八月 葉月

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葉月

葉月は「葉落ち月」の略。旧暦では7月からすでに秋であり、葉が落ちる月ということです。

八朔

八朔とは旧暦の8月朔日(一日)。新暦の8月下旬にあたり「田の実の節供」といいます。「田の実」が「頼み」に通じることから、五穀豊穣をねがう「八朔祭」が行われました。

熊本県上益城郡山都町(やまとちょう)の八朔祭(はっさくまつり)、福井県三方郡美浜町(みはまちょう)の八朔祭は巨大な「作り物」で有名です。

8月1日は天正18年(1590)徳川家康が江戸に入府した日でもあります。家康はこの日を祝って、奉納相撲を行うようになりました。現在も各地の神社で、子供相撲大会などが開かれています。

立秋

二十四節気の一つ。新暦の8月8日頃。この日から暦の上では秋になり、暑中見舞いも残暑見舞いにかわります。

秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる(古今・藤原敏行)

お盆

先祖の霊を家に迎えて祀る魂祭を中心とした一連の行事。旧暦の7月15日前後。現在は一ヶ月遅れの(新暦)8月15日を中心に行う地域が多いです。

(季節感としては旧暦の7月15日あたりは新暦の8月15日あたりに相当すること、新暦の7月はまだ農村では農作業が忙しくお盆行事を行うにはそぐわないこと、新暦8月は学校や会社・役所の休みとも重なること。こういった理由で新暦8月にお盆を行うことが多いです)

一般に13日夕方に迎え火で迎え、15日から16日にかけて送り火で送りますが、細かい作法は全国にさまざまです。

盂蘭盆会の起源

お盆は正式には盂蘭盆会(うらぼんえ)といい、『仏説盂蘭盆経』に基づく仏事で、サンスクリット語のullambanaに由来します。

『仏説盂蘭盆経』の内容は、釈迦の十大弟子の一人、目連尊者は神通力をあやつる超能力者であった、

ある時、亡くなった母のことが恋しくなり、六道すみずみまで母の姿を探すと、

母は餓鬼道に落ちて、苦しんでいた。

「母上!」

木蓮はあわてて母に飯を差し出すも、一瞬で飯は炎に包まれてしまう。

ああどうしたらいいんだ!木蓮が釈迦に相談すると、

「夏の修行が終わった7月15日(僧自恣の日)に僧たちを集めて、
食事や果物を出して、どんどん食べさせなさい。
そうすれば、その一部がお前の母に届くでしょう」

言われたとおりにすると、僧たちにふるまった食物の一部が餓鬼道に落ちた母の喉にも届き、母は歓喜に包まれ、昇天したという話です。

盂蘭盆会の風習は早く日本に取り入れられ、『日本書紀』斉明天皇3年(657)7月15日の条に盂蘭盆会が行われた記事があり、

平安時代中期には貴族の行事として定着し、

室町時代には、災害や戦争で命を落とした人を供養する施餓鬼会とも習合し、またさまざまな民間の風習もあわさって、しだいにお盆行事の形が整っていきました。

盆入

盆入は通常、8月13日ですが、8月1日を釜蓋朔日(かまぶたついたち)といって、地獄の釜が開いて亡者が出てくる日として盆入にしたり、

8月7日(または7月7日)を七日盆(なぬかぼん)七日日(なぬかび)といって、この日を盆入りとして墓掃除をする地域も多いです。

精霊迎え・迎え盆

先祖の霊を家に迎え入れる行事。13日にする所が多いが6日や7日にする地域も。

行事内容は地域によってさまざまですが、「迎え火」といって家の門口や墓地で松や藁を炊くのが一般的です。ただし新盆の家でははやめに炊きます。迎える場所は地域によっては山・川・海辺など。

盆棚

先祖の霊を祀るための祭壇で、精霊棚(しょうりょうだな)とも。仏壇とは別に盆棚をもうけるのは、霊迎えの古い形態を残したものとされます。

通常、13日にこしらえるが、新盆の場合、1日から7日あたりに、はやめに作る場合が多く、庭先に高灯籠を掲げて他の先祖霊より早めに迎える風習もあります。

盆棚の祭り方は地域によってさまざまですが、

棚の四隅に若竹を立て、竹にオミナエシ、キキョウ、ハギなどの盆花(ぼんばな)をむすび、竹と竹の間に張り渡した縄に稲穂や鬼灯などをかけ、棚の上にはマコモの茣蓙をしいて、位牌を仏壇から移し、仏様の乗り物であるキュウリやナスで作った牛馬を置き、洗米やお茶、季節の野菜、団子、おはぎ、そうめんなどを供えます。

新盆(にいぼん)

亡くなって1年もしくは3年以内の新仏(しんぼとけ)・新精霊(あらじょうろう)を迎えて祀る盆。アラボン、ニイボン、ハツボンなどとも。通常は13日の夕方に先祖の霊を迎えるが、新盆ではそれより早く迎え、長い間祀ることが多い。

