第百三十三段 夜の御殿は東御枕なり

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夜の御殿(おとど)は東御枕(ひがしみまくら)なり。おほかた、東を枕として陽気を受くべき故に、孔子も東首(とうしゅ)し給へり。寝殿のしつらひ、或は南枕、白河院(しらからのいん)は、北首(ほくしゅ)に御寝(ぎょしん)なりけり。「北を忌む事なり。又、伊勢は南なり。太神宮の御方(おおんかた)を御後(おおんあと)にせさせ給ふ事いかが」と、人申しけり。ただし、太神宮の遥拝(ようはい)は巽(たつみ)に向はせ給ふ。南にはあらず。

口語訳

天皇の御寝所は東の御枕である。おおかた、東を枕として陽気を受けるために、孔子も東枕であられた。貴族の邸宅のしつらいは、東枕あるいは南枕であるのが常の事である。白河院は、北枕 にお休みになられた。「北は忌む事である。また、伊勢は南である。伊勢神宮の御方に御足をお向けになるのは、いかがなものか」と、人が申した。ただし、天皇が清涼殿からはるかに伊勢神宮を拝まれる時は、東南にお向きになった。南ではなかった。

語句

■夜の御殿 清涼殿の御寝所。 ■孔子も東首し給へり 「疾ある時、君之を視れば、東首して、朝服を加へ、紳をひく」(論語・郷党)による。 ■寝殿 貴族の邸宅。 ■しつらひ 設備のありよう。 ■白河院 白河上皇。応徳3年(1086年)より院政。大治4年(1129年)没。77歳。白河院が北枕にしたのは、藤原氏の氏寺・氏社である興福寺・春日社を足蹴にする勢いであったという説があるも不明。 ■御寝 お休みあそばした。寝る、の最高敬語。 ■太神宮 伊勢の皇大神宮(内宮)と豊受神宮(外宮)の総称。明治以降は「大神宮」に統一。 ■御跡 足のあるほう。 ■太神宮の遥拝 「遥拝」は遠くから拝むこと。天皇が毎朝清涼殿で東南の方角の伊勢神宮を拝んだことを言う。

メモ

■なぜ白河院は北枕?
■前段の鳥羽の作道から白河院へ連想

朗読・解説:左大臣光永

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