第百七十三段 小野小町が事

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小野小町が事、きはめてさだかならず。衰へたるさまは、玉造と言ふ文(ふみ)に見えたり。この文、清行(きよゆき)が書けりといふ説あれど、高野大師(こうやのだいし)の御作(ごさく)の目録に入(い)れり。大師は承和(じょうわ)のはじめにかくれ給へり。小町が盛りなる事、その後の事にや、なほおぼつかなし。

口語訳

小野小町の事は、まるではっきりしない。衰えた様子は、玉造という書物に見えている。この書物は、三善清行が書いたという説があるが、弘法大師の著作の目録には入っている。大師は承和のはじめにお亡くなりになった。小町が女ざかりであったのは、その後のことであろうか。やはり、はっきりしない。

語句

■小野小町 平安初期の歌人。六歌仙の一人。『古今集』以下勅撰集に入集。たいへんな美女であったことと歌がうまかった以外は、具体的なことはわからない。 ■きはめて まことに。 ■玉造 『玉造小町壮衰書』落魄した美女のありさまを描いたもの。しかし主人公の衰えたかつての美女が、小町のことかははっきりしない。 ■清行 三善清行。参議。延喜18年(918年)没。72歳。博学で漢詩文の作者として知られる。または、阿部清行を当てる説も。 ■高野大師 弘法大師空海。真言宗の祖で、高野山に金剛峰寺を開いた。 ■承和のはじめ 承和二年(835年)3月21日。「承和」は仁明天皇の時代の年号。小町の出生は「820年から830年まての間」とされるので、空海が入寂した時まだ小町は少女であったはず。 ■御作の目録 弘法大師の著作の目録。 

メモ

■花の色はうつりにけりな
■頼朝のしゃれこうべ
■088 四条大納言

朗読・解説:左大臣光永

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