夏越

夏越夏越祓は12月に晦日に行われる「年越しの祓」とともに大祓のひとつです。一年の前半の穢を祓う禊・祓が行われます。ナゴシノハラエ、ナゴシノハライ、ナゴシノセック、ワゴシマツリなどの言い方があり、行事もさまざまです。

神社の境内にもうけた大きな茅の輪をくぐる「茅の輪くぐり」。人形の紙(形代(かたしろ))に名前と年齡を書いて体にこすりつけて神社におさめる(あるいは水に流す)、など。12月大晦日の祓と対応関係にあります。

旧暦の6月は蒸し暑く、食べ物が腐りやすく、疫病が流行しやすかったことも、穢を祓う行事につながったと思われます。

西日本では牛馬を川や海につれていって水浴びをさせたり、自分も水に浸かって健康を願うところがあります。

茅の輪くぐり

茅や藁で編んだ大きな輪をくぐる「茅の輪くぐり」。神社の拝殿の前や鳥居の下に設置されることが多いです。

くぐる作法もあります。

まず茅の輪の前で一礼。まず左足から「水無月の夏越の祓する人は千歳の命のぶといふなり」と唱えながら、左に一回まわります。

次に右足から、同じように唱えながら右に一回。もう一度唱えながら左一回。最後に真ん中をくぐって神前へ。

左一回、右一回、左一回、中くぐるとおぼえてください(理由は不明)。

よく勘違いされるのが、茅の輪から清らかなエネルギーが出て、体に注がれるのではなくて、人間の中にある悪いものが、まっさらな状態の茅の輪に吸い取られる、という発想です。

(お祓いの時に使う「大幣」もおなじ)

だから茅の輪を抜いて持って帰ると、かえって他人の厄を持ち帰ることになり、よくないです。

一条兼良(かねら)の『公事根源』に、

けふは家々に輪をこゆる事有、みな月のなごしのはらへする人はちとせのいのちのぶといふなり、此歌をとなふるとぞ申つたへ侍る。

茅の輪くぐりの起源は、

その昔、スサノオノミコトが嫁をもとめて海をわたったところ、日が暮れた。その村には蘇民将来と巨旦将来という兄弟がいた。蘇民将来は貧乏で、巨旦将来は金持ちだった。スサノオノミコトははじめ巨旦将来の家にとめてほしいと頼んだが、すげなく断られた。次に蘇民将来に頼むと、快くとめてくれた。そこでスサノオノミコトは正体を明かし、もし疫病がはやることがあればこれを腰のところにつけなさいといって、茅の輪を渡した。

後日、実際に疫病がはやった。巨旦将来の一族は皆死に果てたが、蘇民将来は茅の輪のおかげで助かった。

それ以来、村人たちは疫病が流行すると「蘇民将来子孫也(そみんしょうらいのしそんなり)」と唱え、腰には茅の輪を巻いて、疫病の難を逃れたということです。

とあります。

風そよぐ楢の小川の夕暮れは みそぎぞ夏のしるしなりける 従二位家隆

小倉百人一首の歌もおぼえておきたいところです。

上賀茂神社境内を流れる楢の小川では夕暮れ時、もうすっかり秋の風情だ。夏の最後の「夏越の祓」を行っていることだけが、暦の上ではまだ夏だということを、かろうじて示している。

形代

形代といって人の形の紙を配る神社もあります。これに名前と年齡を書いて、体にこすりつけたり、息を吹きかけたりして穢を移して、神社におさめてお祓いします。

お祓いを終えた形代は川や海に流したり燃やしたりします。流し雛の原型もここからといいます。

和菓子の「水無月」

夏越の祓には「水無月」という和菓子を食べます。氷に見立てた三角形のういろうの上に小豆をのせたものです。暑気払いの意味もあります。

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年中行事 解説 音声つき 現代語訳つき朗読

朗読・解説:左大臣光永

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