『万葉集』より 高市黒人の歌

こんにちは。左大臣光永です。今日は静岡で一泊します。明日、藤枝市岡部町の清養寺というお寺で講演です。行基と鑑真について話してきます。今日は時間があるので駿府城公園でも歩いてみようと、わくわくしております。

本日は『万葉集』より、高市黒人(たけちのくろひと)の歌です。

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百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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日本の歴史 飛鳥・奈良
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京都講演■京都で声を出して読む 小倉百人一首
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高市黒人 伝未詳。柿本人麻呂と同じく、羇旅の叙景歌(旅の思いを景色にあわせて詠んだ歌)を得意とし、後の山辺赤人の作風につながっていきます。高市古人とも。

高市古人の近江の旧堵を感傷して作れる歌(或る書に伝はく、高市連黒人といへり)

古(いにしへ)の人に我あれや 楽浪(さざなみ)の 故き京(みやこ)を見れば 悲しき
(巻1・32)

私はいにしえの人ででもあるのだろうか?さざなみ寄せる旧き都(大津京)を見れば、悲しくなる。

天智天皇が築いた大津京は、壬申の乱で大友皇子が負けた後は捨て置かれ、荒れるに任せました。その跡地に立って、しみじみとした思いにひたっている歌です。

次もそうです。


楽浪の 国つ御神(みかみ)の 心(うら)さびて 荒れたる京(みやこ) 見れば 悲しも
(巻1・33)

さざ浪寄せる大津の都は国つ神(土地神)の威力が衰えて、荒れた都跡を見ると、悲しいことよ。


次は持統上皇の三河行幸の時の歌です。

二年壬寅(じんいん)に太政天皇(持統上皇)の参河国に幸(いでま)しし時の歌

何処(いづく)にか 船泊(ふなはて)すらむ 安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻(た)み行きし 枻無小舟(たななしおぶね)
(巻1・58)

歌意
どこに船を泊まらせているだろう。安礼の崎を漕ぎ廻って行った、船棚の無い小さな船は。「安礼の崎」は遠江浜名郡曳馬(ひくま)村(引馬野)の南方(現浜松市)。「枻無小舟」は船棚(船べりに渡した板)の無い小型の船。日中、消えて行った船のことを夜になってしみじみ思い出している歌。


次は持統上皇が吉野の離宮に行幸した時に高市黒人が詠んだ歌です。

太上天皇の吉野の宮に幸(いでま)しし時に、高市連黒人の作れる歌

大和には 鳴きてか来(く)らむ 呼子鳥 象(きさ)の中山 呼びそ越ゆなる
(巻1・70)

歌意
大和には今頃、呼子鳥が来て鳴いているだろうか。象の中山を人を呼びながら越えるという、その呼子鳥が。

「太上天皇」ここでは持統上皇。「象(きさ)の中山」は喜佐谷(きさだに)西側の象山(奈良県吉野郡吉野町)。


高市連黒人の近江の旧き都の歌一首

かくゆゑに 見じと言ふものを 楽浪の 旧き都を見せつつもとな
(巻3・305)

空しい気持になることはわかっているので、見ないと言ったものを、さざ波の旧き都(大津京跡)を見せるたびに空しい気持にさせることよ。

「もとな」は「本無し」の詠嘆表現。


高市連黒人の羇旅(たび)の歌八首

旅にして 物恋しきに 山下の赤(あけ)のそほ船 沖へ漕ぐ見ゆ
(巻3・270)

旅の途上にあって、なんとなく物恋しいところ、山の下の赤い丹を塗った船が沖へ漕ぎだすのが見えることだ。

「赤(あけ)のそほ船」は赤丹(あかに)を塗った船。「そほ」は赤い土。「赤の」と重ねることでさらに赤さを強調している。


桜田(さくらだ)へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 鶴鳴き渡る
(巻3・271)

桜田へ鶴が鳴き渡る。年魚市潟(あゆちがた)では潮が引いたらしい。鶴が鳴き渡る。

「桜田(さくらだ)」は名古屋市東部・南区。「年魚市潟」は桜田をふくむ一帯。


四極山(しはつやま) うち越え見れば 笠縫(かさぬい)の 島漕ぎかくる 棚無し小舟
(巻3・272)

歌意
四極山を越えていくときに見ると、笠縫の島に漕ぎ隠れていった棚無し小舟よ。

「四極山」は所在不明。「笠縫(かさぬい)の島」は所在不明。「棚無し小舟」は船棚(船べりに渡した板)の無い小型の船。


磯の崎 漕ぎ廻(た)み行けば 近江の海 八十の湊に 鵠(たづ)多(さは)に鳴く
(巻3・273)

