【若菜上 09】女三の宮の裳着の儀 朱雀院の出家

年も暮れぬ。朱雀院には、御心地なほおこたるさまにもおはしまさねば、よろづあわたたしく思し立ちて、御|裳着《もぎ》のこと思しいそぐさま、来《き》し方行く先あり難げなるまで、いつくしくののしる。御しつらひは、柏殿《かへどの》の西面に、御帳御|几帳《きちやう》よりはじめて、ここの綾錦《あやにしき》はまぜさせたまはず、唐土《もろこし》の后《きさき》の飾りを思しやりて、うるはしくことごとしく、輝《かかや》くばかり調《ととの》へさせたまへり。御|腰結《こしゆひ》には、太政大臣《おほきおとど》を、かねてより聞こえさせたまへりければ、ことごとしくおはする人にて、参りにくく思しけれど、院の御言を昔より背《そむ》き申したまはねば、参りたまふ。いま二《ふた》ところの大臣た《おとど》ち、その残りの上達部《かむだちめ》などは、わりなきさはりあるも、あながちにためらひ助けつつ参りたまふ。親王《みこ》たち八人、殿上人、はた、さらにもいはず、内裏《うち》、春宮《とうぐう》の残らず参り集《つど》ひて、いかめしき御いそぎの響きなり。院の御事、このたびこそとぢめなれと、帝春宮をはじめたてまつりて、心苦しく聞こしめしつつ、蔵人所《くらうどどころ》納殿《をさめどの》の唐物《からもの》ども、多く奉らせたまへり。六条院よりも、御とぶらひいとこちたし。贈物ども、人々の禄《ろく》、尊者《そんじや》の大臣の御|引出物《ひきいでもの》など、かの院よりぞ奉らせたまひける。

中宮よりも、御|装束《さうぞく》櫛《くし》の箱心ことに調《てう》ぜさせたまひて、かの昔の御髪上《みぐしあげ》の具《ぐ》、ゆゑあるさまに改め加へて、さすがにもとの心ばへも失はず、それと見せて、その日の夕《ゆふ》つ方《かた》奉れさせたまふ。宮の権亮《こ゜んのすけ》、院の殿上にもさぶらふを御使にて、姫宮の御方に参らすべくのたまはせつれど、かかる言《こと》ぞ中にありける。

さしながら昔を今につたふれば玉の小櫛ぞ神さびにける

院御覧じつけて、あはれに思し出でらるることもありけり。あえものけしうはあらじと譲りきこえたまへるほど、げに面《おも》だたしき釵《かむざし》なれば、御返りも、昔のあはれをばさしおきて、

さしつぎに見るものにもが万代《よろづよ》をつげの小櫛の神さぶるまで

とぞ祝ひきこえたまへる。

御心地いと苦しきを念《ねん》じつつ、思し起こして、この御いそぎはてぬれば、三日過ぐして、つひに御髪《みぐし》おろしたまふ。よろしきほどの人の上にてだに、今はとてさま変るは悲しげなるわざなれば、ましていとあはれげに御方々も思しまどふ。尚侍《ないしのかむ》の君は、つとさぶらひたまひて、いみじく思し入りたるを、こしらへかねたまひて、「子を思ふ道は限りありけり。かく思ひしみたまへる別れのたへがたくもあるかな」とて、御心乱れぬべけれど、あながちに御|脇息《けふそく》にかかりたまひて、山の座主《ざす》よりはじめて、御|戒《いむこと》の阿闍梨《あざり》三人さぶらひて、法服《ほふぶく》など奉るほど、この世を別れたまふ御|作法《さほふ》、いみじく悲し。今日は、世を思ひ澄ましたる僧たちなどだに、涙もえとどめねば、まして女宮たち、女御、更衣、ここらの男女《をとこをむな》、上下《かみしも》ゆすり満ちて泣きとよむにいと心あわたたしう、かからで静やかなる所にやがて籠《こも》るべく思しまうけける本意《ほい》違《たが》ひて思しめさるるも、ただこの幼き宮にひかされて、と思しのたまはす。内裏《うち》よりはじめたてまつりて、御とぶらひの繁《しげ》さいとさらなり。

