貧福論 三

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左内興(きやう)じて席(むしろ)をすすみ、「さてしもかたらせ給ふに、富貴の道のたかき事、己(おの)がつねにおもふ所露たがわずぞ侍る。ここに愚かなる問事(とひこと)の侍るが、ねがふは詳(つぼら)にしめさせ給へ。今ことわらせ給ふは、専(もはら)金の徳を薄(かろ)しめ、富貴の大業(たいげふ)なる事をしらざるを罪とし給ふなるが、かの紙魚(しぎよ)がいふ所もゆゑなきにあらず。

今の世に富めるものは、十が八ツまではおほかた貪酷残忍(どうこうざんにん)の人多し。おのれは俸禄(ほうろく)に飽(あき)たりながら、兄弟(はらから)一属(やから)をはじめ、祖(みをや)より久しくつかふるものの貧(まづ)しきをすくふ事(わざ)もせず、となりに栖(すみ)つる人のいきほひをうしなひ、他(ひと)の援(たす)けさへなく世にくだりしものの田畑(たばた)をも、価(あたひ)を賤(やす)くしてあながちに己(おの)がものとし、今おのれは村長(むらをさ)とうやまはれても、むかしかりたる人のものをかへさず、礼ある人の席(むしろ)を譲(ゆづ)れば、其の人を奴(やっこ)のごとく見おとし、たまたま旧(ふる)き友の寒暑(かんしよ)を訪(とむ)らひ来れば、物からんためかと疑(うたが)ひて、宿にあらぬよしを応(こた)えさせつる類(たぐひ)あまた見来りぬ。

又君に忠なるかぎりをつくし、父母(ふぼ)に孝廉(かうれん)の聞えあり、貴(たふと)きをたふとみ、賤(いや)しきを扶(たす)くる意(こころ)ありながら、三冬のさむきにも一裘(いつきう)に起臥(おきふし)、三伏(さんぷく)のあつきにも一葛(いつかつ)を濯(すす)ぐいとまなく、年ゆたかなれども朝(あした)に暮(くれ)に一椀(わん)の粥(かゆ)にはらをみたしめ、さる人はもとより徒も朋友(ともがき)の訪(とむ)らふ事もなく、かへりて兄弟一属(はらからやから)にも通(みち)を塞(きら)れ、まじはりを絶(たた)れて、其の怨(うらみ)をうつたふる方(すべ)さへなく、汲々(きふきふ)として一生を終(をふ)るもあり。さらばその人は作業(なりはひ)にうときゆゑかと見れば、夙(つと)に起(おき)おそくふして、性力(ちから)を凝(こら)し、西にひがしに走りまどふありさまさらに閑(いとま)なく、その人愚(おろか)にもあらで才をもちうるに的(あた)るはまれなり。

これらは顔子(がんし)が一瓢(いちへう)の味(あじ)はひもしらず。かく果(はつ)るを仏家(ぶつか)には前業(ぜんごふ)をもて説(とき)しめし、儒門(じゆもん)には天命(てんめい)と教(をし)ふ。もし未来(みらい)あるときは現世(げんぜ)の陰徳善功(いんとくぜんこう)も来世(らいせ)のたのみありとして、人しばらくここにいきどほりを休(やす)めん。されば富貴のみちは仏家にのみその理(ことわり)をつくして、儒門の教(をし)へは荒唐(くわうたう・とりじめなし)なりとやせん。霊(かみ)も仏の教にこそ憑(よら)せ給ふらめ。否(いな)ならば詳(つばら)にのべさせ給へ」。

現代語訳

左内はその話を聞いて興味を覚え、膝を乗りだして。「なるほど今のお話につけても富貴の道の貴さは、拙者が日頃考えていたことと少しも違っておりませなんだ。ただ愚門ながら一つお尋ねしたい。願わくば詳しくお教え願いたい。それは、今貴方が論じ説かれたことは、もっぱら金の徳を軽んじ、富貴が正当で立派な仕事であるという道理に世人が無知なことを罪深いこととされたが、しかしまた、あの学者たちの言うところも理由なしとは言えません。

