば)策(かり)給ふか。詳(つばら)に告(のら)せ給へ」と奏(まう)す。

其の時院の御けしきかはらせ給ひ、「汝聞け。帝位(ていゐ)は人の極(きはみ)なり。若(も)し人道上(にんだうかみ)より乱(みだ)す則(とき)は、天の命(めい)に応(おう)じ、民(たみ)の望(のぞみ)に順(したが)うて是を伐(う)つ。

抑(そもそも)永(えい)治(ぢ)の昔、犯(をか)せる罪(つみ)もなきに、父(ちち)帝(みかど)の命(みこと)を恐(かしこ)みて、三歳の體(とし)仁(ひと)に代(よ)を禅(ゆず)りし心、人(にん)欲深(よくふか)きといふべからず。
      
體(とし)仁(ひと)早世(さうせい)ましては、朕(わが)皇子(みこ)の重仁(しげひと)こそ国しらすべきものをと、朕(われ)も人も思ひをりしに美(び)福門院(ふくもんいん)が妬(ねた)みにさへられて、四ノ宮の雅(まさ)仁(ひと)に代(よ)を簒(うば)はれしは深き怨(うらみ)にあらずや。

  

現代語訳

西行は(思いがけない)恐ろしい御言葉(みことのり)に、涙も止まって、「これはまた、あさましい御心を聞くことであります。君王(おかみ)はもともとご聡明との世評ゆえ、王道の道理はとっくにご存じであります。試みにお尋ね申し上げます。そもそも保元(ほうげん)の乱のあのご謀叛(むほん)は、ご先祖の天の神がお示しになった道理と違背しないつもりで思い立たれたのであるか、それともご自身の私欲からのお企てであるか。はっきりとお語りなされませ」と奏上した。

其の時、崇徳院は血相をお変えになり、「汝、聞け。帝位とは人間最上の位である。もし上に立つ天子が人道を乱すことがあれば、天命に応じ民意に従ってこれを討つのだ。

そもそも永治元年、さしたる過失もなくして、父鳥羽院のご命令を謹(つつし)み受けて、わずか三歳の體(とし)仁(ひと)に帝位を禅(ゆず)ったことをみても、私が私欲が深いなどと言ってはならぬ。

その體(とし)仁(ひと)が夭折(ようせつ)して、我が皇子の重仁(しげひと)こそ国政を執るものと、我も人も思っていた折り、美福門院の妬(ねた)みに遮(さえぎ)られ、第四皇子の雅(まさ)仁(ひと)に帝位を横取りされたのは、これこそ深い恨みというべきではないか。

語句

■こは-これは。「こ」は崇徳院の言葉をあら合わす。■王道(わうだう)のことわり-覇道(武力による国政)に対し、特によって国を治める君主の道をいう。
■あきらめさせ給ふ-よくご承知になっておいでである。■討(たづ)ね請(まう)す-「討」は「尋」と同意。「請」は、願う意だが、ここでは、申すの意。 ■そも-そもそも。■保元の御謀反-保元の乱。近衛天皇の崩御に際し、雅(まさ)仁(ひと)親王(後の後白河天皇)の擁立に不満を持っていた崇徳上皇は鳥羽法皇の崩御を機会に後白河天皇と争った。結局、上皇方は敗れ讃岐に流された。■天の神-天照大神。■おぼし立たせ給ふか-思い立たれたのでありますか。■人欲-私欲■御けしきかはらせ給ひ-お顔色を変えられて。「御けしき」は御気色で、お顔の様子。西行の言葉を聞いて不機嫌な顔色になったのである。■人の極(きはみ)-人の最高の地位■「則」-「即(すなは)ち」と同意。■永(えい)治(ぢ)の昔-永治元年(1141)、崇徳院二十三歳の時、父の鳥羽上皇の一方的な命によって異母弟のわずか三歳の体仁(近衛天皇)に譲位したこと。■父(ちち)帝(みかど)-第七十四代鳥羽天皇。保元元年(1156)七月二日崩御。■恐(かしこ)みて-慎み受けること■體(とし)仁(ひと)-近衛天皇。鳥羽天皇と美福門院の間に生まれ、永治元年(1141)即位、在位十四年。久寿二年(1155)十七歳で崩御。■早世ましては-早死に。夭折。■重仁-崇徳天皇の第一皇子。近衛天皇が久寿二年(1155)七月に崩御の後、時に十六歳で世の信望もあり、聡明の評判もあって、当然皇位を継承するものと考えられていたが、崇徳天皇の実の弟雅(まさ)仁(ひと)(後白河天皇)が予想を裏切って即位した。重仁親王は保元の乱の後、仁和時の僧となった。■国しらすべきものをと-国を治めるべきものと。■美福門院-鳥羽院の皇后。名は得子。中納言藤原長実の娘。近衛帝母近衛帝の夭折を崇徳の呪詛のためと誤解、崇徳を仇敵視したとされる。■さへられて-妨げられて。■四ノ宮-鳥羽第四皇子、後白河天皇。崇徳の同母弟。■代(よ)-天皇の治世。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


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