大伴旅人の亡き妻をしのぶ歌

こんにちは。左大臣光永です。週末の午後、いかがお過ごしでしょうか?

私は先日、町田の商店街を歩いてたんですよ。町田に行くのはじめてなので、はあーーっ、ここが町田の駅前かぁと、左を右を、キョロキョロしながら歩いていると、後ろから声がしたんですね。何と言ったか?

「まぁっすぐ歩けよ…」

そう言っておっさんがスタスタと通り越していきました。

その様子が、イヤミを言うとか、ケチつける感じではなくてですね。ほんとに困って、私が右に左にフラフラするので通行を妨害されて、困り果てて、漫画でいえばあれですよ。

眉が八の字で、目がバッテンになって、ホッとため息マークが出てる感じ。微笑しい日常の一こまとして印象に残りました。

さて、先日再発売しました。「聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良」。すでに多くのお買い上げをいただいています。ありがとうございます。
http://sirdaizine.com/CD/AsukaNara.html

特典の「解説音声 額田王の歌」は、11月10日お申込みまでです。お申込みはお早目にどうぞ。

本日は『万葉集』より大伴旅人の亡き妻をしのぶ歌です。

↓↓↓音声が再生されます↓↓

http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Manyo05_793.mp3

大伴旅人の大伴氏は代々朝廷の軍事部門を担当してきた名門です。遠く祖先をさかのぼれば天孫降臨の際、神々の先導をつとめた天押日命(アメノオシヒノミコト)に行きつくといいます。

父大伴安麻呂は壬申の乱(672年)で大海人皇子方について功績を立てました。母は巨勢郎女(こせのいらつめ)。息子は『万葉集』の篇者として有名な大伴家持です。

720年、九州で隼人族が反乱を起こすと、討伐軍の大将として旅人が遣わされました。旅人は敵の城を次々と破り快進撃を続けますが…同年、右大臣藤原不比等が亡くなったことに伴い旅人は平城京に召し返されます。

この時の九州行きの経験を買われてか、60歳すぎて大宰帥(だざいのそち。大宰府の副官)に任じられ、大宰府に下りました。

「前回はあわただしい戦の陣だったが、今回はゆっくりできるぞ。九州のうまい酒を味わいつくしてやろう」

「まったくあなたはお酒のことばっかり…」

大伴旅人は大の酒好きでした。また妻である大伴郎女を心底愛していました。

ところが。

大宰府着任早々、最愛の妻大伴郎女(おおとものいらつめ)は亡くなってしまいます。大の愛妻家であった旅人は、亡き妻をしのぶ歌をいくつも残してます。

世間(よのなか)は空しきものと知る時し
いよよますます悲しかりけり(巻5・793)

世の中は空しいものと知るにつけ、いよいよますます悲しいのだ。

「60歳過ぎて…この最果ての地に独り残されて…。
ああ…俺はこれから何を支えに生きていったらいいんだ…」

旅人の部下であり文学仲間である山上憶良が、
妻を亡くした大伴旅人の気持ちになって詠んだ歌が、またいい歌です。

妹が見し楝(おうち)の花は散りぬべし
わが泣く涙 いまだ干(ひ)なくに(巻5・798)

愛しい妻がかつて見た栴檀の花はもう散ってしまったに違いない。わが泣く涙はいまだに乾かないのに。

730年、大伴旅人は大納言に任じられ、平城京へ戻ることとなります。大宰府から奈良へ向かうすがら、旅人は亡き妻を思い、五首の歌を詠みました。

我妹子(わぎもこ)が見し鞆(とも)の浦のむろの木は
常世(とこよ)にあれど見し人そなき(巻3・446)

鞆の浦は広島県福山市の入り江。むろの木はヒノキ科の木。私の妻が見た鞆(とも)の浦のむろの木はまだそのまま残っているが、それを見た人はもういない。

鞆(とも)の浦の磯のむろの木見むごとに
相見し妹は忘らえめやも(巻3・447)

鞆の浦の磯のむろの木を見るごとに、かつて一緒に見た妻のことを忘れられるだろうか。忘れられない。

磯の上(うへ)に根延(ねば)ふむろの木見し人を
いづらと問はば語り告げむか(巻3・448)

磯の上に根を延ばしているむろの木を見た人が、今どこにいると問えば、答えてくれるのだろうか。

妹と来(こ)し敏馬(みぬめ)の崎を帰るさに
ひとりし見れば涙ぐましも(巻3・449)

妻と来た敏馬の崎を帰りがけに一人見れば涙ぐましくなることよ。「敏馬(みぬめ)の崎」は神戸市灘(なだ)区の河口付近の古い地名です。

行くさには二人我が見しこの崎を
ひとり過ぐれば心悲(こころがな)しも(巻3・450)

行きがけに妻と二人で見たこの崎を一人過ぎれば心悲しいなあ。

そして平城京の家に帰った旅人は、さらに、亡き妻を想って、

人もなき空しき家は草枕 旅にまさりて苦しかりけり(巻3・451)

愛する妻がいない空っぽの家は旅の途上の草枕よりも勝って苦しいものだなあ。

妹(いも)として二人作りし我が山斎(しま)は
木高(こだか)く繁くなりにけるかも(巻3・452)

妻と二人で作った庭は、木が高く、こんもり茂ってしまったことだ。「山斎」は池や築山のある庭。

我妹子(わぎもこ)が植ゑし梅の木見るごとに
心咽せつつ涙し流る(巻3・453)

私の妻が植えた梅の木を見るごとに心はむせて涙が流れる。

明日は大津皇子の歌です。お楽しみに。

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聴いて・わかる。日本の歴史~飛鳥・奈良
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第一部「飛鳥時代篇」は、蘇我馬子や聖徳太子の時代から乙巳の変・大化の改新を経て、壬申の乱まで。

第二部「奈良時代篇」は、長屋王の変・聖武天皇の大仏建立・鑑真和尚の来日・藤原仲麻呂の乱・桓武天皇の即位から長岡京遷都の直前まで。

教科書で昔ならった、あの出来事。あの人物。ばらばらだった知識が、すっと一本の線でつながります。

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本日も左大臣光永がお話ししました。
ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読・解説:左大臣光永

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