貧福論 二

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さても富(とみ)て驕(おご)らぬは大聖(おほきひじり)の道なり。さるを世の悪(さがなき)ことばに、『富(とめ)るものは必ず、慳(かだま)し、富めるものはおほく愚(おろか)なり』といふは、晋(しん)の石崇(せきそう)、唐(たう)の王元宝(わうげんほう)がごとき、豺狼蛇蝎(さいらうじゃかつ)の徒(ともがら)のみをいへるなりけり。

往古(いにしへ)に富(とめ)る人は、天の時をはかり、地の利を察(あき)らめて、おのづからなる富貴(ふうき)を得(う)るなり。呂望斎(りょぼうせい)に封(ほう)ぜられて民に産業(なりはひ)を教(をし)ふれば、海方(うなべ)の人利に走(はし)りてここに来朝(きむか)ふ。管仲(くわんちゆう)九(ここの)たび諸侯(しよこう)をあはせて、身は倍臣(やっこ)ながら富貴は列国(れつこく)の君に勝(まさ)れり。范蠡(はんれい)、子貢(しこう)、白桂(はつけい)が徒(ともがら)、財(たから)を鬻(ひさ)ぎ利を遂(おう)て、巨万(ここだく)の金(こがね)を畳(つみ)なす。これらの人をつらねて貸殖伝(くわしょくでん)を書(しる)し侍るを、其のいふ所陋(いやし)とて、のちの博士(はかせ)筆を競(きそ)うて謗(そし)るは、ふかく穎(さと)らざる人の語(ことば)なり。

恒(つね)の産(なりはひ)なきは恒の心なし。百姓(おたから)は勤(つとめ)て、穀(たなつもの)を出だし、工巧(たくみ)等(ら)修(つとめ)てこれを助け、商人(あきびと)務(つと)めて此(これ)を通(かよ)はし、おのれおのれが産(なり)を治(をさ)め家を富(とま)して、祖(みおや)を祭(まつ)り子孫(のち)を謀(はか)る外、人たるもの何をか為(なさ)ん。諺(ことわざ)にもいへり。『千金の子は市に死せず』、『富貴(ふうき)の人は王者(わうじや)と楽しみを同じうす』となん。まことに淵(ふち)深(ふか)ければ魚よくあそび、山長(なが)ければ獣(けもの)よくそだつは天(あめ)の随(まにまに)なることわりなり。

只、『貧(まづ)しうしてたのしむ』てふことばありて、字を学(まな)び、韻(ゐん)を探(さぐ)る人の惑(まどひ)をとる端(はし)となりて、弓矢とるますら雄(を)も富貴は国の基なるをわすれ、あやしき計策(たばかり)をのみ調練(たならひ)て、ものを破り人を傷(そこな)ひ、おのが徳をうしなひて子孫を絶(たつ)は、財(たから)を薄(かろ)んじて名をおもしとする惑(まど)ひなり。顧(おもふ)に名とたからともとむるに心ふたつある事なし。文字てふものに繋(つな)がれて、金の徳を薄(かろ)んじては、みづから清潔(せいけつ)と唱(とな)へ、鋤(すき)を揮(ふるう)て棄(すて)たる人を賢(かしこ)しといふ。

さる人はかしこくとも、さる事(わざ)は賢(かしこ)からじ。金(こがね)は七(なな)のたからの最(つかさ)なり。土に埋れては霊泉(れいせん)を湛(たた)へ、不浄(ふじやう)を除(のぞ)き、妙(たへ)なる音(こゑ)を蔵(かく)せり。かく清(いさぎ)よきものの、いかなれば愚昧貪酷(ぐまいどんこう)の人にのみ集(つど)ふべきやうなし。今夜(こよひ)此の憤(いきどほ)りを吐(はき)て年来(としごろ)のこころやりをなし侍る事の喜(うれ)しさよ」といふ。

現代語訳

それにしても、たとえ裕福になっても驕りたかぶらないのが大聖孔子の道というのである。それを世間のわけもない中傷で、『富める者は必ず心がねじけている。そして、大半は愚か者である。』と言うのは、たとえて言えば、晋の石崇(せきそう)や唐(たう)の王元宝(わうげんほう)のように、貪欲無慈悲で人に嫌われる者たちだけを指して言ったのである。

昔の世に富み栄えた人は、天然自然の摂理をよく見極め、地勢環境の適否をよく判断して、その結果、自然にして必然の富貴を得たのである。太公望(たいこうぼう)呂尚(りょしょう)は斉の領主になって民に産業を教えたので、海辺の国の人はその利益の多い生活を慕って斉に移住したのだ。管仲は九回も諸国を連合させ、身分は陪臣であったがその富は列国の君主に勝っておりました。范蠡(はんれい)、子貢(しこう)、白桂(はつけい)などの人たちは産物を売買し利益をはかって巨万の富を築き上げたのである。これらの人々を列記して司馬遷が『史記』の中で貨殖列伝(かしょくれつでん)を著したが、後世の学者が筆をそろえてその諸説が卑しいといって筆をそろえて非難するのは、道理を深く理解しない人の言葉でしかないぞ。

