【柏木 04】女三の宮、出家を望む 源氏、諌める

宮は、さばかりひはづなる御さまにて、いとむくつけう、ならはぬ事の恐ろしう思されけるに、御湯なども聞こしめさず、身の心憂きことをかかるにつけても思し入れば、さはれ、このついでにも死なばや、と思す。大殿《おとど》は、いとよう人目を飾り思せど、まだむつかしげにおはするなどを、とりわきても見たてまつりたまはずなどあれば、老いしらへる人などは、「いでや、おろそかにもおはしますかな。めづらしうさし出でたまへる御ありさまの、かばかりゆゆしきまでにおはしますを」と、うつくしみきこゆれば、片耳に聞きたまひて、さのみこそは思し隔つることもまさらめ、と恨めしう、わが身つらくて、尼にもなりなばやの御心つきぬ。

夜《よる》なども、こなたには大殿籠《おほとのごも》らず、昼つ方などぞさしのぞきたまふ。「世の中のはかなきを見るままに、行く末短うもの心細うて、行《おこな》ひがちになりにてはべれば、かかるほどのらうがはしき心地するによりえ参り来《こ》ぬを、いかが、御心地はさはやかに思しなりにたりや。心苦しうこそ」とて、御几帳のそばよりさしのぞきたまへり。御ぐしもたげたまひて、「なほ、え生きたるまじき心地なむしはべるを、かかる人は罪も重かなり。尼になりて、もしそれにや生きとまると試み、また亡くなるとも、罪を失ふことにもやとなむ思ひはべる」と、常の御けはひよりはいとおとなびて聞こえたまふを、「いとうたて、ゆゆしき御事なり。などてかさまでは思す。かかる事は、さのみこそ恐ろしかなれど、さてながらへぬわざならばこそあらめ」と聞こえたまふ。

御心の中《うち》には、「まことに、さも思しよりてのたまはば、さやうにて見たてまつらむはあはれなりなむかし。かつ見つつも、事にふれて心おかれたまはむが心苦しう、我ながらもえ思ひなほすまじう、うき事のうちまじりぬべきを、おのづからおろかに人の見とがむることもあらむが、いといとほしう、院などの聞こしめさむことも、わがおこたりにのみこそはならめ。御悩みにことつけて、さもやなしたてまつりてまし」など思しよれど、また、いとあたらしう、あはれに、かばかり遠き御|髪《ぐし》の生《お》ひ先を、しかやつさむことも心苦しければ、「なほ、強く思しなれ。けしうはおはせじ。限りと見ゆる人も、たひらかなる例《ためし》近ければ、さすがに頼みある世になむ」など聞こえたまひて、御湯まゐりたまふ。いといたう青み痩《や》せて、あさましうはかなげにてうち臥《ふ》したまへる御さま、おほどきうつくしげなれば、いみじき過《あやま》ちありとも、心弱くゆるしつべき御ありさまかなと見たてまつりたまふ。

現代語訳

宮(女三の宮)は、あれほどひ弱なご様子なのに、ひどく気味が悪く、慣れないご出産の事が恐ろしくお思いになられたので、御薬湯なども召し上がらず、わが身の辛さをこうしたことにつけてもお思いつめになられて、いっそこの機会に死んでしまおうか、とお思いになる。大殿(源氏)は、たいそううまく外面をつくろっていらっしゃるが、赤子がまだ生まれたばかりで馴染みにくくしていらっしゃるのを、格別に御覧になろうともなさらないので、老練な女房などは、「さてさて、疎遠になさるものですよ。珍しくもお生まれになられた若君の御ようすが、これほど、不吉なまでに見事でいらっしゃいますのに」と、若君のことを可愛がり申すので、宮(女三の宮)はそれを小耳にお聞きになられて、「そのように、院(源氏)は、今後いっそう疎遠なお気持ちになっていかれることでしょう」と恨めしく、わが身としてもつらくて、尼になりたいというお気持ちが出てこられた。

