七月 文月

文月

七夕に短冊に詩歌を書いて上達を願ったり、願いごとを書いたりする風習から文月とよぶとされます。

山開き

日本には古来山岳信仰があります。神聖な山とされる霊山には、山伏や修験者などしか入れませんでした。

しかし江戸時代に山岳信仰の流れをくむ「講」が各地に作られると、経験者の導きで一般の人も登山できるようになりました。その登山が許される最初の日が山開きです。

富士山の山開きは現在は7月1日、山仕舞は8月26日です。

江戸時代に富士講とよばれる組合があり、そこに加わる人々が登山の経験者の先導で富士詣に向かいました。白の装束に杖をつき、「六根清浄」を口々に唱えながら登りました。

また江戸では浅間神社(富士山の神であるコノハナノサクヤビメを祀る)の境内に富士塚といって富士山を模した塚をつくり、そこに参拝すれば富士山に参拝したと同じ功徳があるとしました。

川開き

川での納涼や水遊び、鮎漁などの解禁日。京都ではこの頃から鴨川沿いに川床が出て、夏の近いことを実感できます。

暑中見舞い

暑中見舞いは親しい人に挨拶状を送り、ともに暑さを乗り切りましょうという気持ちを伝えるものです。

梅雨明けから立秋(8月7日頃)までに出すのが一般的で、立秋をすぎると「残暑見舞い」として送ります。

もともとは挨拶の品をもって訪問する習慣からきています。

小暑

二十四節気のひとつ。新暦の7月7日から22日あたり。しだいに暑さが増してきます。梅雨明け時で集中豪雨が多いです。

七夕

七夕は五節供のひとつ。7月7日の夜に牽牛星と織女星が天の川をわたって年に一度だけ会うことを許されるという七夕伝説に、芸事の上達を願う「乞巧奠(きこうでん)」、そして日本古来の棚機津女(神様を迎えるために神衣を織る乙女)伝説、禊やお盆の習慣があわさった行事です。

「七夕」と書いて「タナバタ」と読むのは「棚機津女」の神事に由来します。

七夕の行事は土地によってさまざまですが、一般には五色の短冊に願い事を書いて笹竹に結び、庭に立てて星祭をします。

しかし実際にはこの時期、天の川は見えにくいので、一ヶ月遅れの8月に七夕をする地域もあります(京都はそうです)。

七夕伝説

天帝が、機織りばかりする娘の織姫を心配して、働き者の若者、牽牛と結婚させる、

ところが二人はあまりにも好きあって、ちっとも働かなくなる、

怒った天帝は二人を天の川の両側に引き離すが、今度は悲しむばかりでやはり働かない。そこで働くことを条件に一年に一度だけ会うことを許したとというのが後漢時代に生まれた話です。

織姫はこと座のベガ、牽牛はわし座のアルタイルのことで、これに白鳥座のデネブを二人を引き合わせるカササギに見立て、「夏の大三角形」とします。

中国には七夕の夜に天の川にカササギが羽をひろげて、牽牛と織姫を引き合わる伝説があり、二人が渡るので七夕にはカササギの首の毛が抜け落ちるといいます。

乞巧奠と棚機津女

中国の乞巧奠は、織女にあやかった行事です。七夕の夜に供え物をして、短冊に歌や文字を書いて、裁縫や書道の上達を祈りました。

日本の棚機津女は水辺に張り出した棚の上で神様をお迎えするための神御衣(かみこ)を織る乙女のことで、奈良時代から棚機津女を祀っていました。

七夕伝説に「乞巧奠」「棚機津女」そして、日本古来の禊やお盆の習慣があわさって、日本の七夕行事となったのです。

七夕飾り

願い事を書く五色の短冊の五色とは、青、赤、黄、白、黒(むらさき)であり、中国の陰陽五行説にもとづき、魔除けの意味があります。

飾り物は神衣(かみこ)、網飾り、巾着、吹き流し、千羽鶴、くずかごなどがあり、

神衣は機織津女の織る神様の着物「神御衣」をあらわし、裁縫技術の向上や、着るものに困らないという祈りをこめ、

網飾りは、幸せにすくいあげられることや、大漁豊年をあらわします。

七夕送り

七夕送りは七夕飾りを海や川に流す行事で、天の川に流れ着くと願いが叶うと言われています。

お盆の前

また七夕はお盆の前であり、お盆にそなえて身を清めるという側面もあります。七夕の日に子供や家畜に水浴びをさせる「ねむた流し」、8月に行われる東北地方の「ねむた祭」も、お盆前に身を清める意味あいのものです。

そうめん

そうめんを七夕に食べることも。中国で7月7日に死んだ子を供養するため「索餅」という菓子を供えたという話が日本につたわり、七夕に「索餅」を食べて無病息災を祈るようになりました。この「索餅」がそうめんの原型とされます。

祇園祭

祇園祭は京都東山区の祇園社(八坂神社)の祭礼で、日本三大祭
の一つ(ほかは東京の山王祭、または神田祭と大阪の天神祭)。

もとは旧暦の6月に行われたが、現在は7月に行われます。

7月1日の「切符入り」から始まり大小さまざまな行事が一ヶ月にわたって行われますが、中にも、17日の山鉾巡行とその前日の宵山は絢爛豪華で有名です。

祇園祭は正式には「祇園御霊会」といい、貞観11年(869)(天禄元年(970)説も)疫病が流行ったとき、疫病退散を願って66本の鉾を立てて、祇園の神(牛頭天王)をまつる御霊会を行ったのが起源とされます。

