柿本人麻呂の歌(三)

こんにちは。左大臣光永です。週の半ば、いかがお過ごしでしょうか?

私は昨日、椎名町の焼き鳥屋で一人で飲んでたら、隣に座った人が、乾物屋の主人で、話しかけてきて、えらい話が盛り上がりました。乾物屋だから全国のラーメン屋に乾物をおろすらしく、ラーメンにやたら詳しくてですね。椎名町・東長崎・江古田界隈のラーメン屋について、大いに語りあいました。熱い夜でした。

さて、先日再発売しました。「聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良」。すでに多くのお買い上げをいただいています。ありがとうございます。
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本日は『万葉集』より柿本人麻呂の歌(三)です。

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柿本人麻呂の歌というと、「東の野に炎の立つ見えてかえり見すれば月傾きぬ」と、百人一首に採られた「あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長長し夜をひとりかも寝む」などが有名ですが、そういう短く有名な歌のほか、長歌にも味わい深いものがあります。

長歌。つまり長い歌です。声に出してみると、あらためて、あっ、人麿の長歌いいなと思うわけですよ。

字面見ると、長いし、なんか難しくて、わかんない言葉ばかりだし、外国語か?って感じで。実際、現在の言葉とぜんぜん違うんですが、これを声に出して読み上げると、あっ、いいな。ものすごく高揚感があるんですね。

わあっと高まってくる。しかもそんな、難しい内容を歌っているわけではないですからね。今回詠む歌も、ようするに、妻が死んで悲しいという、それだけの内容を、細かく、具体的に言ってるわけです。これは妻が死んで、悲しいという、ようするにそういう歌だよと。

最初におおざっぱな内容をつかんでから聞くと、理解がしやすいと思います。

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亡き妻を偲ぶ歌

柿本朝臣(かきのもとのあそん)人麿(ひとまろ)の妻死(みまか)りし後に泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて作れる歌二首あわせて短歌

天(あま)飛ぶや 軽(かる)の道は 我妹子(わぎもこ)が 里にしあれば ねもころに 見まく欲(ほ)しけど やまず行かば 人目を多み 数多(まね)く行(ゆ)かば 人知りぬべみ さね葛(かづら) 後も逢はむと 大船(おおぶね)の 思ひ頼みて 玉かぎる 岩垣淵(いわかきふち)の隠(こも)りのみ 恋(こ)ひつつあるに 渡る日の 暮れ行くがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻(も)の 靡きし妹(いも)は 黄葉(もみぢば)の 過ぎてい行(ゆ)くと 玉梓(たまづさ)の 使の言へば 梓弓 音に聞きて 言はむすべ 為むすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重(ちえ)の一重(ひとえ)も慰(なぐさ)もる 心もありやと 我妹子(わぎもこ)が やまず出(い)で見し 軽(かる)の市に 我が立ち聞けば 玉たすき 畝傍(うねび)の山に鳴く鳥の 声も聞こえず 玉桙(たまぼこ)の 道行く人も ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹(いも)が名呼びて 袖ぞ振りつる
(巻1・207)

軽の地は私の妻の里なので、じっくりと見たいと思うのだが、絶えず通えば人目が多いので、しょっちゅう行けば(二人の関係を)人が知ってしまうに違いない。

だから、さね葛ののように、後で逢おうと、大船を頼りにする気持ちで、岩に囲まれた淵のようにひっそりと隠れて私は恋しく想い続けていたのに、

渡る太陽が暮れるがごとく、照る月が雲に隠れるがごとく、沖を漂う海藻のように私に靡き寄っていた妻は、黄葉の散るように死んでしまったと、

玉梓(手紙)を携えた使者が言えば、その知らせを聞いて私は言うべき言葉も為すべきこと知らず、その知らせだけを聞いて、このままジッとしていることができず、この恋心の千分の一も慰められるだろうかと、

私の妻が、いつも出て見ていた、の軽の市に、私は立って市の雑踏を聞くと、畝傍山に鳴く鳥の声も聞こえず、道行く人も一人として妻と似た人はいないので、もうどうしようもなくて、妻の名を呼んで、袖を振るのだった。

語句
■泣血(いさ)ち哀慟(かなし)みて 激しく泣いて悲しんで。 ■天飛ぶ 天飛ぶ雁、から音の近い「軽」を導く。 ■軽の道 奈良県橿原市。畝傍山の近く。柿本人麻呂の妻の家があった。市が開かれた。 ■我妹子 私の妻。 ■ねもころに ねんごろに。 ■ぬべみ ~に違いない。 ■さね葛 びんなんかづら。「さね」が「さ寝」に、通じるので、男女が通じることを暗示する。 ■大船の 思ひ頼みて 大船をたのみにする気持ちで。 ■玉かぎる 「かぎる」は輝く。玉が輝く。岩が磨かれれば玉になって輝くことから、次の「岩」を導く。 ■岩垣淵 岩で囲まれて周囲から見えなくなっている淵。 ■沖つ藻の靡きし妹 沖に漂う海藻のように私に靡き寄っていた妻。 ■玉梓 手紙。 ■梓弓 梓の木で作った弓。それが音を立てるので、次の「声に聞きて」を導く。 ■あり得ねば このままじっとしていられない。 ■玉襷 「かけ」・「うね」などを導く。 ■玉桙の 「道」にかかる枕詞。 ■すべをなみ どうしようもなくて。

人麿の妻が亡くなったのです。その妻は、軽の里に住んでいました。軽の里とは奈良県橿原市。藤原京の西南にあり、ここには市が開かれました。人麿はその軽の里にいる妻の元に通っていたけれど、人目があるので、そうしょっちゅう通うわけにもいきませでした。

そんな中、妻が死んだと知らせが届きました。ああ…そんな!茫然となった人麿は、こらえきれず、だあっと、駆け出します。そして妻がいつも出ていた軽の市に出て、雑踏の中、妻の姿を探すけれど、どこにも妻に似た人はいない。どうしようもなく、ただ妻の名を呼び、袖を振った…という内容です。

とてもドラマチックで、人麿の慟哭の声も聞こえてきそうですね。雑踏の中、妻に似た人を探す人麿の姿が、映画のように強く印象に残ります。

これが長歌で、二首の短歌が附随しています。

秋山の 黄葉(もみぢ)を茂み 惑ひぬる
妹を求めむ 山道(やまぢ)知らずも
(巻1・208)

秋山の黄葉が茂っているので道に迷ってしまった妻を探そうにも、山道が不案内でわからない。ここでは黄葉が死の象徴として歌われています。妻は黄葉が茂っていて道に迷ってしまったというのは、妻は死の世界に迷い込んでしまったというわけです。

それを、捜しに行こうにも、私は死者の世界に訪ねて行く道を知らない。もう完全に妻とは、住む世界が隔てられてしまった、ということです。

黄葉(もみぢば)の 散りゆくなへに 玉梓(たまづさ)の
使を見れば 逢ひし日 思ほゆ
(巻1・209)

黄葉が散り行くにつれて、妻の死を知らせてきた使いを見ると、妻と逢っていた昔のことが思い出される。「なへ」は~につれて。「玉梓(たまづさ)」は、「たまあづさ」が転じたもので、手紙や手紙を届ける使者メッセンジャーのこと。昔、便りを運ぶ使者が、そのしるしとして梓の杖を携えたことから、たまずさ、たまあずさと言って手紙や手紙を届ける使者をさします。

明日は柿本人麻呂の歌(四)です。お楽しみに。

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聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良
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第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。

第二部「奈良時代篇」は、平城京遷都・長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。

教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。

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本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読・解説:左大臣光永

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