貧福論 四

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翁いふ。「君が問ひ給ふは往古(いにしへ)より論(ろん)じ尽くさざることわりなり。かの仏の御法(みのり)を聞けば、富と貧(まづ)しきは前世(さきのよ)の脩(よき)否(あしき)によるとや。此はあらましなる教へぞかし。前世にありしときおのれをよく脩(をさ)め、慈悲(じひ)の心専(もはら)に、他人(ことひと)にもなさけふかく接(まじ)はりし人の、その善報(ぜんほう)によりて、今此の生(しやう)に富貴の家にうまれきたり。おのがたからをたのみて他人(ことひと)にいきほひをふるひ、あらぬ狂言(まがこと)をいひののじり、あさましき夷(えびす)こころをも見するは、前世(さきのよ)の善心かくまでなりくだる事はいかなるむくひのなせるにや。仏菩薩(ぶつぼさつ)は名聞利要(みやうもんりえう)を嫌(いみ)給ふとこそ聞きつる物を、など貧福(ひんふく)の事に係(かか)づらひ給ふべき。

さるを富貴は前世(さきのよ)のおこなひの善(よか)りし所、貧賤(ひんせん)は悪(あし)かりしむくひとのみ説(とき)なすは、尼媽(あまかか)を蕩(とら)かすなま仏法ぞかし。貧福をいはず、ひたすら善を積(つま)ん人は、その身に来らずとも、子孫(しそん)はかならず幸福(さいはひ)を得(う)べし。『宗廟(そうべう)これを饗(うけ)て子孫これを保(たも)つ』とは、此のことわりの細妙(くはしき)なり。おのれ善をなして、おのれその報(むく)ひの来るのを待つは直(なほ)きこころにもあらずかし。又悪行慳貪(あくごふけんどん)の人の富み昌(さか)ふるのみかは、寿(いのち)めでたくその終(をはり)をよくするは、我に異(こと)なることわりあり。霎時(しばらく)聞かせたまへ。

我今仮(かり)に化(かたち)をあらはして語(かた)るといへども、神にあらず仏にあらず、もと非情(ひじやう)の物なれば人と異(こと)なる慮(こころ)あり。いにしへに富める人は、天(あめ)の時に合(かな)ひ、地の利をあきらめて、産を治(をさ)めて富貴となる。これ天の随(まにまに)なる計策(たばかり)なれば、たからのここにあつまるも天のまにまになることわりなり。又卑吝貪酷(ひりんどんこう)の人は、金銀を見ては父母のごとくしたしみ、食(くら)ふべきをも喫(くら)はず、穿(き)べきをも着ず、得がたきいのちさへ惜(をし)とおもはで、起(おき)ておもひ臥(ふし)てわすれねば、ここにあつまる事まのあたりなることわりなり。我もと神にあらず仏にあらず、只これ非情(ひじゃう)なり。非情のものとして人の善悪を糾(ただ)し、それにしたがふべきいはれなし。

善を撫(なで)、悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。三ツのものは道なり。我がともがらのおよぶべきにあらず。只かれらがつかへ傅(かしづ)く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金(かね)に霊(れい)あれども人とこころの異(こと)なる所なり。また富みて善根(ぜんごん)を種(うう)るにもゆゑなきに恵(めぐ)みほどこし、その人の不義をも察(あき)らめず借(かし)あたへたらん人は、善根なりとも財(たから)はつひに散ずべし。これらは金の用を知(しり)て、金の徳を知らず、かろくあつかふが故(ゆゑ)なり。

現代語訳

老翁は答えた。「貴殿の問われたことは、昔から論じられながら、まだ結論の出ていない道理なのだ。仏の教法を聞けば、富貴と貧乏は前世での善悪によって定まるとか。これは粗雑であてにならぬ教えである。前世にあった時、自分をよく修め、慈悲の心を専(もっぱ)らに、他人にも情け深く交際した人が、その善因の報いとして、現世で富貴の家に生まれてきて、自分の財力を頼りに他人に威勢を震い、あらぬ戯言をののしり、あさましい粗野で残忍な心を見せるとすれば、いかなる報いで、前世での善心がここまでなりさがらなければならないのか。仏菩薩は名誉・外聞、私利私欲を嫌うと聞いているが、なぜ富貴や卑賎のことにかかずらわられるのか。

それを富貴は前世の行いの善い所、貧賤は悪い所への報いであると説くのは、無知な女、女房どもをたぶらかすいい加減な仏法であるぞ。貧福のことなど問題とせず、ひたすら善行を積み上げる人は、たとえ自分自身では得られなくても、その子孫は必ず幸福を得ることができるのだ。例えば中国古代の聖天子舜(しゆん)は徳において聖人であり、位において天子であり、富は国内のすべてを所有したが、舜の徳によって、その祖先は天子の礼をもって祀られ、その子孫は地位と名誉と富と長寿を保つことができたのであり、『中庸』がこのことを『宗廟(そうべう)これを饗(うけ)て子孫これを保つ』といったのは、善行がおのずからそれに応じた善報になるという道理を、微妙に具体的にいいえたものである。自分が善行をして、その善報を待つのは素直な心とは言い得ぬであろう。又、悪徳行為を行い、欲深く人の物をむさぼり自分の物を惜しむ人が富み栄えるだけでなく、長寿を全うしてめでたい終焉を迎えることの道理については、自分には他とは異なる意見があるのだ。しばらく聞いていただこう。

