平家物語 四十ニ 僧都死去(そうづしきよ)

原文

僧都うつつにてありと思ひ定めて、「抑(そもそも)去年(こぜ)少将や判官入道がむかへにも、是等(これら)が文と云ふ事もなし。今汝(なんぢ)がたよりにも、音づれのなきは、かうともいはざりけるか」。有王(ありわう)涙にむせびうつぶして、しばしはものも申さず。ややあツておきあがり、泪(なみだ)をおさへて申しけるは、「君の西八条(にしはちでう)へ出でさせ給ひしかば、やがて追捕(ついふく)の官人参ツて御内(みうち)の人々搦(から)め取り、御謀反(ごむほん)の次第を尋ねて、うしなひはて候(さうら)ひぬ。北の方はをさなき人を隠しかね参らツさせ給ひて、鞍馬(くらま)の奥にしのばせ給ひて候ひしに、此童(わらは)ばかりこそ、時々参ツて宮仕仕(みやづかへつかまつ)り候ひしか。いづれも御歎(おんなげき)のおろかなる事は候はざりしかども、をさなき人はあまりに恋ひ参らツさせ給ひて、参り候たび毎に、『有王よ、鬼界(きかい)が島(しま)とかやへ、われぐして参れ』と、むつからせ給ひ候ひしが、過ぎ候ひし二月(きさらぎ)に、痘(もがさ)と申す事に、失せさせ給ひ候ひぬ。北の方は其(そ)の御歎と申し、是(これ)の御事と申し、一かたならぬ御思(おんおもひ)にしづませ給ひ、日にそへてよわらせ給ひ候ひしが、同(おなじき)三月二日(ふつかのひ)、つひにはかなくならせ給ひぬ。いま姫御前ばかり、奈良の姑(をば)御前の御もとに、御わたり候。是に御文給はツて参ツて候」とて、取りいだいて奉る。あけて見給へば、有王(ありわう)が申すにたがはず書かれたり。奥には、「などや三人ながされたる人の、二人は召しかへされてさぶらふに、今まで御のぼりさぶらはぬぞ。あはれ高きもいやしきも、女の身ばかり心うかりける物はなし。をのこの身にてさぶらはば、わたらせ給ふ島へも、などか参らでさぶらふべき。この有王御供にて、いそぎのぼらせ給へ」とぞ書かれたる。僧都此文(このふみ)をかほにおしあててしばしは物も宣(のたま)はず。良(やや)あつて、「是見よ有王、この子が文の書きやうのはかなさよ。おのれを供にて、いそぎのぼれと書きたる事こそうらめしけれ。心にまかせたる俊寛が身ならば、何とてか此島にて三年(みとせ)の春秋(はるあき)をば送るべき。今年は十二になるとこそ思ふに、是程はかなくては、人にも見え、宮仕(みやづかへ)もして、身をもたすくべきか」とて、泣かれけるにぞ、人の親の心は闇にあらねども、子を思ふ道にまよふ程も知られける。「此島へながされて後は、暦(こよみ)もなければ、月日のかはり行くをも知らず。ただおのづから花の散り、葉の落つるを見て、春秋をわきまへ、蝉(せみ)の声、麦秋(ばくしう)を送れば、夏と思ひ、雪のつもるを冬と知る。白月(びやくぐわつ)、黒月(こくぐわつ)のかはり行くをみて、卅日をわきまへ、指を折ツてかぞふれば、今年は六つになると思ひつるをさなき者も、はや先立ちけるござんなれ。西八条(にしはちでう)へ出でし時、この子が我もゆかうどしたひしを、やがて帰らうずるぞとこしらへおきしが、今の様(やう)におぼゆるぞや。其(それ)を限(かぎり)と思はましかば、今しばしもなどか見ざらん。親となり子となり、夫婦(ふうふ)の縁をむすぶも、みな此世一(ひと)つにかぎらぬ契(ちぎり)ぞかし。などさらばそれらがさ様(やう)に先立ちけるを、今まで夢まぼろしにも知らざりけるぞ。人目も恥ぢず、いかにもして、命いかうど思ひしも、これらを今一度見ばやと思ふためなり。姫が事計(ばかり)こそ心苦しけれども、それはいき身なれば、嘆(なげ)きながらもすごさんずらん。さのみながらへて、おのれにうき目を見せんも我身ながらつれなかるべし」とて、おのづからの食事をとどめ、偏(ひとへ)に弥陀(みだ)の名号(みやうがう)をとなへて、臨終正念(りんじゆうしやうねん)をぞいのられける。有王(ありわう)わたツて廿三日と云ふに、其庵(そのいほり)のうちにて、遂にをはり給ひぬ。年卅七とぞ聞えし。有王むなしき姿にとりつき、天に仰ぎ地に伏して、泣きかなしめどもかひぞなき。心の行く程泣きあきて、「やがて後世(ごぜ)の御供仕(つかまつ)るべう候へども、此世(このよ)には姫御前ばかりこそ御渡り候へ、後世訪(とぶら)ひ参らすべき人も候はず。しばしながらへて御菩提訪(ごぼだいとぶら)ひ参らせ候はん」とて、ふしどをあらためず、庵をきりかけ、松のかれ枝(えだ)、葦(あし)の枯葉(かれは)を取りおほひ、藻塩(もしお)のけぶりとなし奉り、荼毘事(だびこと)終へにければ、白骨(はくこつ)を拾ひ頸(くび)にかけ、又商人舟(あきんどぶね)のたよりに、九国(くこく)の地へぞ着きにける。

