浅茅が宿 四

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たまたまここかしこに残る家に人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つつもあらね。いづれか我が住みし家ぞと立ち惑ふに、ここ二十歩(ほ)ばかりを去(さり)て、雷(らい)に砕(くだ)かれし松の聳(そび)えて立(たて)るが、雲間(くもま)の星のひかりに見えたるを、、げに我が軒(のき)の標(しるし)こそ見えつると、先(まず)嬉(うれ)しきここちしてあゆむに、家は故(もと)にかはらであり。人も住むと見えて、古戸(ふるど)の間(すき)より灯火(ともしび)の影もれて輝々(きらきら)とするに、他人(ことひと)や住む、もし其の人や在(いま)すかと心躁(さわが)しく、門(かど)に立ち寄りて咳(しはぶき)すれば、内(うち)にも速(はや)く聞きとりて、「誰(た)ぞ」と咎(とが)む。

いたうねびたれど正(まさ)しく妻の声なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、「我こそ帰りまゐりたり。かはらで独自浅茅(ひとりあさぢ)が原に住みつることの不思議さよ」といふを、聞きしりたればやがて戸を明くるに、いといたう黒く垢(あか)づきて、眼(まみ)はおちいりたるやうに、結(あげ)たる髪も背(せ)にかかりて、故(もと)の人(ひと)とも思はれず、夫(をとこ)を見て物をもいはで潜然(さめざめ)となく。

勝四郎も心くらみてしばし物をも聞えざりしが、ややしていふは、「今までかくおはすと思ひなば、など年月を過すべき。去(い)ぬる年京(みやこ)にありつる日、鎌倉の兵乱(ひやうらん)を聞き、御所の師(いくさ)潰(つひえ)しかば、総州(そうしう)に避(さけ)て禦(ふせ)ぎ給ふ。管領(くわんれい)これを責(せ)むる事急なりといふ。其の明(あす)雀部(ささべ)にわかれて、八月(はづき)のはじめ京(みやこ)を立ちく。

木曽路(きそぢ)を来るに、山賊(やまだち)あまたに取りこめられ、衣服(いふく)金銀残りなく掠(かす)められ、命ばかりを辛労(からう)じて助(たす)かりぬ。且(かつ)里人のかたるを聞けば、東海・東山の道はすべて新関を居(すゑ)て人を駐(とど)むるよし。又きのふ京より節刀使(せつとし)もくだり給ひて、上杉に与(くみ)し、総州の陣(いくさ)に向はせ給ふ。本国(ほんごく)の辺(ほと)りは疾(とく)に焼きはらはれ馬の蹄(ひづめ)尺地(せきち)も間(ひま)なしとかたるによりて、今は灰塵(くわいぢん)とやなり給ひけん。

海にや沈(しづ)み給ひけんとひたすらに思ひとどめて、又京(みやこ)にのぼりぬるより、人に餬口(くちもらひ)て七とせは過しけり。近曾(このごろ)すずろに物のなつかしくありしかば、せめて其の跡(あと)をも見たきままに帰りぬれど、かくて世におはせんとは努々(ゆめゆめ)思はざりしなり。巫山(ふざん)の雲漢宮(かんきゆう)の幻(まぼろし)にもあらざるや」とくりごとはてしぞなき。

現代語訳

稀々(まれまれ)にこちらあちらと家が残って人が住んでいるように見えはするが、それも昔とは似ても似つかぬ有様。いったいどこが我が家かと途方に暮れて立ちつくす。漆黒の夜ながら雲間からさすわずかな星の光に二十歩ほど離れた場所に雷で破壊された松が聳えているのが見え、「ああ、我が家の門口の松があった」ととにかくうれしく歩みよると、我が家は昔と変わらず、そこにあり、人も住んでいるように見え、古い戸の間より明かりが漏れてちらちらとしているのである。もしや人が住んでいるのかと思い、緊張して、門口によって咳ばらいをすると、それをすぐに聞きとがめて「どなたですか」と問いただす。

かなりのしわがれ声ではあるが、正しく妻の声だとわかり、夢ではないかと胸が高鳴り、「私だ。私が帰ってきたのだよ。変りなく一人で荒野の中に住んでいるとは、なんという不思議だ」というのを、(夫の声だと)聞き分けて、すぐに戸を開ける。見れば、黒く垢じみ、眼は落ち窪み、結い上げた髪も背中にかかるほど長く延び、元の妻とも思われないが、夫を見たまま物も言わずたださめざめと泣くのである。