自分は今仮に姿を現して語っているものの、神でもなく仏でもなく、本来、非情の精霊(もの)であって、人間とは違う考え方を持っているのだ。昔、豊かになった人は、天の時に合い、地の利を明らかにして、生業に精を出し富貴になったのだ。これは天の意志に沿う方法で、財貨がここに集まるのも天の意志に従った道理である。又、卑しく、ケチで貪欲残酷な人は、金銀を見ると、父母に接するように親しみを覚え、食うべきものも食わず、着るべきものも着らず、二つとない命さえも惜しいとも思わず、寝ても覚めても金銀の事を忘れることがない。そこに金銀が集まるのは眼前に見るようにあきらかな道理なのだ。わしはもともと神でもなく仏でもなく、ただ非情な物なのだ。その非情のものとして人間の善悪を糺したり、それに従う必要もないのだ。

善をいとしみ、悪事を罰するのは、天であり、神であり、仏なのだ。この三つのものは人間の『道』である。我ら非情の物が及ぶところではない。我ら非情の物は只、それぞれの人が大切に扱い、この上なく大事にしてくれる礼儀正しい所に集まるということを知っておいていただきたい。ここが金に霊があっても人とは心の違うところなのだ。又、富豪になって善行を施すにもわけもなく恵みを施し、其の人の義に反する行いも明らかにせずお金を貸し与える人は、たとえそれが善行といえども財貨は最終的には散逸して無くなってしまうものだ。これは金の使い道は知っていてもその値打ちを知らず、軽々しく扱ったためである。

語句

■脩(よき)否(あしき)-善功を修めるか修めないか。■あらましなる-大ざっぱな、粗雑な。■かし-終助詞。文末に付き強く念をおす。…よ。…ね。■たから-財力。■狂言(まがごと)-道理に合わぬこと。■夷こころ-粗野で乱暴で残忍な心。■名聞-名誉、外聞。■利要-「利養」で私利私欲。■尼媽-「尼」も「媽」も女を罵る語。無知愚昧な女どもというほどの意。■蕩(とら)かす-たぶらかす。■なま仏法-「なま」は接頭語的に名詞・動詞等について、未熟な、不完全な、中途半端な、などの意をあらわす。「なま仏法」は似非(えせ)仏法、いい加減な仏法の意。■宗廟-本来は帝王の先祖の霊屋をさすが、転じて祖先の霊をいう。■細妙(くはしき)-微妙な表現。■直きこころ-まっすぐで正直なこころ。■悪行(あくごふ)-悪徳の行為。来世において悪果を招く種類の行為をいう。■慳貪(けんどん)-欲深く人の物をむさぼり自分の物を惜しむこと。仏教十悪の一つ。■ことわり-道理。「非情の物」として人とは異なった存在の論理をさす。■霎時(しばらく)-ちょっとの間。■非情-感情の無い物。金属などをいうが、諸種の「生」物が人間や神仏と通じ合うという考え方に対して、それとは異質な、しょせん「物」は「物」でしかない物をさす。一種の物質主義。■あきらめて-明らかにする。■産-仕事、農・工・鉱・漁の生業を主にいうのであろう。■随(まにまに)-ここでは「意志に従って」、「思いどうりに」、「・・・ままに」。■計策(たばかり)-ここでは「方法」の意。■卑吝貪酷-品性が卑(いや)しく、吝(しわ)く<金銭などを出し惜しみするさま。けちだ。しみったれている。>、残忍でむさぼる。■穿(き)べきを-一般的には「穿るべき」とあるところ。■ここに-「卑吝貪酷の人」の所に。■まのあたりなることわりなり-眼前に見るように明らかな道理。■糺し-理非、善悪、罪過を明らかにすること。■それに-明らかにされた善悪の判定結果に。■撫(なで)-いつくしみ。■道-人間の行うべきとする教え。■傅(かしづ)く-この上なく大事にすること。■こころ-心情、心性。■善根-善果を招くはずの善行。■種(うう)る-行い施すことを、比喩的に「根」を「種(うう)る」(植る)としたのである。■不義-道理の立たぬこと。■貸し-近世では、「借」と「貸」は混用されていた。■散ずべし-散り失せる。■用-用途、使用法。■徳-値打ち、本当の役割。

備考・補足

■中庸-[名・形動]1 かたよることなく、常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。また、そのさま。「―を得た意見」「―な(の)精神」2 アリストテレスの倫理学で、徳の中心になる概念。

朗読・解説:左大臣光永


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