現代語訳

僧都は現実であると受け入れて、「いったい去年少将や判官入道の迎えがきた時も、親族らの文ということもなかつた。今お前がたよりにも、連絡のないのは、この島にくると言わずに出てきたのか」

有王は涙にむせびうつ伏せになって、しばらくは物も申さない。しばらくして起き上がり、涙を抑えて申したことは、

「わが君が西八条へ出かけられましたら、すぐに召捕りの役人が参って身内の人々をからめ取り、ご謀反の次第を尋ねて、殺されてしまいました。

北の方はおさない人を隠しかねていらっしゃいまして、鞍馬の奥にしのばせなさってございましたのを、私一人が時々参って宮仕え申し上げてございました。

どちらも御嘆きは並々ではございませんが、幼い人はあまりに恋しく思われて、私が参ってございますたびごとに、

「有王よ、鬼界ヶ島とかやへ、私を連れて参れ」

と、だだをこねられてございましたが、去る二月に、痘(もがさ)と申す事で、お亡くなりになりました。

北の方はその御嘆きと申し、この御事(俊寛が流されたこと)と申し、並々ならぬ御思にお沈みになり、日につれて弱られてございましたが、同年三月ニ日、ついにお亡くなりになられました。

いま姫御前だけが、奈良のおば御前の御もとに、うつられてございます。ここに御文を賜ってもって参ってございます」

といって、取り出して差し上げた。あけて御覧になると、有王が申すにたがわず書かれている。

奥には、「どうして三人流された人の、二人は召還されてございますのに、今まで御のぼりにならないのですか。ああ身分の高いのも卑しいのも、女の身ほど残念な物はない。男の身にてございましたなら、いらっしゃる島へも、どうして参らないでございましょうか。この有王を御供として、急いでお登りくださいませ」と書いてある。

僧都はこの手紙を顔に押し当てて、しばらく物もおっしゃらない。ややあって、

「これ見よ有王、この子の文の書きようのたよりなさよ。お前を供にして、急いで登れと書いてある事の恨めしさよ。心のままになる俊寛の身ならば、どうしてこの島で三年の春秋を送るだろう。今年は十二になると思うが、これほどたよりなくては、結婚して、宮仕えもして、わが身を養うことができるだろうか」

といってお泣きになることに、人の親の心は闇ではないけれども、子を思う道にまよう程も知られた。

「この島に流されて後は、暦もないので、月日のかわり行くのも知らぬ。ただ時々花が散り、葉が落ちるのを見て、春秋を知り、蝉の声が響き麦の取り入れ時が終わると夏と思い、雪のつもるを冬と知る。月の満ち欠けのかわり行くのを見て、一ヶ月を知り、指を折って数えれば、今年は六つになると思っていた幼い人も、はや先立ったようだな。

西八条に出かけた時、この子が自分も行こうとしたのを、すぐに帰ってくるよとなだめすかしたのが、今のように思われるよ。

それが最後と思っていれば、もう少しどうして見なかったのか。親となり子となり、夫婦の縁を結ぶのも、みな現世だけの契ではないのだ。どうしてそれならばそれらがそのように先立ったのを、今まで夢まぼろしにも知らなかったのだ。

人目も恥じず、どうにかして、命生きようと思ったのも、これら(妻子)をもう一度見なくてはと思うためである。

姫の事だけが心苦しいが、それは生きている身なので、嘆きながらも何とか過ごすだろう。そういつまでも長らえて、お前に面倒をかけるのも、我が身ながら思いやりがないことだ」

といって、わずかな食事もとどめ、ひたすら弥陀の名号を唱えて、臨終の際正しく念仏して往生できるよう祈られた。

有王が島にわたって二十三日という日に、その庵のうちで、遂にお亡くなりになった。年三十七ということだ。有り王は亡骸に取りつき、天に仰ぎ地に伏して、泣きかなしんだがどうにもならない。