庭に高灯籠を掲げて迎えたり、祭壇も特別の棚を設けることが多い。

吉事盆(きちじぼん)

しばらく不幸のない家のお盆(通常の13日から迎えるもの)は、むしろめでたいということで「吉事盆」と呼ばれ、

「けっこうなお盆でございます」とか「めでたいお盆でおめでとうございます」とか挨拶を受けます。

施餓鬼会

餓鬼に食物を供する仏教の行事。仏教では生前欲の強く悪事を働いた者は死後、餓鬼道に落ちて、飢えと乾きに苦しむといいます。

施餓鬼会は平安時代以降、寺で行われ、特に戦乱や飢饉などで多くの人が死んだときにはその霊を鎮める意味からも行われました。

無縁仏

お盆に迎えるのは先祖の霊ですが、そこに餓鬼仏(がきぶつ)・外精霊(ほかじょうろう)などとよばれる無縁仏がついてくると考えられており、

そうした無縁仏に施すのがお盆行事としての施餓鬼会です。

先祖を迎える盆棚とは別に縁側や庭先など、家の外に棚をつくって供養する場合が多く、

先祖霊への供物は後に食べるが、無縁仏への供物は多くが捨てられます。

中元

中元は日頃お世話になっている人に贈り物を贈ることで、中国伝来の「三元節」のひとつとお盆が結びついたとされます。

「三元節」とは、1月15日の「上元」、7月15日の「中元」、11月15日の「下元(かげん)」のことで、神様に供物を捧げました。

この中元が日本に伝わり、お盆の時期と重なることから先祖を供養するとともに普段お世話になっている人に感謝の意をこめて贈り物をする風習となりました。

盆踊り

盆踊りはお盆に帰ってきた先祖の霊をなぐさめると共に、先祖霊についてきた無縁仏を鎮めるためのものです。現在はほぼ娯楽と化してますが…。

櫓を組んで、笛や太鼓、歌にあわせて浴衣姿の男女が輪になって踊る…そのにぎやかさは日本の夏の風物詩ですね。

生見玉

生見玉(いきみたま)、あるいは生盆(いきぼん)という風習は最近では少ないですが、両親健在の者が食物をもって実家を訪れ、両親とともに食事をするというもので、鯖などのいわゆる盆魚(ぼんぎょ・ぼんざかな)を使うことが多いようです。生魚を供えることで、生きている者への供養であることを、ことさらに強調します。お盆は仏教行事であるので生魚は使わないが、生見玉でのみは生魚を使うのも、死者ではなく生きている者への供養だからでしょう。

精霊送り

先祖の霊をあの世に送り出す行事。送り盆とも。15日か16日が一般的。門口や墓地で送り火を焚き、盆棚は片付けて供物は川に海に流したりします。

五山送り火

京都の夏の風物詩「五山送り火」は、いわば精霊送りを大規模にしたものです。江戸時代のはじめ頃、年中行事になったようです。

東山如意ヶ岳(にょいがたけ)(大文字山)の大文字
松ヶ崎(まつがさき)西山(万灯籠山)・東山(大黒天山)の妙・法
西賀茂明見山(みょうけんざん)の船型
大文字山(大北山)の左大文字(ひだりだいもんじ)
北嵯峨曼荼羅山(水尾山)の鳥居形(とりいがた)

の5つです。

午後8時の大文字の点火につづき、妙・法、船形、左大文字、鳥居形に火がつき、点火時間は30分ほどです。

送り火は厄除けの意味もあり、送り火が酒や水に映っているのを飲むと、中風避けになるといわれています。

五山送り火は明治の廃仏毀釈で一時途絶えましたが、その後復活して今に至ります。

地蔵盆

8月23日、24日頃に行われる、地蔵尊を祀る行事。近畿で盛んで、特に京都では各町内で子供の行事として行われます。町内の辻などに祀られている地蔵尊に化粧を施し、新しい衣装を着せ、前に筵をしき、かぼちゃ、ほおずき、鏡餅などの供物をそなえます。

終戦の日

昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、翌15日正午、昭和天皇による玉音放送で日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結しました。

日中戦争をふくむ戦没者は310万人と概算されています(資料によって差があります)。

昭和57年(1982)4月の閣議決定によって8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが定められました。

処暑

二十四節気のひとつ。立秋から半月後で新暦の8月23日ごろ。処暑は暑さが止まるという意味。実際は残暑きびしき折ですね。しかし夕方を過ぎると、風が秋の涼しさをおびてきます。

あかあかと日はつれなくも秋の風 芭蕉

この時期の台風を「野分(のわき)」といい、『枕草子』や『源氏物語』にも記されています。

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おぼえておきたい年中行事 音声解説つき

朗読・解説:左大臣光永

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