平家物語 十四 願立

引き続き、『平家物語』を読んでいきます。

前回は、

加賀国・白山寺の大衆が、加賀国国司・師高と目代・近藤判官師経(ともに西光法師の息子)の罷免をもとめて白山の神輿を振り上げ、延暦寺のふもと・東坂本まで迫ったところまででした(「俊寛沙汰 鵜川軍」)。

本日は第十四回「願立(がんだて)」です。比叡山の法師たちが関白師通(もろみち)を呪詛した、「平家物語」本編より80年ほど昔の事件が語られます。

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第十三回「俊寛沙汰 鵜川軍」

第一回「祇園精舎」

内容

加賀国白山寺の大衆が東坂本に到着すると、延暦寺の大衆は国司加賀守師高と目代近藤判官師経の処罰を朝廷に訴える。

しかし朝廷ではグズグズして、事が決まらない。

「加茂川の水、双六の賽、山法師。これぞわが心のままにならぬもの」

白河院がそう言ったというが、それくらい、寺社の訴えは昔からやっかいなものだった。

嘉保2年(1095)、美濃守源義綱(みののかみ みなもとのよしつな)が庄園を没収しようとして、比叡山の僧を殺害したことがあった。

日吉の社の社司、延暦寺の寺官らは朝廷に訴えるが、関白師通(もろみち)の命令で阻まれ、死傷者が出た。比叡山の上級の僧たちがこの事を朝廷に問いただそうとしたが、武士や検非違使に追い返された。