人は一定の決まった生業と財産がなければ安らかな心を持つことはできない。百姓は農耕に精を出し、工巧は道具を作ってこれを助け、商人は産物の売買に務め、おのおのが生業をきちんとして家を豊かにし、祖先を祭り、子孫繁栄を図る外に人として何をすることがあるでしょうか。諺にも言っている。『富豪の子は刑死・晒首にもならぬ』、又、『富貴の人は王侯貴族と同じ楽しみを味わえる』と。まことに淵が深ければ魚がのびのびと遊び、山高ければ獣がよく育つというのは天地自然の法則にかなった道理である。

只、『貧しくしてしかも楽しむ』という言葉があって、それが学者文人の惑いを起こす端緒となっており、武道に生きる勇士も富貴は国の基であることを忘れ、おかしな軍略ばかり調練して、物を破壊し、人を傷つけ、おのれの徳を失い子孫を絶やすのは、財を軽んじて名を重んじる惑いである。思うに、名誉と財産を共に求めるのに心も二つ要るということはない。それを学問や書物の論に捉われて、財の徳を軽んじては、それで自ら清潔であると自称し、富貴の道を捨てて俗世間を離れて鋤鍬をとって晴耕雨読の生活をしている人を賢人でるというのだ。

たしかにそういう人自身は賢人かもしれないが、その行いは賢いとはいえますまい。お金は七宝の最上位のものである。土に埋れているときはそこに霊泉を湛え、あたりの不浄を取り除き、美しい音色を発するものだ。このように清らかな物がどうして愚痴・貪欲・無慈悲な人にだけ集まるいわれがありましょうか。今夜は、この長年の鬱憤(うっぷん)を吐き出して年来の憂さをはらすことができたのはなんとうれしいことだ」という。

語句

■石崇(せきそう)-中国晋代の富豪、豪奢な生活を送り、殺された。■王元宝(わうげんほう)-中国唐代の富豪。金銀を積んで屋壁とした。■豺狼蛇蝎(さいらうじゃかつ)-「豺」は山犬、「蝎」はさそり。猛悪な獣虫の意から、貪欲無慈悲で人に嫌われる者をいう。■呂望(りよぼう)-中国周の太公望呂尚(りよしよう)。■斉(せい)-山東省にあった春秋時代の国。■封(ほう)ぜられて-領地を与えられ、領主となって。■産業-『史記』によれば、この産業は漁業と製塩業であった。■海方-海辺。「来朝」の字をあてて国境を越えての移住を示唆。■ここに来朝ふ-斉の国にやってきた。■管仲-斉の桓公に仕えた宰相。経済の才にたけていた。■九たび-「九合」は「糾合」で、連合するの意だが、秋成はこれを、九度の連合ととったので「九たび」とした。■倍臣(やっこ)-正しくは「陪臣」。諸侯の臣。天使にとって、また家来になる臣下。■范蠡(はんれい)-越王勾践(こうせん)の臣。王を助けて呉王を討った。又、貸殖にたけていた。のち、斉に入って巨万の富豪となり、さらに唐に入って大富豪となる。■子貢(しこう)-孔子の門人だが、貨殖の達人でもあった。衛の人。■白桂(はつけい)-周の富豪。商機をつかむのに長じ、蓄財術の祖と言われる。■財(たから)を鬻(ひさ)ぎ-産物を売買して。■畳なす-重ねる。■貸殖伝(くわしょくでん)-漢の太史司馬遷著「史記」の巻一二九が「貨殖列伝」。■恒(つね)の産(なりはひ)なきは恒の心なし-一定の生業財産のないものは定まった善心がない。■産を治め-生業をはげみ。■千金の子は市に死せず-富豪の子弟は刑死して市中にさらされることはない。■天(あめ)の随(まにまに)なることわり-天然自然の道理。■字を学び、韻を探る人の惑いをとる端-学者や文人たちの惑いをひきおこすいとぐち。■あやしき計策-つまらぬ軍略。■文字てふものに繋がれて-学問・知識に捉われて。■鋤(すき)を揮(ふるう)て棄(すて)たる人-俗世間を捨てて鋤をふるう人。■七宝-仏教の教典に出てくる七種の宝のことで、金,銀,瑠璃【るり(青い宝石)】,玻璃 【はり(水晶)】 ,しゃこ貝 ,珊瑚,瑪瑙【 めのう(縞状の鉱物)】であると言われてます。■七(なな)のたからの最(つかさ)-七宝の筆頭。■貪酷-正しくは「どんこく」。欲深く残忍無慈悲なこと。

備考・補足

■黄金精霊(翁)は多くの故事を引き、富貴の道を天然自然の理に沿うものとして、富貴を賤しむ思想を批判、否定する。清貧主義に対する新しい経済理念・価値観の主張と言える。
■「憤りを吐く」は意外に重要な記述である。本編の黄金精霊のわざわざの出現はそのためであり、ひいては『雨月物語』各編における怪異出現の理由につながるだろう。

朗読・解説:左大臣光永


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