大伴坂上郎女の歌

こんにちは。左大臣光永です。10月最後の一日、いかがお過ごしだったでしょうか?

ふらっと池袋に出たら、立教大学の学園祭をやってました。特撮研究会の自主制作映画を観てきました。なんか立教大学の学生さんが、謎のクスリを飲んで怪獣になるという内容でした。おお…好きなことやってんな~楽しそうだな~と、その場の空気も含めて、わくわくしました。

さて、先日再発売しました。「聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良」。すでに多くのお買い上げをいただいています。ありがとうございます。
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特典の「解説音声 額田王の歌」は、11月10日お申込みまでです。お申込みはお早目にどうぞ。

本日は『万葉集』より大伴坂上郎女の歌です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Manyo04_525.mp3

大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)。額田王以来最大の女流歌人といわれ、『万葉集』には84首が採用されています。生没年不詳。

壬申の乱に大海人皇子方として戦い功績のあった大伴安麻呂の娘で大伴旅人の異母妹。大伴家持の叔母であり姑。


大伴坂上郎女

「坂上」の名は、すまいがあった奈良の坂上の里(現奈良市法蓮町(ほうれんちょう)北町)に由来すると言われます。

13歳ごろ、天武天皇の第五皇子穂積親王(ほづみしんのう)に嫁ぎ、穂積親王没後は藤原不比等の四男麻呂の寵愛を受けます。

737年藤原麻呂が天然痘の流行で亡くなった後は大伴宿奈麻呂(おおとものすくなまろ)に嫁ぎ坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)と坂上二嬢(さかのうえのおといらつめ)を生みました。


大伴坂上郎女

大伴宿奈麻呂とも死に別れると、異母兄大伴旅人の妻が亡くなったのに伴い大宰府に下り、旅人の身辺の世話をします。また旅人の子家持(やかもち)、書持(ふみもち 家持の弟)の養育にあたったと言います。

家持の歌に対する感性は、叔母であり養母である大伴坂上郎女によるところが大きかったようです。

730年大伴旅人一家は大宰府から奈良へ戻りますが、その翌年の731年旅人は没します。しかし坂上郎女は旅人なき後も家刀自(いえとじ 主婦)として大伴家を取り仕切りました。

佐保川の小石踏み渡りぬばたまの
黒馬(くろま)の来夜(くよ)は年にもあらぬか(巻四・525)

佐保川の小石を踏み渡ってあなたが黒馬に乗って訪ねて来てくれる。そんな夜が、一晩だけでなくて一年中、毎晩そうであればいいのに。

大伴坂上郎女が恋人の藤原麻呂に贈った歌です。

佐保川は大伴坂上郎女の屋敷のあった平城京の坂上の里を流れます。
黒馬にまたがるさっそうとした貴公子の姿が印象に残りますね。

来むと言ふも来ぬ時あるを来じと言ふを
来むとは待たじ来じと言ふものを(巻四・661)

「来る」と言ったって来ない時さえあるのに、まして今夜は「来ない」と言ったのだから、「来る」と期待して待つことはしないでおきましょう。「来ない」と言ったのだから。

ああ…あの人は今夜来ないとおっしゃった。だから期待しても仕方ないのに。だって来ると言ってもすっぽかして来ないことさえあるんだから…ああ…でも、そんな、もどかしい感じが出ています。

たくみな言葉遊びがユーモアを醸し出しています。

久方の天(あめ)の露霜置きにけり
家なる人も待ち恋ひぬらむ(巻4・651)

「久方の」は「天」にかかる枕詞。「露霜」は露が固まって霜になったもの。もう露霜が発生する季節となった。家にいる人は私のことを待ちこがれているだろう。つまり、大伴坂上郎女はどっか遠くに行ってるんですね。おそらく大宰府赴任中のことで、平城京の家に残してきた娘・坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)のことを思って詠んだ歌でしょう。

恋ひ恋ひて逢へる時だに愛(うつく)しき
言(こと)尽してよ長くと思はば(巻四・661)

(恋しい思いをさんざん重ねてやっと会える、その会える時くらいは
いっぱい言ってほしいのです愛の言葉を。私たちの関係を長く続けたいと思うならば)

大伴坂上郎女が次女・二嬢(おといらつめ)に代わって婿大伴駿河麻呂(おおとものするがまろ)に贈った歌とされます。好きだと言ってちょうだい。

男は照れくさくてあんまり言いたくないですが、言葉でちゃんと愛情をあらわしてほしい。言わないならもう帰って頂戴と、軽く脅しをかけているわけです。

お母さん、これはロコツなんじゃないの?いいのよこれくらい言わないと男はわからないからなんていう母娘の会話も聞こえてきそうですね。

ふる里の飛鳥はあれど青丹よし
平城(なら)の明日香を見らくしよしも(巻六・992)

古里となった飛鳥にも飛鳥寺はあるけれど、奈良の明日香にある元興寺(がんごうじ)も、いいものだなあ。

和同三年(710)元明天皇により平城京遷都が行われ、飛鳥にある飛鳥寺の別院として、元興寺(がんごうじ)が築かれました。故郷である飛鳥にも飛鳥寺があったけど、青丹よし奈良の明日香にあるこのお寺も、なかなか素敵じゃないのという歌です。

ならまちにある瑜伽神社(ゆうがじんしゃ)に、この歌の歌碑が建っています。瑜伽神社は高台にありならまちが一望できます。

夏の野の繁みに咲ける姫百合の
知らえぬ恋は苦しきものを(巻八・1500)

(夏の野の茂みにひっそりと咲いている姫百合のように、人に知られない恋は苦しいものです)

夏草がわあっと茂って、したたるような緑である。その中に、目立たず、ひっそりと姫百合が咲いているのです。ああ…人知れずあの人を思い続ける。この姫百合は、まるで私のようだわ。という歌です。「姫」が「秘める」に通じています。

次回は山辺赤人の歌についてお届けします。お楽しみに。

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聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良
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第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。

第二部「奈良時代篇」は、平城京遷都・長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。

教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。

特典の「解説音声 額田王の歌」は11月10日お申込みまでの早期お申込み特典です。お申込みはお早目にどうぞ。
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本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読・解説:左大臣光永

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