平家物語 十一 東宮立

こんにちは。左大臣光永です。

大学生のころ、練馬区の中村橋にある先輩のボロアパートに数人で集まって、夜通し酒飲んでダラダラ喋りました。

夜の始まりは、コンビニ行って、スナック菓子や酒の買い出しをしました。それがまた、ワクワクしました。

いかにもこれから夜を徹してダラダラするんだな~という実感がこみ上げるからです。

くだらないことを延々と喋っているうちに、白白と夜が明けてくる。あれは実に、楽しい時間でした。

深夜のコンビニで酒類を買いながらワイワイ騒いでる大学生たちを見ていて、大学時代のことを思い出しました。

本日は『平家物語』の第十一回「殿下乗合(てんがののりあひ)」です。

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内容

後白河上皇はご出家の後も、平家の横暴に悩んでいた。

そんな中、重盛の次男、資盛(すけもり)を乗せた車が、鷹狩の帰り道、摂政藤原基房(もとふさ)の車と行きあった。本来、下馬の礼におよぶべきところ、資盛方は押し通ろうとしたため、摂政基房方は資盛方に暴行を加えた。

資盛が六波羅にもどって事の次第を報告する。怒る清盛。なだめる重盛。清盛は侍どもに命じて、来る高倉天皇御元服の日、摂政基房の車を襲撃せよと指示する。

抜粋

猪熊堀河の辺(へん)に、六波羅の兵(つはもの)ども、ひた甲(かぶと)三百余騎、待ち受け奉り、殿下を中にとり籠め参らせて、前後より一度に時をどッとぞくりける。前駆御随身どもが今日をはれとしやうぞいたるを、あそこに追つかけ、爰(ここ)に追つつめ、馬よりとッて引きおとし、散々に陵礫(りょうりゃく)して、一々にもとどりをきる。

