十一月 霜月

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霜月

霜の降りる月、「霜降月」の略。神々が出雲から帰ってくる「神帰月(かみきづき)」、収穫祝の神楽を奏する「神楽月」の異名もあります。

立冬

立冬は冬のはじめ。暦の上では立冬から立春の前日までを「冬」とします。このあたりから寒さが増し、冬支度をする目安になります。木枯らし第一号が吹くのもこの頃です。

酉の市

春をまつことのはじめや酉の市 榎本其角

11月の酉の日に、各地の大鳥(鷲、鳳)神社で行われる市のこと。お酉さまとも。熊手売りの威勢のいい掛け声は関東における晩秋の風物詩です。

酉の市は2回もしくは3回あり、一の酉、二の酉、三の酉といいます。三の酉まである年は火事が多いとされます。酉の市が行われるのは東日本のみで、西日本では1月10日の十日夷の祭りが相当します。

樋口一葉の『たけくらべ』に、江戸下谷(台東区千束)の鷲神社の酉の市の様子が、子供たちの目を通して生き生きと描かれています。

亥の子の祝い

旧暦11月は「亥の月」であり、11月最初の亥の日、亥の刻(午後9時-11時)は、「亥の子の祝い」が行われました。

子を沢山生むイノシシにあやかって、子孫繁栄や無病息災を祈るものです。イノシシの子に見立てた「亥の子餅」を食べます。

亥の子の祝いは西日本が中心で、東日本では「十日夜(とおかんよ)」が相当します。山の神様がふもとの田におりていたのを、ふたたび山に見送るという行事です。

七五三

11月15日を中心として、七歳、五歳、三歳の子供を連れて、近所の氏神さまに参拝する行事。子供の成長と無病息災を願います。

昔は子供が幼くして死んでしまうことが多かったため「七歳までは神の内」と言い、7歳を過ぎると、ようやく氏子となって氏神に認められるという伝承がありました。

「氏子入り」といって、七歳の子供がはじめて土地の氏神さまに参拝し、氏神さまからも地域社会からも、一員として認められるわけです。

それまでに段階を踏んで、3歳、5歳と成長を確認していく風習があり、これが七五三の原型です。

この年齡は本来、数え年ですが、年齡と性別の組み合わせは地域によってさまざまでした。現在では、女子が三歳と七歳、男子が五歳のときに行うのが一般的です。

千歳飴

江戸時代に浅草の飴売りが宮参りに売り始めたのがはじめ。長くのばした飴に、子供の長寿・無病息災への願いをこめます。

飴は紅白に塗られ、袋には鶴・亀・松などの縁起物が描かれます。袋の中には年の数だけ飴を入れるといいとされます。

報恩講

浄土真宗の祖師・親鸞聖人の忌日を中心に行われる法会。浄土真宗最大の行事。

親鸞聖人は弘長2年(1262)11月28日、京都三条富小路に入寂しました。

一人居て喜ばは二人と思うべし、
二人居て喜ばは三人と思うべし、
その一人は親鸞なり。

と言い残したとされます。

この日を中心に11月から1月にかけて浄土真宗の寺院では報恩講が催されます。

霜月に催されるので別名御霜月(おしもつき)とも。7夜8日にわたるので御七夜(おしちや)とも。

京都の東本願寺では11月21日から28日まで、西本願寺では1月9日から16日まで。全国の末寺や別院では本山と日付をずらして行い、これを御引上(おひきあげ)やお取越(とりこし)といいます。

農村では秋の収穫祭をかねることも。

勤労感謝の日

勤労感謝の由来は飛鳥時代から行われてきた「新嘗祭(しんじょうさい・にいなめのまつり)」です。

天皇が、その年はじめの穀物をお召し上がりになり、臣下にもふるまわれ、収穫を祝うものです。

即位後はじめての新嘗祭はとくに「大嘗祭」といいます。

後花園天皇(在位1428-64)以後中断しましたが、東山天皇(在位1687-1709)の時代に復活。

明治時代に入り新嘗祭として11月23日に定められました。

太平洋戦争後の1948年(昭和23年)、GHQの占領政策により天皇行事から切り離され「勤労感謝の日」と名を変え現在に至っています。

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おぼえておきたい年中行事 音声解説つき

朗読・解説:左大臣光永

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