吉備津の釜 四

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窮魂(いきすだま)といふものにや、古郷(ふるさと)に捨(す)てし人のもしやと独(ひとり)むね苦(くる)し。彦六これを諫(いさ)めて、「いかでさる事のあらん。疫(えき)といふものの悩(なや)ましきはあまた見来りぬ。熱(あつ)き心少しさめたらんには、夢(ゆめ)わすれたるやうなるべし」と、やすげにいふぞたのみなる。看(み)るみる露ばかりのしるしもなく、七日にして空(むな)しくなりぬ。天(そら)を仰(あふ)ぎ、地を敲(たた)きて哭(なき)悲(かな)しみ、ともにもと物狂はしきを、さまざまといい和(なぐ)さめて、かくてはとて遂(つひ)に曠野(あらの)の烟(けふり)となしはてぬ。骨(ほね)をひろひ塚を築(つき)て塔婆(たふば)を営(いとな)み、僧を迎(むか)へて菩提(ぼだい)のことねんごろに弔(とふ)らひける。

正太郎、今は附(ふ)して黄泉(よみぢ)をしたへども招魂(せうこん)の法をももとむる方(すべ)なく、仰(あふ)ぎて古郷(ふるさと)をおもへばかへりて地下よりも遠きここちせられ、前に渡(わた)りなく、後(うしろ)に途(みち)をうしなひ、昼はしみらに打臥(うちふし)て、夕々(よひよひ)ごとには塚(つか)のもとに詣(まうで)て見れば、小草(をぐさ)はやくも繁(しげ)りて、虫のこゑすずろに悲(かな)し。此の秋のわびしきは我が身ひとつぞと思ひつづくるに、天雲(あまくも)のよそにも同じなげきありて、ならびたる新塚(あらづか)あり。

ここに詣(まうづ)る女の、世にも悲しげなる形(さま)して、花をたむけ水を灌(そそ)ぎたるを見て、「あな哀(あは)れ。わかき御許(おもと)のかく気疎(けうと)きあら野にさまよひ給ふよ」といふに、女かへり見て、「我が身夕々(よひよひ)ごとに詣(まう)で侍(はべ)るには、殿はかならず前(さき)に詣で給ふ。さりがたき御方に別れ給ふにてやまさん。御心のうちはかりまゐらせて悲し」と潜然(さめざめ)となく。

正太郎いふ。「去る事に侍(はべ)り。十日ばかりさきにかなしき婦(つま)を亡(うし)なひたるが、世に残りて憑(たの)みなく侍(はべ)れば、ここに詣づることをこそ心放(こころやり)にものし侍るなれ。御許(おもと)にもさこそましますなるべし」。女いふ。「かく詣(まうで)つかうまつるは、憑(たの)みつる君の御跡(あと)にて、いついつの日ここに葬(ほうむ)り奉る。家に残ります女君(をんなぎみ)のあまりに嘆(なげ)かせ給ひて、此の頃はむつかしき病にそませ給ふなれば、かくかはりまゐらせて、香花(かうげ)をはこび侍るなり」といふ。

正太郎云ふ。「刀自(とじ)の君の病み給ふもいとことわりなるものを。そも古人(ふるびと)は何人(なにびと)にて、家は何地(いづち)に住ませ給ふや」。

現代語訳

生霊・怨霊というものの祟りであろうか、磯良がもしかしたら怨霊となって祟りをしているのではなかろうかと正太郎は一人で胸を痛めた。彦六は正太郎の心配事を諫めて、「どうしてそんなことがあろうか、はやりの熱病の苦しみはこれまで実際たくさん見てきたが、すこし熱が冷めれば夢の後のように、けろっと苦しみなどなくなるのものなのだ」と、簡単に言うのが頼もしかった。(しかし、袖の容態は)見る見るうちに露ほども回復の兆しはなく、七日後には(袖は)死んでしまった。

(正太郎は)空を仰ぎ、地面を叩いて哭き悲しみ、一緒に自分も死ぬんだと狂ったようになるのを、(彦六は)いろいろと言い慰めたが、(正太郎の慟哭は治まらず)こうなれば仕方ないと、遂に、野辺に送って火葬にしてしまった。骨を拾い、塚を築いて、卒塔婆を建て、僧侶を招いて懇(ねんご)ろに(袖の)菩提(ぼだい)を弔(とむら)った。

ここにいたって正太郎は、姿勢を低くして頭を下げ、亡き袖のいる冥途を慕ったが、(袖の)魂を呼び寄せる方法もなく、さればとて捨ててきた故郷のことを思うと、それは冥途よりもかえって隔たった気がして進退窮まり、昼は終日寝て暮し、夕方になると毎日のように(袖の)墓を訪ねたが、早くも雑草が繁り、虫の声がすずろに聞えて一層悲しさが募った。自分一人が生き残り、今年の秋は侘しいものだと思い続けていると、他にも愛する人と死別した人がおり、新しい塚が(袖の)塚と並んで建てられていた。

