山辺赤人の歌

こんにちは。左大臣光永です。11月最初の土曜日、いかがお過ごしだったでしょうか?

私は昨日、渋谷に教科書の音声収録に行ってきました。四年ぶりです。一か所修正するだけだったので10分で終わりました。それにしても渋谷は怖い。ニガテです。2秒立ち止まったらうぜえ邪魔なんだよと飛び蹴り食らいそうな、殺伐とした感じ。早く池袋に帰りたい…そう思いながら山手線に飛び乗りました。

さて、先日再発売しました。「聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良」。すでに多くのお買い上げをいただいています。ありがとうございます。
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特典の「解説音声 額田王の歌」は、11月10日お申込みまでです。お申込みはお早目にどうぞ。

本日は『万葉集』より山辺赤人の歌です。山辺赤人は万葉集三期を代表する歌人で三十六歌仙の一人です。柿本人麻呂と同じく宮廷歌人でした。『万葉集』には長歌13首、短歌37首が採られています。

ことに景色を詠んだ歌・叙景歌に新しい境地を開きました。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Manyo03_317.mp3

不尽山(ふじのやま)を望む歌

天地(あめつち)の分れし時ゆ
神さびて 高く貴き
駿河なる 不尽(ふじ)の高嶺を
天(あま)の原 振り放(さ)け見れば
渡る日の影も隠らひ
照る月の 光も見えず
白雲(しらくも)も い行き憚(はばか)り
時じくぞ雪は降りける
語り継ぎ、言ひ継ぎ行かむ
不尽(ふじ)の高嶺は

(巻3・317)

反歌

田児(たご)の浦ゆ 打出(い)でて見れば真白(ましろ)にぞ
不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける

(巻3・318)

富士山を望んでの歌。

天と地が分かれた時から、
神々しく高く貴く、
駿河にある富士の高嶺を
大空を振り仰いでみると、
渡る日の、光も隠れてしまい、
照る月の、光も見えない。
白雲も富士山にさえぎられて進むことを憚り、
絶え間なく、雪は降っている。
語り継ぎ、言い伝えよう。
富士の高嶺の、すばらしい姿を。

「神さびて」は神々しく。「時じくぞ」は絶え間なく。

反歌。

田児(たご)の浦ゆ 打出(い)でて見れば真白(ましろ)にぞ
不尽(ふじ)の高嶺に雪は降りける

田子の浦を通って視界の開けたところに出てみると、
真っ白に富士の高嶺に雪が降り積もっている。

山辺赤人が東国を旅した時、富士山を見た感動を詠んだ歌です。ゆったりと雄大に歌い上げています。やや言葉を変えて百人一首に採られていることはよく知られていますね。

現在、静岡県富士市に田子の浦という地名がありますが、この赤人の歌に詠まれた万葉時代の田子の浦はもっと西、現在の蒲原・由井のあたりだと言われます。

次は724年、即位したばかりの聖武天皇の紀伊(和歌山)行幸に付き添った山辺赤人が、詠んだ歌です。長歌と反歌二首から成ります。

やすみしし わご大君の 常宮(とこみや)と 仕へまつれる 雑賀野(さいがの)ゆ 背向(そがい)に見ゆる 沖つ島 清き渚に 風吹けば 白波騒き 潮干(ふ)れば 玉藻(たまも)刈りつつ 神代より 然(しか)ぞ尊(とうと)き 玉津島山
(巻6・917)

反歌二首

沖つ島荒磯(ありそ)の玉藻潮干(しおひ)満ちて
い隠りゆかば思ほえむかも
(巻6・918)

若の浦に潮満ち来れば潟を無み
蘆辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る
(巻六・919)

わが大君の永遠の宮(皇居)として、私がお仕えしている雑賀野(さいがの)から、後ろに見える沖つ島。その清らかな渚に風が吹けば白波が騒ぎ、潮が干ると美しい海藻を昔からずっと刈り続けている、神代の昔からこの通り貴い姿の、玉津島山だよ。

「やすみしし」は「大君」にかかる枕詞。「わご」は「わが」が転じたもの。「常宮(とこみや)」は永遠の宮(皇居)のこと。「雑賀野」は和歌山市の西。雑賀崎。「背向(そがひ)」は後ろ。「沖津島」は玉津島。現在の奠供山(てんぐやま)のあたり。現在は陸続きですが、赤人の時代は島でした。

そして反歌が二首続きます。

沖つ島荒磯(ありそ)の玉藻潮干(しおひ)満ちて
い隠りゆかば思ほえむかも

沖の島の岩場の美しい海藻は、今潮が引いて見えているが潮が満ちて隠れてしまうと、さぞかし、その美しい海藻の姿がしのばれることだろう。

「荒磯(ありそ)」はごつごつして荒々しい岩場。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み
蘆辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る

若の浦に潮が満ちてくると干潟が無くなるので、蘆の生えているあたりを目指して鶴が鳴きながら飛んでいく。

若の浦(和歌の浦)は雑賀崎のすぐそばです。

これまで干潟があった和歌の浦にも潮が満ちてきて、鶴たちは居場所がなくなってくるわけです。そこでばさばさーーと、むこうの、蘆が群生しているあたりに飛んで行って、声を上げている。雰囲気のある感じです。

次は、翌725年、聖武天皇の吉野行幸にお伴をした山辺赤人が詠んだ歌です。長歌に付随して二首の反歌がありますが、ここでは長歌を省略して、反歌のみ詠みます。

み吉野の 象山(きさやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には
ここだもさわく 鳥の声かも
(巻6・924)

み吉野の象山のあたりの木々の梢には、たくさんの鳥の声が騒いでいるなあ。

「象山(きさやま)」は奈良県吉野町宮瀧にある山。「ここだ」たくさん。

そしてもう一首の反歌です。

ぬばたまの 夜の更けゆけば
久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く
(巻6・925)

夜が更けていくと、久木の生えている清らかな川原に、千鳥がしきりと鳴くなあ。静かな夜の雰囲気が出ていますね。

「ぬばたまの」は「黒」や「夜」にかかる枕詞。「久木」は木の名前ですがどんな木なのか不明です。「しば(1)鳴く」はしきりと鳴く。

次は春の歌です。

春の野に すみれ摘みにと 来(こ)しわれそ
野をなつかしみ 一夜(ひとよ)寝にける
(巻8・1424)

春の野にすみれを摘みに来た私は、野のあまりに心惹かれることに、一晩寝てしまった。春先にすみれを摘みに来たのです。すみれは鑑賞用・食用・また薬としても重宝されました。しかし、いかにも素晴らしい春の野の風情ではないか。このまま帰るのはもったいない。今宵は一晩、野宿しよう。そんな歌です。風流人の様子が、出ていますね。

明日は柿本人麻呂の歌の話です。お楽しみに。

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本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読・解説:左大臣光永

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