【葵 20】三位中将、たびたび源氏を訪ねて慰める 源氏と大宮、歌の贈答

御法事《わざ》など過ぎぬれど、正日《しやうにち》まではなほ籠《こも》りおはす。ならはぬ御つれづれを心苦しがりたまひて、三位《さむゐの》中将は常に参りたまひつつ、世の中の御物語など、まめやかなるも、また例の乱りがはしきことをも聞こえ出でつつ慰めきこえたまふに、かの内侍《ないし》ぞうち笑ひたまふくさはひにはなるめる。大将の君は、「あないとほしや。祖母殿《おばおとど》の上ないたう軽《かろ》めたまひそ」と諫《いさ》めたまふものから、常にをかしと思したり。かの十六夜《いさよひ》のさやかならざりし秋の事など、さらぬも、さまざまのすき事どもをかたみに隈《くま》なく言ひあらはしたまふ。はてはては、あはれなる世を言ひ言ひてうち泣きなどもしたまひけり。

時雨《しぐれ》うちしてものあはれなる暮《くれ》つ方、中将の君、鈍色《にびいろ》の直衣《なほし》、指貫《さしぬき》うすらかに衣更《ころもがへ》して、いとををしうあざやかに心恥づかしきさまして参りたまへり。君は、西の妻《つま》の高欄《かうらん》におしかかりて霜枯《しもがれ》の前栽《せんざい》見たまふほどなりけり。風荒らかに吹き時雨さとしたるほど、涙もあらそふ心地して、「雨となり雲とやなりにけん、今は知らず」とうち独りごちて頬杖《つらづゑ》つきたまへる御さま、女にては、見棄てて亡くならむ魂《たましひ》必ずとまりなむかしと、色めかしき心地にうちまもられつつ、近うついゐたまへれば、しどけなくうち乱れたまへるさまながら、紐ばかりをさしなほしたまふ。これは、いますこし濃《こま》やかなる夏の御直衣《なほし》に、紅《くれなひ》の艶《つや》やかなるひきかさねてやつれたまへるしも、見ても飽かぬ心地ぞする。中将も、いとあはれなるまみにながめたまへり。

「雨となりしぐるる空の浮雲《うきぐも》をいづれの方とわきてながめむ

行く方なしや」と独り言のやうなるを、

見し人の雨となりにし雲ゐさへいとど時雨にかきくらすころ

とのたまふ御気色も浅からぬほどしるく見ゆれば、「あやしう。年ごろはいとしもあらぬ御心ざしを、院などゐたちてのたまはせ、大臣《おとど》の御もてなしも心苦しう、大宮《おほみや》の御方ざまにもて離るまじきなど、かたがたにさしあひたれば、えしもふり棄《す》てたまはで、ものうげなる御気色ながらあり経《へ》たまふなめりかし、といとほしう見ゆるをりをりありつるを、まことにやむごとなく重き方はことに思ひきこえたまひけるなめり」と見知るに、いよいよ口惜しうおぼゆ。よろづにつけて光失せぬる心地して、屈《くん》じいたかりけり。

枯れたる下草《したくさ》の中に、龍胆《りんだう》、撫子《なでしこ》などの咲き出でたるを折らせたまひて、中将の立ちたまひぬる後に、若君の御乳母《めのと》の宰相の君して、

「草枯れのまがきに残るなでしこを別れし秋のかたみとぞ見る

匂《にほ》ひ劣りてや御覧ぜらるらむ」と聞こえたまへり。げに何心なき御笑顔《ゑみがほ》ぞいみじううつくしき。宮は、吹く風につけてだに木の葉よりけにもろき御涙は、まして取りあへたまはず。

今も見てなかなか袖を朽《くた》すかな垣《かき》ほ荒れにし大和なでしこ

現代語訳

ご法事などはすませてしまったが、正日(四十九日)までは源氏の君はそのまま邸に籠もっていらっしゃる。

慣れない退屈を気の毒にお思いになって、三位中将はいつも参られては、世間の御物語など、まじめな話も、またいつもの好色めいた話も、お話し申し上げてはお慰めになられる中に、あの源典侍の話は、お笑いの種となるようだ。

大将の君は、「なんと気の毒な。おばば様のことをあまりからかいなさるな」とお諌めになるが、そういう源氏の君もいつも源典侍の話を面白くお思いである。

あの十六夜の月がおぼろであった秋の事など、そのほかにも、さまざまの色めいた事をお互いに余す所なく話に出してしまわれる。

その挙げ句には、人の世の無常であることを言い言いして、つい泣いたりなどもされるのだった。

時雨が降ってなんとなく風情のある暮れ方、中将の君が、鈍色の直衣、指貫のうすいのに衣更して、たいそう男らしくさっぱりと気圧されるほどのようすで参られた。

源氏の君は、西の妻戸の前の欄干によりかかって霜に枯れた植え込みを御覧になるところであった。

風が激しく吹いて時雨がさっと降る風情は、涙もあらそって流れる気持ちがして、(源氏)「雨となり雲とやなりにけん、今は知らず」と独り言を言って頬杖をついていらっしゃる御ようすは、中将は、もし自分が女だったら、この人を見捨てて亡くなった魂は必ずこの世に残りとどまるだろうと、色めいた気持ちでついじっと見つめながら、近くにお座りになると、ゆったりとくつろがれた様子ではあるが、直衣の紐だけをさし直しなさる。