夜なども、院(源氏)は、こちら(女三の宮方)にはお休みにならず、昼ごろなどに御顔を出される。(源氏)「世の中のはかないことを見るたびに、行く末が短く、なんとなく心細くて、仏事ばかりさかんに行っておりましたので、こうしたご出産の折には、ざわついている感じがするので、参ることができませんでしたが、いかがですか、ご気分はすっきりされましたか。おいたわしいことです」といって、御几帳の端からお覗きになられる。宮は御髪をお上げになられて、(女三の宮)「やはり、これ以上生きていられない気持ちがいたしますが、このように出産で死ぬ人は罪も重いと申します。尼になって、もしかしたらその功徳によって生きながらえるかと試み、また亡くなるとしても、罪を失うことにもなるのではないかと存じます」と、いつものご様子よりはたいそう大人びて申し上げなさるのを、(源氏)「なんといやなことを。不吉な御ことです。どうしてそうまで思い詰めなさるのです。こうした御産のことは、なるほどたいそう恐ろしいようですが、そうかといって、助からないことならば話は別ですが、そうではないのですから」と申し上げられる。

御心の中には、「ほんとうに、そのようにご決心しておっしゃっているのであれば、そのお望みどおりにご出家のお世話してさしあげるのが、誠意というものであろうよ。一方では夫婦として過ごしながらも、なにかにつけて他人行儀であるのならば心苦しく、また私自身としても、宮に対する気持ちを元どおりにすることはできそうもないので、宮に対するつらい仕打ちが自然とあらわれてしまうこともあろうから、そのことを、私が宮に疎遠にしているのだと、人が、自然と、見とがめることもあるだろう。それはひどくつらいことだし、朱雀院などがお耳にされるにつけても、すべて私一人の過失とされてしまうだろう。産後のご病気を口実にして、お望みどおりご出家させて差し上げようか」などとお考えなさるが、また一方で、ご出家させることはとてももったいなく、お気の毒で、御髪の長いように、まだまだご将来が長くていらっしゃるのに、それをばっさりと切り捨ててしまうこともお気の毒なので、(源氏)「そんなことはおっしゃらないで、御気を強くお持ちなさい。ご心配になさることはございませんから。これが最期と見える病人も、すっかりよくなった例が近くにもあるのですから、いかに無常であるとはいえ、頼みどころのある世の中ではございましょうよ」などと申し上げなさって、御薬湯を差し上げなさる。宮はまことにひどく青ざめて痩せて、言いようもなくはかなげになって、横になっていらっしゃる。そのご様子は、おっとりして可愛らしいので、とんでもない過ちがあったとはいえ、気が弱くなって、ゆるしてあげたくなる御様子であるよと、拝見なさる。

語句

■ひはづなる 弱々しいさま。 ■御湯 薬湯。 ■身の心憂きこと 不義の結果として子が生まれたので、女三の宮は思い詰める。 ■いとやう人目を飾り 源氏は若君が不義の子であると世間にばれることを恐れる。 ■まだむつかしげに 生まれたばかりの子がしわくちゃで親しみづらい様子。 ■老いしらへる人 女三の宮つきの老練な女房。 ■おろそかにもおはしますかな 源氏が若君に対して冷淡であることを非難する。 ■さのみこそは思し隔つることもまさらめ 女三の宮は若宮が不義の子であると確信し、だからこそ源氏は今後いっそう冷淡になっていくだろうと思う。 ■らうがはしき 出産の騒ぎでざわついている状態が、仏事を行うにはあわないとする。 ■御几帳のそばより 源氏の女三の宮に対する態度はいかにも他人行儀でぎこちない。 ■かかる人は罪も思かなり 出産で死ぬのは罪が重いという考えが当時あった。 ■それにや 出家の功徳によって。 ■罪を失ふ 出産で死ぬという罪が、出家の功徳によって帳消しになるの意。 ■かかる事 出産の事。 ■さてながらへぬわざならばこそあらめ 出産の事は恐ろしいとはいっても、命が助からないならば大変だが、そこまでのことではないのだから、大丈夫だの意。 ■御心の中には 源氏は女三の宮の出家を表面では止めながら、内心そうなってほしいという気持ちもある。 ■さやうにて見たてまつらむ 女三の宮を出家の身として世話すること。 ■我ながらもえ思ひなほすまじう あの密通事件があってから、源氏は以前と同じ気持ちでは女三の宮と接することはできない。 ■うき事のうちまじりぬべきを 自分ではそうするつもりがなくても、自然と女三の宮にたいするつらい仕打ちが出てしまう。 ■遠き御髪の生ひ先 長い髪の毛のように将来が長いこと。 ■しかやつさん 断髪して尼姿に身をやつすこと。 ■限りと見ゆる人 重体から回復した紫の上の例。 ■さすがに頼みある世 いくら無常といっても世の中は捨てたものではない。まだ希望が持てるの意。

朗読・解説:左大臣光永