川開き
川開き川での納涼や水遊び、鮎漁などの解禁日。京都ではこの頃から鴨川沿いに川床が出て、夏の近いことを実感できます。東京では川開きの流れをくむ隅田川花火大会が8月に開催されます。
江戸時代の両国の川開きは旧暦の5月28日。この夜は花火が上がり、江戸っ子たちは「玉屋」「鍵屋」と声を上げて楽しみました。川岸には出店がならび、水上では屋形船や伝馬船が行き交い、にぎやかなイベントでした。
隅田川の打ち上げ花火は享保18年(1733)前年の疫病による死者の冥福を祈って両国で水神祭が行われた時に打ち上げたのが始まりとされます。
この時に花火を担当したのが有名な花火職人、六代目鍵屋弥兵衛(やへえ)という男です。最初は20発という小規模なものでしたが、年々規模が大きくなっていきました。
後に鍵屋の番頭・静七がのれん分けを許され、初代玉屋市兵衛を名乗りました。
江戸の庶民は両国橋をはさんで
「玉屋ーーー鍵屋ーーー」
と掛け声を上げました。ここからわかるように、後発組の玉屋のほうが人気が出ました。
しばらく鍵屋と玉屋の二極体制が続きますが、
天保14年(1843年)玉屋は火事を出してしまい、しかもその日はちょうど将軍徳川家慶が日光に参詣する前日でしたので、玉屋は江戸の退去を命じられてしまいました。
こうして玉屋の歴史はただの一代で幕を下ろしましたが、玉屋なき後も玉屋の花火をしたう江戸庶民の声は大きかったようです。
橋の上玉屋玉屋の声ばかりなぜに鍵屋と言わぬ情無し
隅田川の花火大会は幕末の動乱期や太平洋戦争の時など一時的な中断はありましたが今日まで連綿と続いています。
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