そこで比叡山では、山王七社の神輿を本堂に振り上げ、七日間関白師通を呪詛した。

「関白殿に鏑矢ひとつ射かけたまえ」という祈りが通じたのか。次の日、関白の家の庭に櫁(しきみ。モクレン科。仏事で使う植物)が一枝立っていたのは恐ろしいことだった。

関白殿の母上は、七日七夜の間日吉社に参詣し、祈った。

七日目に、巫女に山王権現が降り立ち、託宣が下った。託宣にいわく、

「関白殿の母上は三つの願立てをした。関白殿の命を助けてくれるなら、一つは日吉社に参詣する障害者病人の間まじって、1000日の間、奉仕すると。

二つには大宮の橋殿から八王子の社(ともに日吉社境内の摂社)まで、廻廊を作ると。

三つには八王子の社で法華問答講(『法華経』について問答講釈すること)を毎日行うと。

前の二つはわりとどうでもいいが、法華問答講はそうあってほしいことだ。

ただし日吉社の神人らが殺されたことは残念だ。すべて願いをきくわけにはいかない。法華問答講をほんとうに行うなら、関白殿の命を三年のばしてやろう」

そこで母上は、紀伊の国田中の荘を寄進し、それ以降法華問答講を絶やさなかった。

三年の後、託宣のとおりに関白殿は帰らぬ人となった。

このように昔から、寺社の訴えはやっかいなことだった。

語句

■客人(まらうど)の宮 比叡山の東麓にある山王二十一社の内の上七社を山王七社という。客人宮はその一。山王七社は大宮・二宮・客人宮・聖真子・八王子・十禅寺・三宮。 ■白山名利権現 十一面観音菩薩を本地仏とする神。白山の山岳信仰と修験道が融合した、神仏習合の結果、仏教と結びついた。 ■父子の御仲 白山 加賀国白山中宮は白山妙理権現の子とされていたため。 ■沙汰の成否 訴訟が成功するか失敗するか。 ■生前(しょうぜん)の御悦(おんよろこび) 二神(白山名利権現と白山中宮)は生前父子であったので、再開を喜んだと。 ■浦島が子の、七世(しつせ)の孫にあへりしにも過ぎ 「尋ねて七世の孫に値はず」(浦島子)。 ■胎内の者の… 釈迦の子ラゴラは母耶輸陀羅女(やしゅだらにょ)の胎内にあった時、釈迦が出家した。後に霊鷲山で父と再会した。 ■七社 比叡山の東麓にある山王七社。 ■法施 仏などに向かい経を読誦し法文を唱えること。 ■言語道断 言葉で言い表すこともできない。 ■御裁断 裁判の決定。 ■大蔵卿為房 寛治2年(1105)山門の訴えで阿波権守に左遷された。 ■大宰権帥季仲 長治2年(1105)日吉社の訴えで周防国に流された。 ■事の数にやはあるべきに 物の数にも入ろうか。入らない。「やは」は反語。 ■子細にや及ぶべき あれこれ言う必要があろうか。ない。 ■慶滋保胤(よししげ の やすたね)『本朝文粋』(ほんちょうもんずい)に「大臣禄を重んじて諫めず、小臣罪を畏れて言はず、下情上通せず、これ患の大なるものなり」。慶滋保胤は平安時代中期の儒学者。賀茂氏出身。 ■当山を御帰依あさからざる 越前平泉寺が比叡山延暦寺を本寺としたこと。 ■非をもって理となす どんな非道をやっても認めなさいと。 ■江帥匡房卿(ごうぞつきょうぼうのきょう) 大江匡房。永長二年(1097)権中納言・大宰権帥兼任。 ■もだしがたし 白河院の台詞。「もだす」は黙る。黙っていられない。 ■嘉保二年 1095年。美濃守源義綱は陸奥守源義家の弟。頼義の子。『中右記』嘉保二年十月条に記事。 ■新立(しんりゅう)の庄(しょう)を倒(たふ)すあひだ 新しくできた庄園を廃止しようとして、 ■山の久住者 比叡山に長く住んでいた者。 ■申文 訴状。 ■後二条関白殿 関白藤原師通。頼通の孫。頼実の子。 ■大和源氏中務権少輔頼春 大和に住んだ源氏。新羅三郎源義光の弟、大和守頼親の子孫。頼治は正しくは頼治。 ■やにはに その場で。 ■諸司 ここでは寺に仕える寺官。 ■上綱等 寺務をとりしきる上級の寺官。 ■西坂本 比叡山の西麓。八瀬や大原がある。 ■信読の大般若 省略せずに最初から最後まで『大般若経』を読むこと。 ■結願(けつがん・けちがん) 法会の最終日。 ■導師 法会を主催する僧。 ■仲胤法印 権中納言藤原季仲の八男。説法の名人として知られる。『宇治拾遺物語』『古今著聞集』などに説話が伝わる。 ■供奉 朝廷内の道場に仕える僧。 ■表白(ひょうびゃく) 仏に申し上げる言葉。 ■なたねの双葉より 小さく幼い頃より。 ■鏑箭(かぶらや) 蕪は木や竹で植物の蕪の形を作り、中を空洞にして穴をあけたもの。鏑矢は先端に蕪をつけた矢。飛ばす時にひょうと音が鳴る。 ■大八王子権現 山王七社の一。八王子権現。仏教の守護神・牛頭天王の八人の息子を祭るが、神仏習合によりスサノオノミコトの八柱の御子神を祭ることともなった。 ■御格子 格子状の板を壁の上下にはめ、上部は釣り上げることができる。 ■樒(しきみ) マツブサ科シキミ属。仏事で使われる植物。 ■山王 比叡山のふもと、日吉社(現 日吉大社)のこと。比叡山の地主神である大山咋神(おおやまくいのかみ)と、天智天皇の大津京遷都(667)によって遷されてきた三輪山(大神神社)の大己貴神(おおなむちのかみ)を祭る。 ■大殿 先代の関白・太政大臣、藤原師実。 ■あらはれての 表に出しての。 ■芝田楽 芝の上で行われる田楽。田楽は当時の庶民の素朴な芸能。 ■一つ物 神社や寺で神事・仏事として行われる行事。「一つ物」と呼ばれる稚児が神幸行列に加わる。 ■競馬 馬を一定の距離走らせて勝敗を競う神事。競(くら)べ馬。 ■流鏑馬 馬を走らせながら的を射る競技。 ■百座の仁王講、百座の薬師講 百日間、高座を設けて『仁王経』を講義する。おなじく『仁王経』を講義すること。 ■一搩手半(いっちゃくしゅはん) 「搩手」は仏像などに使われる長さの単位。一搩手は親指と人差し指を伸ばした長さ。一搩手半はそれにその半分を足す。約1尺2寸(36センチ)。 ■参人(まゐりうど) 「まゐりびと」の音便。参詣者。 ■童神人(わらわみこ) 年少の巫女。 ■山王おりさせ給ひて 山王権現が童神人にとりつきなさって。 ■殿下 関白藤原師通。 ■下殿 一般の参詣者のいるところ。 ■かたは人(うど) 体に障害があり、回復を祈っている人々。 ■みやづかふ 奉仕する。 ■子を思う道にまよいぬれば 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・藤原兼輔)。 ■いぶせき事 むさくるしいこと。気味が悪いこと。 ■誠に哀れにおぼしめせ 巫女に乗り移った山王権現の台詞なので、自敬表現とも、また巫女から山王権現に対する敬語ともとれる。 ■大宮の波止土濃(はしどの) 橋殿。山王七社の一・大宮権現社の社前に橋のように架け渡して建てた社殿。 ■八王子の御社(おんやしろ) 山王七社の一・八王子社。 ■法花問答講 『法華経』について問答・討論する会。 ■退転なく 休みなく。 ■おろかならねども 疎遠にしないことがなくても=疎遠にしても。つまり、そこまでちゃんとやらなくてもいいと。 ■無下にやすかりぬべき事にありつるを まったくたやすい事であったのを。 ■宮仕 掃除などを行う下級の僧。 ■いかならむ世までも どんな世までも。いつまでも。 ■しかしながら そのまま。 ■和光垂跡(わこうすいしゃく)の御膚(おんはだえ) 山王権現の御神体。和光は仏が智慧の光を隠して煩悩に交わること。垂跡(垂迹)は仏が仏の本体(本地)をかくして神としてあらわれること(本地垂迹)。 ■まことそらごとは 本当か嘘かは。 ■かはらけ 素焼きの陶器。土器。 ■うげのいて 肌がはがれて。 ■始終の事 ぜんぶの事。 ■一定(いちぢょう) 確かに。 ■山王あがらせ給へり 山王権現がよりましの巫女の体を離れて天に昇り去っていかれた。 ■心肝にそうて 心に染みて。「そうて」は「そひて」の音便。 ■しかるべうさぶらふ そうであるべきでございます。関白の母は息子の寿命が三年延びたことについて、山王権現に感謝の意を表明している。しかし次の「泣く泣く」からそれが本心でないことがわかる。 ■田中庄 現在和歌山市田中町。 ■夢なれや 「や」は詠嘆。 ■永長二年 1096年。藤原師通は承徳三年(1099)6月28日没。38歳。 ■御瘡 はれもの。 ■まめやかに 本当に。実際に。 ■事の急に 病がすすみ危篤状態になったこと。 ■かならずしも父を先立つべとし伝ふ事はなけれども 必ずしも父が先に死に、子が後で死ぬというわけではないが。 ■生死のおきて 生ある者は必ず死ぬというきまり。 ■万徳円満の世尊 あらゆる徳をそなえた釈迦。 ■十地究竟(じゅうじくきょう)の大士(だいじ) 十地をきわめた菩薩。十地は菩薩が修行して得られる菩薩五十二位のうち下位から数えて四十一位から五十位までの十位。 ■慈悲具足 慈悲の心を備えた。 ■利物(りもつ)の方便 「利物」は衆生に利益を与えること。「物」は衆生。「方便」は方法。 ■御とがめなかるべしとも覚えず おとがめが無かろうとも思われない。作者は関白藤原師通に神罰仏罰が下ったことを、それも仏が衆生を利益する方便であるとして、肯定的に見ている。