現代語訳

年の瀬となった。朱雀院は、ご気分がまだよくなる様子もなくていらっしゃるので、万事慌ただしく思い立ちなさって、女宮(女三の宮)の御裳着のご準備をされるが、その思い急がれるさまは、過去も未来も滅多に例がないと思われるほど、仰々しく大変な騒ぎである。お部屋のお支度は、柏殿《かえどの》の西庇に、御帳、御几帳からはじめて、本国の綾、錦はおま用いにならず、中国の后の飾り物をご想像されて、美しく、仰々しく、輝くほどにお調えになる。御腰結役には、太政大臣を、前々からお頼み申しあげなさっていたので、その太政大臣は何事もおおげさにもったいぶられる方で、面倒とはお思いになったけれど、院のお願いには昔からお背きにはならなかったので、今回もお参りになる。もう二人の大臣(左大臣・右大臣)、その残りの上達部などは、やむをえないさしさわりがある者も、無理に気持ちをおさえて、都合をあわせてはお参りになる。

親王たち八人、殿上人はまた、わざわざ言うまでもなく、宮中と東宮の殿上人たちも残らず参集なさって、おごそかな御儀のさわぎである。院(朱雀院)の御催し事は、今回こそ最後になるであろうと、帝(冷泉帝)、東宮をはじめ、おいたわしくお聞きになっては、蔵人所、納所の唐来の品々も、たくさんご献上なさった。六条院(源氏)からのお引き出物も、まことにことごとしいものである。数々の贈り物、奉仕にあたる人々への禄、大事な腰結役をおつとめになる太政大臣への御下賜品などは、かの六条院(源氏)からご献上になられたものであった。

中宮(秋好中宮)からも、御装束や櫛の箱を格別に心をつくしてお調えになって、あの昔の御髪上げの道具類を、由緒あるさまに改め、手を加えなさって、それでももとの趣向も失わず、それだとわかるようにして、その日の夕方に献上なさる。宮の権亮《ごんのすけ》が院の殿上にもお仕えしているのを御使として、姫宮(女三の宮)の御方にお届けするようお命じになったが、こういう歌が、中に入っていたのだ。

(秋好中宮)さしながら……

(髪にさしたまま、昔いただいたお情けを今までそのまま持ち伝えておりますことを思うと、このいただいた玉の小櫛もすっかり神さびてしまったことが実感されます)

院(朱雀院)がこれをお見つけになって、しみじみ思い出されることもあるのだった。ご自分にあやかるのも悪くはないと、中宮がこの小櫛を女三の宮にお譲り申しあげられる次第を思うと、まことに面目ある釵であるので、御返事も、昔の情はさしおいて、

(朱雀院)さしつぎに……

(貴女の次には娘の幸せな姿を見たいものです。万世のことほぎを告げる、この黄楊の小櫛が神さびてしまうまで)

とだけ、お祝い申しあげなさる。

ご気分がひどく苦しいのを我慢なさりつつ、思い立たれて、この御儀が終わってしまうと、三日過ごして、ついに御髪をお下ろしになられた。ふつうの身分の人の場合でさえ、いよいよ髪をおろされるとなると悲しい気持ちになることであるのに、まして院のご出家ということになれば、まことに心痛く、御方々も呆然として、お嘆きになっていらっしゃる。尚侍の君(朧月夜)は、ぴったりと院のお側に寄り添っていらして、たいそう思いつめていらっしゃるが、院はそれをお慰めするすべもなくていらして、(朱雀院)「親が子を思う道はまだ限りのあるものでした。こうして私を深く思ってくださる貴女と別れることは、耐え難いことですよ」と、御決意もゆるがれるようだが、強いて御脇息にお寄りかかりになられて、比叡山の座主よりはじめて、御受戒を取り仕切る阿闍梨三人がお世話申して、法服などをお召になる際の、俗世をお別れになる御作法は、ひどく悲しい。今日ばかりは、世間のことを悟りすましている僧たちなどさえ、涙も止めることができないので、まして女宮たち、女御、更衣、院の御所にお仕えしている男、女、身分の高い者も低い者も、皆で騒ぎ立てて泣きどよむので、ひどく気が急かれて、こんなことでなくさっさと朱雀院を去って、静かな山寺にすぐに籠もりたいとかねてお思いになっていらした願いとは食い違っているとお思いになられるのも、ただこの幼い宮(女三の宮)に心をひかされて、とお思いになり、そう仰せになられる。帝からはじまり、御見舞いの多さはまことに言うまでもないのである。