勝四郎は気が動転して、しばらくは口もきけず、少したってやっと語った。「(そなたが)今までこのように生きているとしっていたなら、どうして無駄な年月を過したであろうか。ここを出立した年、京に居たとき、鎌倉の戦のことを聞くと、公房様の軍勢が敗れて、この下総に逃げて防戦し、管領側が激しく攻め立てているという。あわててその翌日雀部と別れて、八月のはじめに京を立って来たのだ。

木曽路を通ってきたが、途中、多くの山賊に取り囲まれ、衣服・金銀すべてかすめ取られ、命だけがかろうじて助かったのだよ。そのうえ、里の人が話しているのを聞くと、東海・東山の道はすべて新しく関所が作られ、人の通行を禁止しているそうだ。また昨日、京から節度使も下り、上杉に加勢し、総州の合戦場に向われた。故郷の国の辺は疾くに焼き払われ、軍馬の蹄に踏みにじられぬ土地は少しもないという話、どう考えても、そなたが生き延びたとは考えられず灰塵になったであろうか、海に入水したであろうかと一途に思い詰めて、ふたたび京に引き返してからは、他人に生活の補助をしてもらい7年も過ぎてしまった。近頃、つくづく昔のことが思い出されて懐かしく、せめて、そなたの亡き跡を見たい思いで帰ってきたが、このように生きていようとは夢にも思わなかったよ。まさか巫山(ふざん)の雲、漢宮(かんきゆう)の幻(まぼろし)という、あの夢の話ではないだろうね」と、とめどなく同じことを繰り返して言った。

語句

■人の住むとは見ゆるあれど-人が住んでいると見える家もあるけれども。「人の」の「の」は主格を表す格助詞。「見ゆる」は「見ゆ」の連体形で「見ゆる家」の意。■似つつもあらね-似てもいないので。「つつ」は継続を表す接続助詞。「あらね」は「あらねば」の意で順接。■ここ二十歩ばかりを去て-ここから二十歩ばかり離れたところに。「ここ」は「ここから」の意。「歩」は、土地を測る単位で、一歩は訳1.8メートル。■松-松は、古代は家の出入り口の標。■他人や住む-ほかの人が住んでいるのか。「や住む」は係結び。■その人や在すか-その人がいるかもしれない。「その人」は、妻の宮木を指す。語法上は「人や在す」とあるべきところで、その場合は係結びになる。ここは下に疑問の係助詞「か」があるので、「や」は単なる強意の係助詞とみることができる。■咳(しはぶき)すれば-咳ばらいをすると。帰宅を知らせる合図の咳であるが、直ちに声をかけるのも不安なので咳をしたのである。■ねびたれど-老けているけれど。■まゐりたり-上の係助詞「こそ」の結びで「まゐりたれ」(巳然形)とあるべきところ。■浅茅が原-茅の生えた野原。単に雑草の生い茂った野原をもいう。■やがて-すぐに。■眼はおち入りたるやうに-眼は落ちくぼんだようになって。■故の人-「元の人」の意で、故人(亡くなった人)ではない。■物をもいはで-物も言わずに。「で」は打消しの接続助詞。■心くらみて-気が動転して。■師(いくさ)-ここは軍勢。■急なり-烈しいこと。■木曽路-木曽地方を通り東国へ抜ける道。中仙道。■東山の道-東海道。京から東海道と北陸道の山間を通って、陸奥・出羽へ通じる道。■節刀使-正しくは「節度使」。「続日本記などに見える古代の官名だが、ここでは将軍から地方征討の印の太刀を賜った武将。東下野守常縁を指す。■陣-合戦場。■本国-故郷の国。■灰塵-戦火によって亡くなること。■餬口-生活を補助してもらうこと。■巫山(ふざん)の雲-男女が夢の中で逢って契を結ぶこと。(『文選』高唐賦の故事より)転じて夢とも現ともつかぬことを指す。■漢宮(かんきゆう)の幻(まぼろし)-死別した男女が幽明の境を異にしながら合うことをいう。これも夢とも現ともつかぬ男女の出会いを指す。(『漢書』外威伝の武帝と李夫人の故事による)

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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