源氏の君は、中将よりもすこし色の濃い夏の御直衣に、紅のつややかな下襲を重ねて喪服姿でいらっしゃるのも、見ていて飽きない心地がする。

中将「雨となり…

(雨となり時雨れる空に浮かぶ雲は妹の魂であろうが、どの雲をそれだと見分けてながめようか)

行方もわかりませんよ」と独り言のように言うと、

(源氏)見し人の…

(亡き妻が雨となった雲のあたりまでも、たいそう時雨にかき曇らされて、わからなくなっている今日このごろだよ)

とおっしゃるご様子も浅からぬお気持ちであることがはっきりと見えるので、(中将)「不思議なものであるよ。ここ数年はそう深いわけでもない妹への御気持ちを、桐壺院などもじっとしていられず訓戒をなさるし、左大臣への御扱いもおいたわしいことだし、大宮の御方には血縁関係にあることなど、あれこれと差し障りがあるために、妹を離縁なさることもおできにならず、気がすすまないご様子ながらずっと連れ添っていらっしゃるのだろう、と気の毒に見える折々もあったのだが、本当に大切に思い重く扱われる御方としては特別に妹のことを思い申し上げなさっていたようだ」とわかるにつけ、いよいよ残念に思われる。万事、光が消え失せたような気持ちがして、中将はがっくりと落ち込んでいた。

源氏の君は、枯れた下草の中に、龍胆、撫子などが咲きだしているのを折らせなさって、中将がお去りになった後に、若君の御乳母の宰相の君を使いとして、大宮のもとに、

(源氏)草枯れの…

(草が枯れてしまったまがきに残る撫子を、過ぎ去った秋のかたみと見ます=妻が亡くなった後に残されたこの子を、妻の形見と見ます)

御息女(葵の上)に比べたら、この子(夕霧)は花の色も劣っていると御覧になるかもしれませんが…」と申し上げなされた。

ほんとうに、無心な若君の御笑顔はたいそう可愛らしい。大宮は、吹く風につけてさえ木の葉よりもずっともろい御涙は、さらにもろくなっており、お手紙をお手ることもおできにならない。

(大宮)今も見て…

(今もその荒れた垣根の大和撫子…若君を見て、なまじ見たばっかりに袖が朽ちるほど涙を流していますよ)

中将も、たいそうしみじみした目つきで夕暮れの空をながめていらっしゃる。

語句

■御法事などは過ぎぬれど 四十九日の法事をはやめにすませてしまったか。 ■三位中将 葵の上の兄。源氏の悪友でありライバル。三位で中将の者を三位中将という。 ■乱りがはしきこと 好色な話。 ■祖母殿 源典侍のこと。「おとど」は老女に対する敬称。ここではおどけた言い方。 ■かの十六夜のさやかならざりし事 源氏と中将の好色めいた思い出話。源典侍に続く話としては末摘花だが、末摘花の一件は「春」のことで「秋」ではない。作者の記憶違いか?「秋」は「夜」の誤写か? ■時雨 秋から冬にかけての頃、急に降り出す雨。 ■鈍色 薄い灰色。 ■雨となり雲とやなりにけん… 「庾令ノ楼中二初メテ見シ時 武昌ノ春柳ハ腰肢ニ似タリ 相逢フモ相笑フモ尽ク(河海抄には「相失フモ両ツナガラ」)夢ノ如シ 雨ト為リ雲トヤ為リニケン 今ハ知ラズ」(劉夢得外集第一 有所嗟 劉禹錫)をふまえる。この詩はさらに「妾ハ巫山ノ陽 高丘ノ岨ニアリ 旦二ハ朝雲ト為リ 暮ニハ行雨ト為ル」(高唐賦并序・文選巻十宋玉)をふまえる。楚王が夢の中で仙女と逢って、その仙女に去るにあたっての言葉。 ■ゐたちて 「居立つ」は気になってじっとしていられないこと。 ■のたまはせ 桐壺院が、源氏に、葵の上に対してもっと親身になれと訓戒したこと。 ■もて離るまじき 大宮は桐壺院の妹。源氏から見ると叔母に当たる。血縁関係があるので、むげにできない。 ■さしあひたれば 自分の一存で葵の上と離縁するわけにはいかなかった源氏の立場を、中将は思いやっているのである。 ■やむごとなく重き方は 源氏は、一時的な浮気相手でなく、正妻として葵の上を大切にしていた(少なくとも最近は)。それが中将には少し意外であったのだ。 ■屈じ 「屈《くん》ず」はがっくりすること。もと「くっす」と促音で発音されたものを撥音「ん」で表記したもの。 ■今も見て… 「あな恋し今も見てしが山賤の垣ほに咲ける大和撫子」(古今・恋四 読人しらず)をふまえる。 ■木の葉よりけにもろき御涙 木の葉が落ちるようにもろく、大宮の目から涙が落ちるの意。「俊成卿の歌ここの詞をとりてよめるにや『嵐吹く峰の木の葉の日にそへてもろくなりゆくわが涙かな」(花鳥余情)。

朗読・解説:左大臣光永

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