第二百十五段 平宣時朝臣、老の後、昔語りに

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平宣時朝臣、老の後、昔語りに、「最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、ある宵の間(ま)に呼ばるる事ありしに、『やがて』と申しながら、直垂(ひたたれ)のなくてとかくせしほどに、又使来りて、『直垂などのさぶらはぬにや。夜なれば異様(ことよう)なりともとく」とありしかば、萎えたる直垂、うちうちのままにてまかりたりしに、銚子(ちょうし)に土器(かわらけ)とりそへて持て出でて、『この酒をひとりたうべんがさうざうしければ、申しつるなり。肴こそなけれ、人はしずまりぬらん。さりぬべき物やあると、いづくまでも求め給へ』とありしかば、脂燭(しそく3)さして、くまぐまをもとめし程に、台所の棚に、小土器(こかわらけ)に味噌の少しつきたるを見出(みい)でて、『これぞ求め得て候』と申ししかば、『事足りなん』とて、心よく数献(すこん)に及びて、興にいられ侍りき。その世にはかくこそ侍りしか」と申されき。

口語訳

平宣時朝臣が、年老いて後、昔語りに、「最明寺入道(五代執権北条時頼)が、ある宵の間にお呼びになる事があったので、「すぐに」と申しながら、しかるべき直垂がなくてあれこれしている間に、また使いが来て、「直垂などがございませんのですか。夜であるのでどんな格好でも構いません。すぐに」とあったので、よれよれの直垂を着て、普段着のままで参上した所、銚子に素焼きの器を添えて持って出て、『この酒を独りでいただくのが物足りないので、来てくださいと申上げたのです。肴が無いのですが、人が寝静まっています。肴になるような物はないか、どこまでも探してみてください」とあったので、脂燭をさして、すみずみまで探し求めるうちに、台所の棚に、小さな素焼きの器に味噌が少しついたのを見つけて、『これぞ見つけ出しました』と申し上げた所、『十分です」といって、こころよく何杯も酌み交わして、上機嫌になられた。その時代は、万事こんなふうでございました」と申された。

語句

■平宣時朝臣 大仏氏宣時(1238-1323)。武蔵守朝直の次男。執権北条貞時の連署(執権とともに職務にあたる役)。歌人としても有名で、『続拾遺集』以下の勅撰集に入集。 ■最明寺入道 執権北条時頼。百八十四段に登場。寛元4年(1246年)執権。30歳で引退。出家して道崇と称した。諸国漫遊の伝説で有名。最明寺は時頼の別邸であったが、康元元年(1256年)、寺にあらため出家した。鎌倉山の下。現在は塔頭(たっちゅう)の明月院のみが残る。時頼は宣時より十一歳年長。 ■直垂 武家の平服。 ■とかくせしほどに あれこれしている内に。 ■異様なりとも どんな格好でもいいから。 ■萎えたる よれよれの。 ■うちうちのままに 普段家にいる時のままで。 ■銚子 長い柄のついた金属製の器。酒を入れて注ぐ。後世の銚子(徳利)とは別物。 ■土器 素焼きの盃。 ■たうべん いただく。「飲む」「食ふ」の謙譲語。 ■さうざうしければ 物足りないので。 ■申しつるなり 来てくださいと、申し上げたのです。 ■さりぬべき物 肴になりそうな物。 ■脂燭(しそく3) 紙燭とも。松の木を細く削り、45センチほどの長さに切って、先端を焦がして脂を塗って点火する。手元に紙を巻く。 ■小土器 素焼きの小皿。 ■数献 盃をかさねるさま。 ■その世 その時代。時頼の治世は『徒然草』の推定成立年から70年以上昔。 ■

メモ

■五代執権北条時頼の思い出。184段、216段参照
■去りゆく鎌倉時代への憧憬

関連

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朗読・解説:左大臣光永

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