心の行くまで思い切り泣いて、

「すぐに後世の御供をつとめたくございますが、この世には姫御前だけがいらっしゃるものの、後世とむらい申し上げる人もございません。もう少し生きて、御菩提をとむらい申し上げましょう」

といって、寝床をあらためず、庵をきりかけ、松の枯れ枝、葦の枯葉を取り覆い、藻塩を焼くように煙となし申し上げ、火葬を終えると、白骨を拾い首にかけ、また商人船の便船で九州の地に着いた。

語句

■追捕 召捕り。 ■うしないはて候ひぬ 殺してしまいました。 ■参らッさせ給ひて 参らせさせ給ひての転。 ■鞍馬 京都北方。鞍馬寺のある山。 ■おろかなる事 並たいていであること。 ■むつからせ給ひ だだをこねなさって。 ■痘 天然痘。 ■日にそへて 日につれて。 ■あはれ高きもいやしきも… 慣用句。「あはれ、たかきもいやしきも、女の身ほどかなしかりける事はなし」(流布本平治物語・中・義朝敗北事)。 ■身をたすく わが身を養う。 ■人の親の心は… 「人の親の心はやみにあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・雑一 藤原兼輔)。 ■蝉の声… 「千峰の鳥路は梅雨を含み、五月の蝉の声は麦秋を送る」(和漢朗詠集・上・蝉 李嘉祐)。 ■麦秋 麦が色づく時期。初夏。旧暦四月の異名。 ■白月 一ヶ月の一日から十五日まで。 ■黒月 十五日から三十日まで。 ■ごさんなれ …であるようだな。…であるらしいな。…であるよな。 ■さのみ そういつまでも。 ■つれなかるべし 思いやりがないだろう。 ■臨終正念 臨終に際して正しく念仏して往生すること。 ■藻塩のけぶり 塩を生成するために海藻を焼く煙。 ■荼毘事 火葬。 

原文

それよりいそぎ都へのぼり、僧都の御娘のおはしける所に参ツて、ありし様(やう)、始(はじめ)よりこまごまと申す。「なかなか御文を御覧じてこそ、いとど御思(おんおもひ)はまさらせ給ひて候ひしか。件(くだん)の島には、硯(すずり)も紙(かみ)も候はねば、御返事(おんへんじ)にも及ばず。おぼしめされ候ひし御心の内、さながらむなしうてやみ候ひにき。今は生々世々(しやうじやうせせ)を送り、他生曠劫(たしやうくわうごふ)をへだつとも、いかでか御声をも聞き、御姿をも見参らツさせ給ふべき」と申しければ、ふしまろび、こゑも惜しまず泣かれけり。やがて十二の年尼になり、奈良の法華寺(ほつけじ)に、勤(つと)めすまして、父母の後世を訪(とぶら)ひ給ふぞ哀れなる。有王は俊寛僧都の遺骨(ゆいこつ)を頸(くび)にかけ、高野(かうや)へのぼり、奥院(おくのゐん)に納めつつ、蓮花谷(れんげだに)にて法師になり、諸国七道修行(しゆぎやう)して、主(しゆう)の後世をぞ訪(とぶら)ひける。か様(やう)に人の思歎(おもひなげき)のつもりぬる、平家の末こそおそろしけれ。

現代語訳

それより急いで都へのぼって、僧都の御娘のいらっしゃる所に参って、あったことを、始からこまごまと申す。

「かえって御文を御覧に入れたことが、たいそう御思いを強くなさったのでございましょうか。件の島には、硯も紙もございませんので、御返事にも及びませんでした。思われてございました御心の内は、そのままなくなってしまい、お亡くなりになりました。今はいくつもの生き死にを経て、生まれ変わりを繰り返し長い時間をへだてても、どうして御声を聞き、御姿をも拝見することができまょう」と申したところ、姫は倒れこみ、声も惜しまず泣かれた。

すぐに十二の年尼になって、奈良の法華寺に、尼としてお勤めして、父母の菩提を弔われたのは哀れなことであった。

有王は俊寛僧都の遺骨を首にかけ、高野にのぼり、奥の院に納める一方、蓮華谷で法師になり、全国あらゆる地を修業して、主人の後世を弔った。

このように人の思嘆のつもった、平家の行く末の恐ろしいことである。

語句

■生々世々 繰り返す現世と来世。 ■他生曠劫 正しくは多生曠劫。何度も生まれかわって非常に長い時間を過ごすこと。 ■ふしまろび 倒れこみ。 ■法華寺 奈良市にある尼寺、法華滅罪寺。藤原不比等邸宅跡、紫微中台跡とされる。 ■蓮華谷 高野山の集落。 ■七道 東海・東山・南海・西海・北陸・山陰・山陽の七道。日本全国。

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朗読 平家物語

朗読・解説:左大臣光永