柿本人麻呂の歌(四)
こんにちは。左大臣光永です。日曜日の夜、いかがお過ごしでしょうか?
私はしばらく風邪を引いて寝込んでいました。風邪を引くと、普段できていた色々なことができなくなってビックリです。声が出ないのはもちろん、池袋まで歩く。息が切れてゼイゼイしました。ビンの蓋を開ける。いくら力入れても回らなくて、焦りました。いかに健康が貴いか、今さらながら実感しました。
さて本日は『万葉集』より柿本人麻呂の歌(四)です。
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柿本朝臣人麿の近江国より来し時に、宇治河の辺(ほとり)に至りて作れる歌一首
もののふの 八十(やそ)宇治川の 網代木に
いさよふ波の ゆくへ知らずも
(巻3・264)
宇治川の網代木に漂っている波の、行方の知れないことよ。
「もののふの八十」は「宇治」に掛かる枕詞。「もののふ」は朝廷につかえるさまざまな役人。「八十」は数が多いこと。朝廷に仕えるさまざまな役人は、多くの「氏」氏族から出ている、ということから、「もののふの八十」で「氏」=「宇治」を導く枕詞となります。
「網代木」は木や竹を編んで作った柵を川にかけて、魚を捕まえる仕掛けで、宇治川の風物です。
前書きに人麻呂が近江に行った帰りに宇治に立ち寄った時に作った歌とあります。近江は天智天皇の近江大津京があった所です。その近江で、人麻呂は荒れ果てた近江大津京の姿を目にしてショックを受けたのでしょう。
その帰り道の宇治川で、ああ…宇治川の水は網代木にひっかかって、浮いたり、沈んだり、その行方も知れない。歴史の流れも我々の人生も行方が知れないのだ、との感慨を深めたのでしょう。
近江(おうみ)の海(うみ) 夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
心もしのに いにしへ思ほゆ
(巻3・266)
近江の海…琵琶湖で、夕暮れ時に波が立っている。その波の間にいる千鳥よ、お前が鳴けば、心もしみじみと、昔のことが思われる。
これも荒れ果てた近江大津京を訪ねての感慨を歌ったものです。夕暮れ時の近江の海…琵琶湖に、波が立っている。その波の間に千鳥の姿が見える。ちいちいちいちい侘しく鳴いている。ああ…千鳥よ、お前のこの声を聞くと、昔のことがしみじみと思われるのだ、という歌です。
現在、琵琶湖は外来の水草が増えすぎて問題になっており、定期的に除去作業が行われているようです。二年前私が訪ねた時は、ぶ暑すぎる藻の上を、水鳥がゆうぜんと「歩いて」いくさまが見られました。
そして人麻呂の死ぬ時の歌です。
柿本朝臣人麿の石見(いわみ)国に在りて臨死(みまか)りし時に、自ら傷みて作れる歌一首
鴨山の岩根し枕(ま)けるわれをかも
知らにと妹(いも)が 待ちつつあるらむ
(巻3・266)
柿本人麻呂が石見の国にで臨終の時にみずから心痛めて作った歌一首。
ここ鴨山の地で岩を枕に死のうとしている私を、知らずに妻は待ち続けていることだろう。
「鴨山」の具体的な位置は不明ですが、奥さんを残して死んでいく人麻呂の心配している感じが、伝わってくる歌ですね。
さて人麻呂の死を受けて、
柿本朝臣人麿の死(みまか)りし時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)の作れる歌二首
今日今日とわが待つ君は石川の
貝に交りてありといはずやも
(巻3・267)
今日か今日かとお帰りを待っていた私の夫は石川の貝に交じっているというではないか。
直(ただ)に逢はば 逢ひかつましじ 石川に
雲立ち渡れ 見つつ偲はむ
(巻3・267)
直接お逢いすることはもう叶わないのですね。せめて石川のあたりの雲が立ち渡ってほしい。それを見て、あの人を偲ぶよすがとするから。
次回は室町幕府十代将軍・足利義稙についてお話しします。
本日も左大臣光永がお話ししました。ありがとうございます。ありがとうございました。
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