第二百十六段 最明寺入道、鶴岡の社参の次に

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最明寺入道(さいみょうじのにゅうどう)、鶴岡(つるがおか)の社参(しゃさん)の次(ついで)に、足利左馬入道(あしかがのさまのにゅうどう)の許(もと)へ、先(ま)づ使を遣して、立ち入られたりけるに、あるじまうけられたりける様、一献にうち鮑(あわび)、二献にえび、三献にかいもちひにてやみぬ。その座には亭主夫婦、隆弁僧正、あるじ方(がた)の人にて座せられけり。さて、「年毎(としごと)に給はる足利の染物、心もとなく候」と申されければ、「用意し候」とて、色々の染物三十、前にて女房どもに小袖に調(ちょう)ぜさせて、後につかはされけり。

その時見たる人の、近くまで侍りしが、語り侍りしなり。

口語訳

最明寺入道(五代執権北条時頼)が、鶴岡八幡宮に参詣のついでに、足利左馬入道のもとへ、前もって使いを遣わして、立ち寄られた時に、主人として接待されたその様子は、最初の膳にはのし鮑、二番目の膳にはえび、三番目の膳にはかいもちひで終わりになった。その座には亭主である足利夫婦と、隆弁僧正が主人側の人としてお座りになっていた。さて、「毎年いただいています足利の染物が、待ち遠しいです」と申されたので、「用意してございます」といって、色々の染物を三十疋、最明寺入道らが並み居る前で女房たちに小袖に仕立てさせて、後からお届けになったという。

その時見た人で、最近まで存命でございました人が、語りましたことです。

語句

■最明寺入道 五代執権北条時頼。前段参照。 ■鶴岡 鶴岡八幡宮。鎌倉雪ノ下に鎮座。源頼義が康平6年(1063年)由比ヶ浜に石清水八幡宮を勧請したのが始まり。治承4年(1180年)源頼朝が現在の位置に移した。 ■社参 神社に参詣すること。 ■足利左馬入道 足利義氏(1189-1254)。左馬頭。母は初代執権北条時政の娘。妻は三代執権北条泰時の娘。北条氏とは深いつながりがある。承久の乱(122年)で武勲を立てた。仁治2年(1241年)出家。 ■立ち入られたりけるに お立ち寄りになった折に。 ■あるじもうける 主人として客をもてなす。饗応。 ■一献・二献・三献 最初の膳・二番目の膳・三番目の膳。 ■うち鮑 のしあわび。鮑の肉を薄く細く切り、干したもの。 ■かいもちひ ぼた餅説とそばもち説があり定まらない。 ■亭主夫婦 家の主人足利義氏とその妻。 ■隆弁僧正 石清水八幡宮別当。四条大納言隆房の小。権僧正。歌人としても知られ『続後撰集』に入集。 ■あるじ方 主人側。 ■足利の染物 足利の染め物。足利は足利氏の本拠地。栃木県足利市。 ■三十 三十疋。一疋は二反。 ■前にて 時頼らが並み居る前で。 ■小袖 袖口を狭く仕立てた衣類。 ■調ぜさせて 仕立てさせて。 ■近くまで侍りしが 最近まで生きていた者が。

メモ

■古き執権時代の素朴な接待の場面
■ほほえましい君臣の交わり
■兼好の時代、時頼の子孫の高時が、足利左馬入道の子孫の高氏に滅ぼされた。

朗読・解説:左大臣光永

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