山王権現とは?

というわけで、山王権現のたたりで、関白藤原師通が死んだという話でした。師通の母は3つの願立てして祈ったけれども、三年命がのびただけで、助からなかったと。

寺社の訴えというものがいかにやっかいなものかを示す例として、『平家物語』本編より80年ほど昔の出来事が語られる章です。

山王権現とは滋賀県大津市坂本の日吉大社に祀られる神の別名です。

その正体は、比叡山の地主神(じぬしがみ・土地を守護する神)である大山咋神(おおやまくいのかみ)と、天智天皇の大津京遷都(667)によって遷されてきた三輪山(大神神社)の大己貴神(おおなむちのかみ)です。

約2100年前の崇神天皇7年、比叡山の東麓に日枝社(ひえしゃ)が創建されました。日吉社(ひよしのやしろ)、日枝(ひえ・ひよし)山王社、日枝山王権現ともいいます。

広大な境内には21の摂社と多数の末社があり、摂社だけを数えて山王二十一社、摂社・末社あわせて山王百八社と称しました。山王七社とは山王二十一社のうちの上七社(大宮・二宮・客人宮・聖真子・八王子・十禅寺・三宮)をいいます。

平安時代に入って比叡山に延暦寺ができると延暦寺の鎮守の社となり、天台宗の護法神となり、神仏習合により「山王権現」として延暦寺と結びつきを強めていきました。

比叡山の僧兵が「強訴」といって都に繰り出す時には、日枝社(日吉社)の神輿をかついでいきました。歴代の天皇上皇もこれには逆らえず、やっかいなことでした。

次回『平家物語』第15回「御輿振(みこしぶり)」に続きます。

朗読 平家物語

朗読・解説:左大臣光永