牛頭天王はインド由来の神で、疫病をもたらす存在でしたが、しだいに疫病を封じ人々を守護する神として信仰されていきました。明治の廃仏毀釈で祇園社は八坂神社となり、守護神の牛頭天王もスサノオノミコトとなりました。

山鉾巡行がはじまったのは南北朝付時代から。応仁・文明の乱で中断するも明応9年(1500)京都町衆の力で復興されました。江戸時代に入ると山鉾巡行や行事の形式が整い、ほぼ現在の祇園祭の形になったといいます。

天明8年(1788)京都を襲った「天明の大火」で山鉾も被害を受けましたが、火事のあとはいっそう豪華になり装飾も凝ったものになっていきました。

朝顔市・ほおずき市

夏は朝顔市、ほおずき市が全国で開催されます。東京入谷の鬼子母神で有名な真源寺の朝顔市や、浅草の浅草寺境内のほおずき市が有名です。

7月10日は4万6千日とよばれる観音の命日。この日一日参詣しただけで4万6千日参拝したのと同じ功徳が得られる、とされ、浅草寺には全国から多くの人が参拝します。前日の9日と10日が縁日で、この時、ほおずき市が立ちます。

ほおずきは観賞用でもあり実が皮に包まれているため、厄除けの縁起物でもあり、

また、お盆に帰ってくるご先祖さまの進む道を照らす提灯にも見立てられます。

土用の丑の日

「土用」とは立春、立夏、立秋、立冬の前18日のことですが、一般には立秋の前の夏の土用だけをいい、7月下旬にあたります。

土用の最初の日を「土用の入り」といい、暑い夏を乗り切るため、養生になるものを食べる習慣があります。「土用しじみ」「土用餅」「土用卵」など。

「土用鰻」は土用中の丑の日に鰻を食べると精がついて夏を乗り越えられるというもの。

鰻が養生になることは古くから知られていたようで、『万葉集』巻16に大伴家持が痩せ身の石麿(いわまろ)をからかう歌があります。

石麿にわれ物申す夏痩に良しといふ物そ鰻(むなぎ)取り食(め)せ

しかし「土用の丑の日」にうなぎを食べる習慣は、江戸時代からです。

一説に、平賀源内が、暑い夏に鰻が売れなくて困っていた鰻屋に看板を頼まれて、「本日土用丑の日」と書いた。するとうなぎが飛ぶように売れたということで、

言葉の力でモノを売った、平賀源内は日本初のコピーライターともいわれます。

また一説に、文政年間、江戸の鰻屋春木屋善兵衛が、大名から大量の注文を受けた。それで土用の子の日、丑の日、寅の日と三日間にわたって鰻を焼いて蓄えておいた。後で取り出してみると、丑の日に焼いたものだけが色も形も変わってなかった。ここから土用の鰻を特別にするようになったともいいます。

鰻、梅干し、うどん、うりなど「う」のつくものを食べると夏バテにきくともいいます。

ただし「天ぷらとすいか」「鰻と梅干し」など「食べ合わせ」には注意しないと腹を壊すと、科学的根拠はありませんが、言われています。

大暑

大暑は二十四節気の一つ。新暦の7月23日から8月6日頃まで。夏至から一ヶ月後で、一年でもっとも暑い時期です。

隅田川の打ち上げ花火

隅田川の打ち上げ花火は現在、7月の最終土曜日に行われています。

江戸時代の両国の川開きは旧暦の5月28日。この夜は花火が上がり、江戸っ子たちは「玉屋」「鍵屋」と声を上げて楽しみました。川岸には出店がならび、水上では屋形船や伝馬船が行き交い、にぎやかなイベントでした。

享保18年(1733)前年の疫病による死者の冥福を祈って両国で水神祭が行われた時に打ち上げたのが始まりとされます。

この時に花火を担当したのが有名な花火職人、六代目鍵屋弥兵衛(やへえ)という男です。最初は20発という小規模なものでしたが、年々規模が大きくなっていきました。

後に鍵屋の番頭・静七がのれん分けを許され、初代玉屋市兵衛を名乗りました。

江戸の庶民は両国橋をはさんで

「玉屋ーーー鍵屋ーーー」

と掛け声を上げました。ここからわかるように、後発組の玉屋のほうが人気が出ました。

しばらく鍵屋と玉屋の二極体制が続きますが、

天保14年(1843年)玉屋は火事を出してしまい、しかもその日はちょうど将軍徳川家慶が日光に参詣する前日でしたので、玉屋は江戸の退去を命じられてしまいました。

しかし、玉屋なき後も玉屋の花火をしたう江戸庶民の声は大きかったようです。

橋の上玉屋玉屋の声ばかりなぜに鍵屋と言わぬ情無し

隅田川の花火大会は幕末の動乱期や太平洋戦争の時など一時的な中断はありましたが今日まで連綿と続いています。

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おぼえておきたい年中行事 音声解説つき

朗読・解説:左大臣光永