蛇性の婬 八

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されど当罪免(おもてつみまぬが)れず。守(かみ)の館(みたち)にわたされて牢裏(らうり)に繋(つな)がる。大宅(おほや)の父子(おやこ)多くの物を賄(まひ)して罪を贖(かふ)によりて、百日がほどに赦(ゆる)さるることを得たり。「かくて世にたち接(まじは)らんも面俯(おもてふせ)なり。姉の大和におはすを訪(とふ)らひて、しばし彼処(かしこ)に住まん」といふ。「げにかう憂(うき)め見つる後は重(おも)き病をも得るものなり。ゆきて月ごろを過(すご)せ」とて、人を添へて出でたたす。

二郎の姉が家は石榴市(つばいち)といふ所に、田辺(たなべ)の金忠(かねただ)といふ商人(あきびと)なりける。豊雄が訪(とむ)らひ来るを喜(よろこ)び、かつ月ごろの事どもをいとほしがりて、「いついつまでもここに住め」とて、念比(ねんごろ)に労(いたは)りけり。年かはりて二月(きさらぎ)になりぬ。此の石榴市(つばいち)といふは、泊瀬(はっせ)の寺ちかき所なりき。仏の御中には泊瀬(はっせ)なんあらたなる事を、唐土(もろこし)まで聞えたるとて、都より辺鄙(ゐなか)より詣(まう)づる人の、春はことに多かりける。

詣(まう)づる人は必ずここに宿(やど)れば、軒を並(なら)べて旅人をとどめける。田辺(たなべ)が家は御明灯心(みあかしとうしん)の類(たぐひ)を商ひぬれば、所せく人の入り立ちける中に、都の人の忍びの詣(まうで)と見えて、いとよろしき女一人、わらは一人、薫物(たきもの)もとむとてここに立ちよる。此のわらは豊雄を見て、「吾君(わがきみ)のここにゐますは」といふに、驚きて見れば、かの真女児(まなご)まろやなり。「あな恐し」とて内に隠るる。金忠夫婦、「こは何ぞ」といへば、「かの鬼(おに)ここに遂(おひ)来る。あれに近寄(ちかより)給ふな」と隠れ惑(まど)ふを、人々「そはいづくに」と立ち騒(さわ)ぐ。

真女児入り来りて、「人々あやしみ給ひそ。吾夫(わがせ)の君な恐れ給ひそ。おのが心より罪(つみ)に堕(おと)し奉る事の悲(かな)しさに、御有家(ありか)もとめて、事の由縁(ゆえ)をもかたり、御心放(みこころやり)せさせ奉らんとて、御住家尋ねまゐらせしに、かひありてあひ見奉る事の喜(うれ)しさよ。あるじの君よく聞きわけて給へ。我もし怪しき物ならば、此の人繁(しげ)きわたりさへあるに、かうのどかなる昼(ひる)をいかにせん。衣(きぬ)に縫目(ぬひめ)あり、日に向へば影(かげ)あり。此の正しきことわりを思(おぼ)しわけて、御疑ひを解(とか)せ給へ」。

豊雄、漸(やや)人ごこちして、「汝正しく人ならぬは、我捕(とら)はれて、武士らとともにいきて見れば、きのふにも似ず浅ましく荒果(あれはて)て、まことに鬼の住むべき宿に一人居(を)るを、人々ら捕へんとすれば、忽ち青天霹靂(はたたがみ)を震(ふる)うて、跡(あと)なくかき消(きえ)ぬるをまのあたり見つるに、又遂(おひ)来りて何をかなす。すみやかに去(さ)れ」といふ。

現代語訳

しかし、豊雄は、盗品を所持した罪は免れず、国司の舘に身柄を引き渡され、牢に繋がれてしまった。大宅の父、兄は多くの金品を贈り、免罪を請うたので百日ほどで釈放されることになった。「このまま世間に立ち交わるのも面目ない。大和の姉を訪ねて、しばらくの間、そちらに住もうと思う」と豊雄はいい、「実際、嫌な目に遭った後は、重病にかかるものだ。向こうへ行って一月ほど過ごすがいい」と大宅家の人々もすすめ、下人をつけて出立させた。

二番目の姉の家は、石榴市(つばいち)という町の、田辺(たなべ)の金忠(かねただ)といふ商売人であった。豊雄が訪ねて来たのを喜び、また、この数か月の事をとても不憫(ふびん)がり、「いついつまでもここに住むがいい」と言って、親身になって豊雄を労(いた)わった。年が変わり二月になった。此の石榴市(つばいち)という所は豊山神楽院長谷寺の近くであった。多くの仏の中でも長谷寺の観音が霊験あらたかであることは、唐土までよく知れ渡っており、都からも諸国からも詣でる人が春の季節は特に多いのであった。