……

忠仁公、昭宣公より以降(このかた)、摂政関白のかかる御目にあはせ給ふ事、いまだ承り及ばず。これこそ平家の悪行のはじめなれ。

語句

■嘉応元年七月十六日 1169年。高倉天皇即位の翌年。後白河の出家は『玉葉』『百錬抄』によれば6月17日。 ■一院 後白河上皇。 ■わく方なし 分く方なし。区別できない。院の御所が天皇の内裏のように繁盛してことをいう。 ■北面 上皇親衛隊。白河上皇の創設。院の御所の北面に詰所があったため。上北面は四位・五位。下北面は六位。 ■あきだらで 飽き足らないで。 ■あっぱれ ああ。感動詞。 ■うとからぬどち 親しい仲間同士。 ■貞盛、秀郷が将門をうち 平定盛・藤原秀郷が平将門を討伐したこと。『将門記』『太平記』などにしるす。 ■頼義が貞任・宗任をほろぼし 奥州前九年の役(1051-1063)で、源頼義が安倍貞任・宗任を討伐したこと。 ■義家が武衡、家衡をせめたりし 頼義の子が義家。後三年の役(1083-1087)で清原武衡・家衡を討伐した。 ■しかるべからね あってはならないこと。あるべきではない。 ■王法 仏教で、国王の定めた法令。仏法に対して世俗の政治・法律・慣習。 ■去んじ 去にしの音便。去る。 ■嘉応二年十月十六日 1170年。『玉葉』によると7月3日。7月と11月では季節感がまるで異なる。演出効果を狙ったもの? ■新三位中将資盛卿 新三位中将は三位中将のうちの新参者。資盛は仁安元年(1166)越前守。養和元年(1181)右権中将。寿永2年(1183)従三位。つまりこの事件があった時点では「新三位中将」ではなく「越前守」。 ■十三になられける 平資盛は応保元年(1161年)生まれ(『愚管抄』)。これが正しければ十歳。 ■雪ははだれにふったりけり 雪がはらはらとまばらにふっている様子。 ■紫野・蓮台野 京都市北区。船岡山の西麓。蓮台野は火葬場。 ■右近馬場 京都市上京区。北野天満宮東南あたり。 ■終日 ひねもす・ひめもそ。一日中。 ■御摂禄 摂政。この時、高倉天皇摂政は藤原(松殿)基房。屋敷(松殿)は中御門大路の南、東洞院大路にあった。 ■郁芳門 いくほうもん・ゆうほうもん。大内裏東側最南の門。大炊御門(おおいのみかど)とも。 ■大炊御門猪熊 大炊御門大路(東西)と猪熊小路(南北)が交差する地点。 ■殿下 てんが。摂政・関白への尊称。 ■はなづきに参りあふ ばったり出会う。 ■いらでけれども 「いらづ」は、せかす。督促する。 ■礼儀骨法 礼儀作法。「骨法」は物事の基本や枠組み。 ■つやつや~知らず まったく知らず。 ■そら知らずして 知らないふりをして。とぼけて。 ■禅門 出家せず家にいながら仏門に入っている者。入道に同じ。 ■浄海があたりをはばかり給ふべきに 清盛の親類・縁者には気を遣えと。 ■左右なく さうなく。容赦なく。遠慮なく。 ■恨み奉らばや お恨み申し上げないことがあろうか。 ■頼政・光基 源頼政は源中政の子。平治の乱の生き残りで源氏の長老格。源光基は源光信の子。ともに源頼光の子孫。 ■尾籠 失礼。無作法。おこ(痴)に当てた漢字(尾籠)を音読みしたもの。 ■あやまって殿下へ無礼の由を申さばやとこそ思へ 間違って摂政様に無礼を働いたことのお詫びを私はしたいと思っている。 ■こはらか 無骨。 ■難波・妹尾 ともに平家の家人。難波は難波次郎経遠。備前の人。妹尾は妹尾太郎兼康。備中妹尾の人。 ■来る二十一日 嘉応二年(1170)十月二十一日、高倉天皇御元服(『玉葉『山槐記』) ■前駆御随身 せんぐみずいじん。「前駆(せんぐ)」は貴人外出の時騎馬に乗って先駆けをする。「随身(ずいじん)」は貴人外出の時、警護にあたる近衛の役人。摂政の御随身は10人。「御」は敬意をこめる接頭語。 ■御加冠 元服後、はじめて冠をつけること。 ■拝官 任官。 ■御直盧 宮中の摂政・関白・大臣・大納言などが休憩する部屋。 ■ひきつくろはせ 身だしなみ整えて。 ■待賢門 大内裏東側南から二番目の門。 ■中御門を西へ御出なる 松殿基房の車は、中御門東洞院の屋敷を出て、中御門大路を西へ進み、待賢門から大内裏に入ろうとしていた。中御門大路は現丸太町通りの一部が重なる。 ■猪熊堀河 猪熊小路 中御門大路(東西)と猪熊小路・堀川小路(南北)の交差する地点。現元離宮二条城の北。 ■ひた甲 全員が甲冑を着て。 ■しやうぞいたる 着飾っている。 ■陵轢 りょうりゃく。侮り踏みにじること。 ■もとどりをきる 死よりもきつい恥辱と考えられていた。 ■右の府生武基 右近衛の府生である武基。府生は六衛府・検非違使の下役人。 ■藤蔵人大夫隆教 藤原隆教。藤原忠隆の子。大夫は律令制で五位の者をいう。 ■鞦 牛馬の尻から背にかける組み緒。 ■胸懸 むながけ。むながい。鞅。牛馬の胸のあたりにかける組み緒。 ■神妙なり 感心である。 ■御車ぞひ 牛車の左右に従う舎人。 ■さい使 先使。国司が赴任するにあたって、その国の在庁官人に知らせる使。 ■御車仕ッて 御車に付き添って。 ■中御門の御所 松殿基房の屋敷=松殿。 ■申すもなかなかおろかなり 言葉にして表現することもできないという意味の慣用表現。 ■大織冠 藤原鎌足。大化3年(647)天智天皇が鎌足に授けた史上唯一の官位。 ■淡海公 鎌足の次男、不比等の諡。 ■忠仁公 太政大臣藤原良房の諡。娘の明子(あきらけいこ)は文徳天皇に嫁ぎ、惟仁親王(清和天皇)を生んだ。 ■昭宣公 関白藤原基房の諡。 ■など重盛に夢をば見せざりけるぞ どうして重盛に夢を見せて知らせなかったのだ? ■栴檀は二葉よりかうばし 栴檀(白檀)は芽を出した時からふくよかな香りを漂わせている。すぐれた人物は子供の頃から違うということわざ。

……

清盛が命じて摂政基房の車を襲撃させた、重盛はいさめという話になっていますが、『玉葉』によると事情はまったく違い、重盛が命じて摂政基房の車を襲撃させたとなっています。

清盛を悪人に、重盛を善人に描こうとした『平家物語』作者の作為が見えます。

次回「鹿谷(ししのたに)」に続きます。

朗読 平家物語

朗読・解説:左大臣光永