【賢木 06】斎宮と御息所、参内 別れの櫛の儀

心にくくよしある御けはひなれば、物見車多かる日なり。申《さる》の刻《とき》に、内裏《うち》に参りたまふ。御息所《みやすんどころ》、御輿に乗りたまへるにつけても、父大臣《おとど》の限りなき筋に思し心ざして、いつきたてまつりたまひしありさま変りて、末の世に内裏を見たまふにも、もののみ尽きせずあはれに思さる。十六にて故宮《こみや》に参りたまひて、二十にて後れたてまつりたまふ。三十にてぞ、今日また九重を見たまひける。

そのかみを今日はかけじと忍ぶれど心のうちにものぞかなしき

斎宮は十四にぞなりたまひける。いとうつくしうおはするさまを、うるはしうしたてたてまつりたまへるぞ、いとゆゆしきまで見えたまふを、帝御心動きて、別れの櫛奉りたまふほど、いとあはれにて、しほたれさせたまひぬ。

現代語訳

御息所母娘は奥ゆかしく、風情をわきまえた御ようすであるので、物見車がこの日は多かった。申の刻(午後四時-六時)に、参内なさる。

御息所は、御輿にお乗りになるにつけても、父大臣が女として最高の、后としての位につけようとお望みになって、大切にお世話になられたころのありさまとは変わって、盛りの衰えた晩年になって内裏を御覧になるにつけても、物思いは尽きず、しみじみと悲しくお思いになる。

御息所は十六歳で故東宮に入内なさって、二十歳で先立たれなさった。三十にて、今日また九重の宮中を御覧になったのだ。

(御息所)そのかみを…

(昔のことを今日は心にかけまいと抑えていたが、心の内にもの悲しい気持ちである)

斎宮は十四歳におなりである。とても可愛らしくいらっしゃるようすを、しっかりと装い立てておあげになられたそのお姿は、ひどく不吉なまでに美しくお見えになるのを、帝(朱雀帝)は御心を動かされて、別れの櫛を差し上げあそばす時は、しみじみと感に堪えず、とても悲しくて、涙をためていらっしゃった。

語句

■限りなき筋 女として最高の位。后。 ■十六にて この東宮が薨去した後、朱雀帝が立太子したと思われるが、時系列が不明瞭。 ■そのかみを… 「そのかみ」は御息所が皇太子妃として時めいていた昔。娘の伊勢下向という場面で涙は不吉であるため我慢しているが、心の中では悲しみが満ちるのである。 ■帝御心動きて 朱雀帝と斎宮は年が近い。帝は斎宮に対してほのかな恋心を抱かれている。 ■別れの櫛 斎宮下向に先立つ宮中の儀式、御櫛の儀のこと。帝が斎宮の額に黄楊の小櫛をさして「京の方におもむきたまふな」と仰せになる。

朗読・解説:左大臣光永

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