詣でる人は、必ず、この石榴市(つばいち)に宿をとり、他の商店も軒を連ねて旅人の足を引き留める。田辺の家は、灯明やそれの芯を作ることを主な商いとしていたので、所狭い中に人が入り込む中に、都人の御忍びの詣でと見えて、美しい品のいい女が一人、召使の少女と共に、薫香を買いに立ち寄っていた。此の少女は豊雄を見ると、「あっ、ご主人様がこんなところに居られますわ」と言うので、驚いて見ると、あの真女児とまろやであった。豊雄は「ああ恐ろしや」と店の奥に隠れようとした。金忠夫婦が「これはどうしたことですか」と言うと、「あの鬼がここまで(私を追って)やって来ました。あの二人に近寄らないでください」ととまどい隠れるので、人々は「それは、どこに来たのか」と立ち騒ぐ。

真女児が入って来て、「皆様、そんなに怪しまないでください。旦那様もそんなに怖がらないでください。私のいたらぬ心から旦那様を罪に堕(おと)してしまったことが悲しく、今のお住いをお探して、事のわけをお話し申し、心をお晴らし申し上げようと、お住いをお探し申しあげておりましたところ、其の甲斐があって、お逢いできたことが嬉しいのです。旦那様、よく聞いてご理解くださいませ。私がもし怪しい者なら、此の人通りの多い所でさえある上に、このようにのどかな日和(ひより)の白昼(まひる)にどうして出現出来ましょう。衣に縫目あり、日に向えば影もあります。此の正しい道理をご理解いただいて、御疑いをお解きくださいませ」。

豊雄は、少し落ち着いて、「お前が正しく人でないことは、私が捕えられて、武士らとともに行って見れば、昨日と打って変わって、浅ましく荒果て、ほんとに鬼の住むような家に一人で居るのを、武士らが捕えようとしたら、忽ち突然雷鳴が鳴り響き、(お前が)跡形もなく消えたのを目の当たりに見たのに、又、(私を)追いかけてきて何をしようというのだ。すぐに立ち去れ」と言った。

語句

■当罪-罪(盗品所持)の名目。当面の罪。■賄(まひ)して-贈賄する。■贖(かふ)-金品によって罪の赦免を得ること。■赦さるる-釈放。■接(まじは)らん-交際する。■面俯(おもてふせ)-面目ない。■げに云々-父兄の言葉。■人を添えて-この「人」は、下人のこと。■石榴市(つばいち)-奈良県桜井市三輪付近。上代から歌垣で知られた有名な市(いち)で「海柘榴市」とも書く。■田辺(たなべ)の金忠(かねただ)-姉の夫の名。架空の人物。■年かはりて-小説の舞台を三輪崎から大和へ移したうえで、当然必要な時間の経過をも簡潔に述べているのである。■泊瀬(はっせ)の寺-豊山神楽院長谷寺。真言宗の大寺。■あらたなる-あらたかなる。[形動][文][ナリ]《形容動詞「あら(灼)た」から》神仏の利益(りやく)が際立ってあるさま。あらた。いやちこ。「霊験―な神」■軒を並べて云々-宿屋に限るまい、商店なども。■御明灯心(みあかしとうしん)-「御明」は灯明(神 仏に供える灯火)、「灯心」その芯(しん)。■忍びの詣で-密かの詣で。御忍びの詣で。■いとよろしき女-高貴な女。■薫物(たきもの)-練香(ねりこう)のこと。香料を練り合わせて製する。■吾君-ここではご主人様。■ゐますは-末尾の{は」は感動を表す間投助詞。■かの鬼-真女児を指す。■事の由縁-事のいきさつ。事情。■御心放(みこころやり)せ-心を晴らすこと。■あるじの君-豊雄に対する呼びかけの言葉。家の主人金忠を指すという解も成り立つ。■わたり-あたり。■衣に縫目あり、日に向へば影あり-共に人間と妖怪を見極める基準。■漸(やや)人ごこちして-恐怖心が薄らぎ人の好さから真女児の言い分に耳を傾ける気分になってきたのである。■きのふ-豊雄が真女児を訪ねた日。正確には一昨日だが、つい前日までの意味で、「きのふ」とした。■青天霹靂(はたたがみ)-突然の雷鳴。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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