白峯 十五

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院、かの化(け)鳥(てう)にむかひ給ひ、「何ぞはやく重盛(しげもり)が命(いのち)を奪(とり)て、雅(まさ)仁(ひと)・清(きよ)盛(もり)をくるしめざる」。化鳥こたへていふ。

「上皇(じょうくわう)の幸運(さひはひ)いまだ尽(つき)ず。重盛が忠信ちかづきがたし。

今より支(え)干(と)一周(ひとめぐり)を待(また)ば、重盛が命数(よはひ)、既(すで)に尽(つき)なん。

他(かれ)死(し)せば一族の幸福(さいはひ)此(こ)時(こ)に亡(ほろぶ)べし」。

院、手を柏(うつ)て悦(よろこ)ばせ給ひ、「かの讐(あた)敵(ども)ことごとく此の前の海に尽(つく)すべし」と、御声、谷峰に響(ひびき)て凄(すざま)しさいうべきもあらず。

魔道のあさましきありさまを見て涙しのぶに堪(たへ)ず。復(ふたた)び一首の哥(うた)に隨(ずい)縁(えん)のこころをすすめたてまつる。
 
B よしや君昔の玉の床とてもかからんのちは何にかはせん
   
「刹(さつ)利(り)も須陀(しゅだ)もかはらぬものを」と、心あまりて高らかに吟(うたひ)ける。

現代語訳

新院はその怪鳥に向って、「どうして重盛の命を早く奪って、雅仁・清盛らを苦しめないのか」。

怪鳥は答えて言った。「後鳥羽上皇の幸運(さいわい)はまだ尽きておりませぬ。重盛の忠義と誠実さには、まだ近づきがたいのです。あと十二年ほど待てば、重盛の寿命はもう終わっているはずです。彼さえ死ねば平氏一族の運は一気に亡ぶはずであります」。

新院は手を打って喜ばれ、「彼ら仇敵どものすべてを、ここの前の海で死に絶えさせてしまえ」と、その御声は谷や峰に響き合って、その凄まじさは口で語れそうにもない。

西行は魔道の恐ろしくあさましいありさまを見て、涙を抑えることができず、もう一度、一首の歌を捧げて仏縁帰依の御心をお勧めした。

よしや君…

(君主(おかみ)よ、たとえ昔は立派な玉座におられたとしても、お隠れになった今、それが何になりましょう。ただひたすらにご成仏を祈り上げるのみです)

「王族も土民も死後は皆同じでありますものを」と、感情が高まり(涙を)溢(あふ)れさせ、声高らかに吟(ぎん)じ上げた。

語句

■支干-正しくは「干支」。普通その一周は六十年。ここでは十二支の一周の意で、仁安三年より十三年目は治承四年(1180)■重盛が命数-重盛の死は治承三年八月。 ■亡ぶべし-平家滅亡は寿永四年(1185)。 ■此の前の海-広く瀬戸内海を指すが、とりわけ平家が源氏のために致命的な敗戦を受けた屋島の海は、白峰の東方八キロメートルである。。■隨縁-仏縁につながること。「隨縁のこころ」は、仏縁への恭順を勧める心、の意であろう。■よしや君云々-原歌は「山家集・下」ただし、ここでは 「四国遍礼霊場紀」引用歌を利用。■刹利-古代インドの四階級の第二位、王族及び武士の階級。 ■須陀-「首陀」とも。同じく第四位の農人・田夫の階級。■心あまりて-感動で胸が一杯になって。感きわまって。■吟(うたひ)ける-「吟けり」とあるべきところ。連体形止め。

朗読・解説:左大臣光永


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