【徒然草】亡き人の思い出 忘れられない一言

こんにちは左大臣光永です。

先日、猫のケンカを見ました。龍安寺の門前にいつもいる茶トラが、パーッと駆け出して、黒猫を追っていきました。

睨み合いがはじまりました。最初から茶トラが優勢で、黒はにらみ負けてました。

やがて黒猫はひきさがっていきました。茶トラはしばらく睨みつけて、そのまま立ち去りました。

猫のケンカにはルールがあるそうです。基本的には睨み合いで勝負が決まり、実際の武力行使に至ることはまれであると。にらみ負けたら負け……

人類も殴り合うぐらいまでで止めておけばよかったのにと思います。

本日は『徒然草』より、「亡き人の思い出」というテーマで語ります。

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雪のおもしろう降りたりし朝(あした)、人のがり言ふべき事ありて、文(ふみ)をやるとて、雪のことなにとも言はざりし返事(かえりごと)に、「この雪いかが見ると一筆のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人の仰せらるる事、聞き入るべきかは。返々(かえすがえす)口をしき御心(みこころ)なり」と言ひたりしこそ、をかしかりしか。
今はなき人なれば、かばかりの事もわすれがたし。

徒然草 第三十一段

雪が見事に降った朝、人のもとへ言うべき事があって、手紙を送る時に、雪のことを何とも言わなった返事に、「この雪いかが見ると一筆もおっしゃらない、そんなひねくれ者のおっしゃる事を聞き入られるでしょうか。返す返すも情けないお心です」と返事をしてきたのは、感慨深いことであった。

その人は今は故人であるので、これだけのことでも、忘れられないのだ。

八(やつ)になりし時、父に問ひて言はく、「仏は如何(いか)なるものにか候ふらん」といふ。父が言はく、「仏には人のなりぬるなり」と。又問ふ、「人は何として仏には成り候ふやらん」と。父又、「仏の教へによりてなるなり」と答ふ。又問ふ、「教へ候ひける仏をば、なにが教え候ひける」と。又答ふ、「それも又、さきの仏の教へによりて成り給ふなり」と。又問ふ、「その教へ始め候ひける第一の仏は、如何なる仏にか候ひける」といふ時、父、「空よりやふりけん、土よりやわきけん」といひて、笑ふ。

「問ひつめられて、え答へずなり侍りつ」と、諸人(しょにん)に語りて興じき。

徒然草 第二百四十三段

八歳になった時、父に質問していわく、「仏はどんなものでございましょうか」と言った。父が言うには「仏には人がなったのだ」と。また質問した。「人はどうやって仏に成りましたのでしょう」と。父はまた、「仏の教えによってなったのだ」と答えた。又質問した。「教えました仏を、なにが教えましたのでしょうか」と。又答えた、「それもまた、その前の仏の教えによって仏におなりになったのだ」と。又質問した。「その教え始めなさった第一の仏は、どんな仏でございましょうか」と言った時、父は、「空から降ってきたのかな。土からわいてきたのかな」といって、笑った。

「問い詰められて、答えられなくなりました」と、父はいろいろな人に語って面白がった。

語句

■がり 「が在り」の訳とされる。その人のもと。 ■ひがひがしからん人 ひねくれた人。

メモ

■得難きは風流を共有する友。そういう人ほど離れていく。

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朗読・解説:左大臣光永

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