ここにお詣りに来た女の、世にも悲しそうに花を手向け水を灌ぐ形(さま)を見て、「ああ、若い貴方がこのように人里離れて淋しい場所を彷徨われているのは悲しいことですね」と言うのに、女は振り返って見て、「私が毎夕お詣りに来るたびに、貴方様が必ず先にお詣りに来ておられます。愛しあっている人とお別れになったのですね。心の内を御推量申し上げて悲しんでおります」とさめざめと泣くのであった。

正太郎が言う。「さようでございます。十日ほど前にいとしい妻を亡くしましたが、一人だけ生き残って頼りなく心細くて、ここに詣でることをせめてもの心の慰めとしているのです。貴方も同じようなご事情がお有りなのでしょうね」。女が言う。「いいえ、私がこのように詣でるのは、御主人様のお墓で、×月×日に此処に埋葬申し上げたのでございます。家に残っておられる奥様がひどく嘆かれ、(そのうえ)此の頃は重い病にかかられ(身動きができず)、代わりにこのように香やお花をお供えしているのでございます」と言う。

正太郎が言う。「奥様が病気になられたのも、ごもっともなことでございますよ。それで亡くなった人は、どういうお方でどこにお住まいなのですか」

語句

■窮魂(いきすだま)といふものにや-生霊・怨霊というものの祟りであろうか。■古郷に捨てし人のもしやと-磯良がもしかしたら怨霊となって祟りをしているのではなかろうか。■独(ひとり)むね苦し-正太郎は一人で胸をいためる。■疫(えき)-流行性の熱病。第三者の彦六にはただの熱病にしか見えないのである。■熱(あつ)き心少しさめたらんには-熱気が少し冷めたならば。■看るみる-これに限らず「行くゆく」「思ふおもふ」など、動詞反復の語法が多いのが秋成の特徴で、動作などの進行・継続を意味し、その結果としての転換へつなぐ。ここでは、それを中国小説の慣用語「看」に重ねている。みるみるうちにの意。■天(そら)を仰(あふ)ぎ、地を敲(たた)きて哭(なき)悲(かな)しみ-悲嘆のさま。■ともにもと物狂はしきを-自分もともに死にたいと狂気のようになっているのを。■かくては-このままでは。「かくなる上は」と解する立場もある。■曠野(あらの)-荒野。普通、人里離れた荒野、山林、砂浜等に墓を作るのは両墓制の第一次の墓地で、この墓に参る期間は四十九日に限られ、後、改葬されるのが通例。■曠野(あらの)の烟(けふり)となしはてぬ-野辺に送って火葬にしてしまった。■塚-本来は土葬墓をさすが、ここは火葬なので、単なる土を盛った墓の意。■塔婆(とうば)を営み-卒塔婆(そとば)を建て。本来は仏舎利・経文などを安置する五層の塔をいうが、ここは墓標であろう。■黄泉(よみぢ)をしたへども-亡き袖の居る冥途を慕ったが。■招魂(せうこん)の法-死者の魂を呼び出す呪法。「この女の死にける屋を、いちよくはらひて、花・香たきて、遠き所に、火をともしてゐたれば、この魂なん、夜なよな来て語らひける」(篁(たかむら)物語))。■渡り-渡し船、または渡渉地。■しみらに-暇なく。日中。終日。■天雲の-「よそ」に係る枕詞。■同じ嘆きありて-愛する人と死別した悲しみ。■気疎(けうと)き-人気のない、人里離れて寂しい、の意。■殿-男子の敬称。■さりがたき御方-愛し合っている人。■まさん-尊敬語「ます」(あり、居りの意)の未然形+推量の「む」の形式を補助動詞として使用。
■はかりまゐらせて-御推量申し上げて。■さることに侍り-さようでございます。■かなしき婦(つま)-いとしい妻。■世に残りて憑(たの)みなく侍(はべ)れば-私一人生き残って頼りなく心細い。■心放(こころやり)にものし侍る-せめてもの心の慰めとしているのです。■さこそましますなるべし-同じような事情がおありなのでございましょうね。■憑(たの)みつる君の御跡(あと)にて-主人のお墓で。■女君-奥方、未亡人。■むつかしき病-重い病。■そませ給ふ-冒(おか)される、の意。「せ」は尊敬。■刀自(とじ)の君-一家の主婦。奥方。■古人-故人。亡くなった人。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永


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