菊花の約 五

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「吾父母に離(わか)れまゐらせていとも久し。賢弟(けんてい)が老母は即(やがて)吾母なれば、あらたに拝(をが)みたてまつらんことを願ふ。老母あはれみてをさなき心を肯(うけ)給はんや」。左門、喜びに堪(たへ)ず、「母なる者、常に我が孤独(こどく)を憂(うれ)ふ。信(まこと)ある言(ことば)を告(つげ)なば齢(よはひ)も延(のび)なんに」と、伴(ともな)ひて家に帰る。

老母よろこび迎(むか)へて、「吾子(わがこ)不才にて、学(まな)ぶ所時にあはず、青雲(せいうん)の便りを失(うし)なふ。ねがふは捨てずして伯(あ)氏(に)たる教(をしへ)を施(ほどこ)し給へ」。

赤(あか)穴(な)拝していふ。「大丈夫は義を重(おも)しとす。巧妙(こうめい)富貴(ふうき)はいふに足(たら)ず。吾いま母(ぼ)公(こう)の慈愛(めぐみ)をかうむり、賢弟(けんてい)の敬(ゐや)を納(をさ)むる、何の望(のぞみ)かこれに過ぐべき」と、よろこびうれしみつつ、又日来(ひごろ)をとどまりける。    
きのふけふ咲きぬると見し尾上(をのへ)の花も散りはてて、涼しき風による浪に、とはでもしるき夏の初(はじめ)になりぬ。赤(あか)穴(な)、母子(おやこ)に向ひて、「吾(わが)近江(あふみ)を遁(のがれ)来(きた)りしも、雲州(うんしう)の動静(やうす)を見んためなれば、一たび下向(くだり)てやがて帰来り、菽(しゅく)水(すい)の奴(つぶね)に御恩(めぐみ)をかへしたてまつるべし。今の別れを給へ」といふ。

左門いふ。「さあらば兄(この)長(かみ)いつの時にか帰り給ふべき」。

赤(あか)穴(な)いふ。「月日は逝(ゆき)やすし。おそくとも此の秋は過(すご)さじ」。

左門云ふ。「秋はいつの日を定(さだめ)て待つべきや。ねがふは約(やく)し給へ」。

赤穴(あかな)いふ。「重陽(ここぬか)の佳節(かせつ)をもて帰り来る日とすべし」。
          
左門いふ。「兄(この)長(かみ)必ず此の日をあやまり給ふな。一枝の菊花に薄(うすき)酒(さけ)を備(そな)へて待ちたてまつらん」と、互(たがひ)に情(まこと)をつくして赤(あか)穴(な)は西に帰りけり。

現代語訳

「私は両親と早くに死に別れましてたいそう長い月日がたちます。貴方の老母はとりもなおさず私の母上となるので、改めてお目にかかりたいと思います。(あなたの)老母は(私を)憐れに思って、この子供らしい心を受け入れてくださるでしょうか」。左門は喜びに堪えきれず、「母はいつも私が独りぼっちなのを心配しております。(あなたの)誠意ある申し入れを伝えたら、寿命が延びるかもしれません」と連れだって家に帰った。

老母は(二人を)喜んで迎え、「吾子は才能が無く、学んだところも時勢に合わないで立身出世の機会を失っています。ねがわくば見捨てることなく、兄として教え導いてやってください」。

赤穴はかしこまって頭を下げ、「立派な男子は信義を重んじるものです。功名や富貴は問題ではありません。私はいま母上様から御慈悲をいただき、義弟から兄としての尊敬を受け、これに過ぎる望はございません」と喜びうれしく思いながら、更に数日間滞在した。

昨日、今日咲いたと思った峰の桜も散ってしまい、涼しい風の吹くにつれて打ち寄せる波の様子にも人に問うまでもなくはっきりと初夏とわかるようになった。赤穴は親子に向って、「私が近江から逃れてきたのは、出雲の様子を見るためで、一度、下向したのち、再びここへ戻ってきて、貧しい生活でもかいがいしく仕えて、ご恩返しをするつもりです。しばらくのお暇をいただきたい」と言う。

左門が言う、「それならば、兄上はいつお帰りになるのですか」。

赤穴言う、「月日は過ぎるのが早い。遅くても、この秋までには帰って来るでしょう」。

左門言う、「秋のいつの日を(お帰りになる日)と定めて待つべきでしょうか。願わくば帰る日を約束してください」。

赤穴言う、「重陽の節句を帰る日といたしましょう」。

左門言う、「兄上、必ずこの日を間違わないでください。一枝の菊花に粗酒を用意してお待ちしましょう」と、互いに真心をつくして、赤穴は西へ帰って行った。

語句

■離(わか)れまゐらせて-死に別れて。「まゐらせ」は謙譲の補助動詞だが、このように丁寧語として使われることもある。■即(やがて)-そのまま。とりもなおさず。■をさなき心-幼稚な心。子供らしい心。赤穴が自分の気持ちを謙譲して言った。■齢(よはひ)も延(のび)なんに-寿命も延びることでしょう。■不才-才能がないこと。
■青雲の便-立身出世の機会。「青雲」は「青雲の志」の略で、出世して、高位高官になること。■大丈夫-立派な男子。■巧妙(こうめい)富貴(ふうき)はいふに足(たら)ず-功名、富貴は問題ではない。「功名」は手柄を立て、世間の名声を得ること。「富貴」は金持ちになること。いずれも世俗的な欲望である。■敬(ゐや)を納(をさ)むる-弟から兄としての尊敬を受けること。■何の望(のぞみ)かこれに過ぐべき-これに過ぎる何の望がありましょうか。「か…べき」は係り結び。反語表現。
■日来(ひごろ)-数日間。日数の重なること。■咲きぬると-咲いたと。■尾上の花-峰の花。■とはでもしるき-人に問うまでもなくはっきりしている。■雲州-出雲の国。今の島根県。■菽(しゅく)水(すい)の奴(つぶね)に-「菽」は豆、「奴」は下男、下僕。豆を食い、水を飲むような貧しい生活でもかいがいしく仕えること。「に」は格助詞で、「として」の意。■今のわかれ-今しばしの別れ。当座の別れ。■重陽(ここぬか)の佳節(かせつ)-陰暦九月九日の節句。易では九の数を陽としている。九月九日は九が重なるので重陽。「佳節」は祝日、この日菊酒を飲む風習があったから「菊の節句」ともいった。■薄酒-水っぽい酒で、粗末な酒のこと。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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