語句

■年も暮れぬ 十二月になった。 ■よろづあはたたしく 病気の平癒祈願、出家の準備、姫宮の裳着の準備。 ■御裳着の事 女三の宮の裳着の儀。裳着は女性の成人式。 ■柏殿 朱雀院内の伯梁殿《はくりょうでん》。 ■ここの綾錦はまぜさせたまはず 唐風をよしとしたのは平安時代初期、嵯峨天皇の時代の美意識。朱雀院が調度品や服装類を唐風に統一したのは、物語の時点ではやや古めかしい。 ■飾 帳・几帳など室内装飾。 ■御腰結 女三の宮の腰紐を結ぶ役。 ■ことごとしくおはする人 太政大臣への人物評。何事もおおげさに考える人。「人柄あやしう華やかに、男々しき方によりて、親などの御孝をも、厳しきさまをばたてて、人にも見おどろかさんの心あり」(【野分 04】)。 ■参りにくく 太政大臣は女三の宮と血縁でもないので。朱雀院が源氏でなく太政大臣に腰結役を依頼したのは源氏を女三の宮の夫にしようという魂胆から。 ■院の御言を背き申したまはねば 太政大臣が昔から院のお言葉に背かなかったということは初出。 ■二ところの大臣たち 左大臣と右大臣。 ■内裏春宮の 「内裏の殿上人と春宮の殿上人」の意。殿上人は内裏だけでなく院や春宮にもいる。 ■蔵人所 校書殿の西廂にあった。弘仁元年(810)設置。宮中の雑務にあたる。 ■納殿 宮中の倉庫。宣陽殿・綾綺殿・後涼殿にあった。 ■こちたし 「言痛し」。おおげさである。仰々しい。ここではことごとしいこと。 ■禄 褒美。衣類を肩にかけてあたえることが多い。 ■尊者の大臣 ここでは腰結役をつとめる太政大臣のこと。 ■かの昔の御髪上の具 昔、秋好中宮が冷泉帝の後宮に入った時に朱雀院が送った櫛箱など(【絵合 01】)。 ■その日 女三の宮の御裳着の儀の当日。 ■宮の権亮 中宮職の次官補佐であると同時に院の殿上人としても伺候している人物。 ■さしながら 「さしながら」は「挿したままで」の意と「昔をそのままに」の意をかける。 ■あえもの 女三の宮が、秋好中宮の幸福にあやかって、中宮にまでも出世すること。 ■昔のあはれをばさしおきて 朱雀院はかつて秋好中宮(前斎院)に懸想していた。しかし今はその話を出さない。中宮の文が慶事をことほぐだけの内容であったので。 ■さしつぎに… 中宮の歌の「さしながら」を受けて「さしつぎに」。「つげ」に「告げ」と「黄楊」をかける。 ■御方々 朱雀院の夫人たち。承香殿女御・朧月夜内侍など。 ■子を思ふ道は 「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑いぬるかな」(後撰・雑一 藤原兼輔)による。限りがないといわれている親が子を思う道だが、それでもまだ限りがあったのだ。ほんとうに限りがないのは、貴女への想いでしたよ、の意。 ■御心乱れぬべけれど 朱雀院の朧月夜に対する執着はずっと以前から深い(【澪標 02】)。 ■あながちに 病で苦しいのを無理やりに。 ■山の座主 天台座主。清和上皇や朱雀天皇落飾の折、天台座主が奉仕した史実が念頭にあるか。 ■御戒の阿闍梨三人 受戒に立ち会う三師。戒を授ける戒和上、作法を教える教授師、戒場で作法を行う羯磨師の三人。出家者は出家者として守るべき戒を授けられる。【夕顔 02】にも話に出ている。 ■法服 僧衣。袈裟など。 ■ゆすり満ちて 「揺すり満つ」で一語。皆で騒ぎ立てる。ざわめく。 ■静やかなる所 山寺。 ■やがて 出家したらすぐに。 ■ひかされて 下に「こうなってしまった」の意を補って読む。 ■

朗読・解説:左大臣光永