現世で富んでいる者は、その八割方貪欲で残忍な者が多いのです。例えば、自分は十二分に俸禄を受けていながら、兄弟親族をはじめとして、祖先代々奉公してきたものが貧乏して困っていても、それを助けようともしない人もいれば、親しく近所づきあいをしていた人が落ちぶれて、人の援けもなく零落してしまうと、しめたとばかりその人の田畑を安値で買いたたき強引に手に入れ自分の物にしてしまう人もあり、今自分は村長だと敬われる身分にありながら、昔借りた人の物を返そうともせず、礼儀正しい人が、席を譲ると、つけあがって、その人をあたかも自分の下僕のように見下し、たまたま古い友人が暑さ、寒さの見舞いに訪ねてくると、金でも借りに来たのではないかと疑って、居留守を使うというような不実な人間の例を今まで何度も目にしてきたのだ。

又、その反面では、主君に忠義の限りを尽くし、父母に考廉を尽くすという評判が高く、身分ある人を尊敬し、身分低く貧しい人を助けるという立派な心を持ち合わせていながら、常に貧しくて、真冬の寒中を只一枚の裘(かわごろも)で起き伏し、夏の酷暑には着た切りの帷子(かたびら)を洗濯する余裕もなく、豊年の年にも朝夕お椀一杯の粥で腹を満たしやっと飢えをしのぐというような人は、つきあって何の得にもならないせいか、一人の友人が訪れる事もなく、かえって兄弟親族からも出入りをさしとめられ、交際を断わられたりするが、その恨みを訴える方法もなくきゅうきゅうとして一生を終わる人もいる。それならばその人が生業に不熱心であるかと見てみれば、そうではなく、朝は早くから起きだして、夜は遅くまで生業に精を出し、東奔西走するありさまで、さらに余裕もなく、其の人が愚かでもないのに、その才覚はたいてい的外れになってしまうことが多いのだ。

こういう人は昔顔回が瓢(ふくべ)を抱いて清貧を楽しんだというその境地に達することもできません。こうして零落し果てるのを、仏教では前世の因縁として説明し、儒教では天命だと教えている。もし来世というものがあるのなら、現世での人に知られない隠れた善行も来世の期待となるから、人々は一応憤懣を静めるであろう。とすれば富貴の道は仏教のみにその道理が尽くされ、儒教の教えは出鱈目だというのであろうか。

精霊(あなた)も仏の教えを拠り所となされているようだ。もしそれは違うというのであればお考えのほどを詳しくお聞かせください」。

語句

■席(むしろ)-敷物。ここは座し座っている場所の意。■ことわらせ給う-道理を説かれた。■大業-正当で立派な仕事。■紙魚(しぎょ)-しみ(書物を食う虫)。転じて現実を無視して書物にだけ噛り付いている学者などを罵る語。■一属(やから)-親族。■祖(みおや)より久しくつかふるもの-先祖代々から奉公してきた家人従者。■いきほひ-威勢。経済的繁栄をいう。■世にくだりしもの-落ちぶれた人。■あながちに-強引に。■奴(やつこ)-下僕、下人。■三冬-猛冬十月、仲冬十一月、季冬十二月を三冬という。■裘-「裘」は皮ごろものことだが、ここでは冬のただ一枚の衣類の表現。■三伏のあつき-夏の土用、極暑の間を初伏、中伏、末伏に分けていう。■葛-「葛」は葛の繊維で作った衣。かたびら。■通(みち)-往来、出入り。■汲々(きふきふ)として-務めても働いても及ばぬさま。■作業(なりはひ)-生業。■うとき-つたない。■顔子(がんし)-孔子の門人の顔回。■前業-前世からの因縁。■天命-天帝がおのおのの人間に定めた運命。■未来-ここでは来世。■陰徳-人に知られない善行。■善功-良い果報を受くべき功徳。■たのみ-報われるという期待。■荒唐-でたらめ。最初のふりがなは音訓。次のふりがなは語意を表す。■霊-翁(黄金の精霊)への呼びかけ。■憑(よら)せ給ふ-拠り所とする。■らめ-助動詞「らむ」の已然形。推量。

備考・補足

朗読・解説:左大臣光永

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