歌意
岩場になっている岬を漕ぎめぐっていくと、琵琶湖のあちこちの湊に鶴が多く鳴いている。

「磯の崎」は岩場になっている岬。


わが船は 比良の湊に 漕ぎ泊てむ 沖へな離(さか)り さ夜更けにけり
(巻3・274)

私の船は比良の湊に船泊しよう。沖へ遠ざかるな。夜が更けたことよ。


何処(いづく)にか われは宿らむ高島の 勝野(かちの)の原に この日暮れなば
(巻3・275)

どこに私は泊まろう。高島の勝野の原に日が暮れてしまったなら。

「高島」は滋賀県高島郡。「勝野」は同郡高島町勝野。


妹もわれも 一つなれかも 三河なる 二見の道ゆ 別れかねつる
(巻3・276)

一本に伝はく、

三河の 二見の道ゆ 別れなば わが背もわれも 独りかも行かむ

歌意
妻も私も、身は一つであるせいだろうか。三河の二見の道から、別れづらいことよ。

ある本にいわく、

三河の二見の道から別れたなら、妻も私も独りで行くのだろうか。


とく来ても 見てましものを 山城の 高の槻群(つきむら) 散りにけるかも
(巻3・277)

歌意
早く来て見たかったのに。山城の多賀の槻の木々は、葉が散ってしまったことよ。

「高」は多賀。京都市綴喜郡井出町多賀。多賀神社がある。「槻群」はけやき。


高市連黒人歌二首

吾妹子(わぎもこ)に 猪名野(ゐなの)は見せつ 名次山(なすぎやま) 角(つの)の松原 いつか示さむ
(巻3・279)

私の愛しい妻に猪名野は見せた。名次山や角の松原をいつ見せられるだろう。はやく見せたい。

「猪名野」は兵庫県伊丹市一帯。「名次山」は兵庫県西宮(にしのみや)市名次町の丘陵。「角の松原」は武庫川(むこがわ)河口一帯。


いざ児(こ)ども 大和へ早く 白菅(しらすげ)の真野の榛原(はりはら) 手折りて行かむ
(巻3・280)

さあみんな、大和へ早く帰ろう。白菅の生える真野の榛原で枝を手折って行こうじゃないか。

「白菅」は白い菅。「真野の榛原」は神戸市長田区の東尻池町(ひがししりいけちょう)。


高市連黒人の歌一首

住吉(すみのえ)の 得名津(えなつ)に立ちて 見渡せば 武庫(むこ)の泊ゆ 出づる船人
(巻3・283)

住吉の得名津に立って見渡せば、武庫川の港から出ていく船人よ。「得名津」は大阪市住吉区住之江町(すみのえちょう)あたりから堺市浅香山町(あさかやまちょう)、遠里小野町(おりおのちょう)あたり


高市の歌一首

率(あとも)ひて 漕ぎ行く船は 高島の 阿渡(あと)の水門(みなと)に 泊(は)てにけむかも
(巻9・1718)

連れ立って漕ぎ出していった船は高島の阿渡の港で船宿りをしたのだろうかなあ。

「率(あとも)ひて」は連れ立って。「高島の阿渡(あと)の水門」は琵琶湖西岸。安曇川の河口。


高市連黒人の歌一首 年月不審

婦負(めひ)の野の すすき押しなべ 降る雪に 宿借る今日し 悲しく思ほゆ
(巻17・4016)

婦負(めひ)の野のすすきを押したらして降る雪の中、宿を借りる今日はまったく、悲しく思われるなあ。

「婦負(めひ)」は越中国の地名。富山県富山市中。

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百人一首 全首・全歌人 徹底詳細解説
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小倉百人一首の全首を、歌人の経歴、歌人同士のつながり、歴史的背景などさまざまな角度から楽しく、詳しく解説した解説音声+テキストです。単に歌を「覚える」ということを越えて、深く、立体的な知識が身につきます。

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飛鳥時代と奈良時代の事件や人物を年解説した解説音声とテキストです。メディアはdvd-romです。

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教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。旅のヒントにもなります。

京都講演■京都で声を出して読む 小倉百人一首
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4/28(日)17時~京都駅八条口徒歩10分。長福寺にて。最終回。小倉百人一首の歌を会場のみなさまとご一緒に読み、解説していきます。86番西行法師~

朗読・解説:左大臣光永

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