【藤裏葉 04】藤の宴 夕霧と内大臣の距離感 宴深更におよび、夕霧、酔を装い宿を求める

わが御方にて、心づかひいみじう化粧《けさう》じて、黄昏《たそかれ》も過ぎ、心やましきほどに参うでたまへり。主《あるじ》の君達、中将をはじめて、七八人うち連れて迎へ入れたてまつる。いづれとなくをかしき容貌《かたち》どもなれど、なほ人にすぐれて、あざやかにきよらなるものから、なつかしうよしづき恥づかしげなり。大臣、御座《おまし》ひきつくろはせなどしたまふ御用意おろかならず。御|冠《かうぶり》などしたまひて出でたまふとて、北の方、若き女房などに、「のぞきて見たまへ。いと警策《かうざく》にねびまさる人なり。用意などいとしづかにものものしや。あざやかにぬけ出でおよすけたる方は、父大臣にもまさりざまにこそあめれ。かれはただいと切《せつ》になまめかしう愛敬《あいぎやう》づきて、見るに笑《ゑ》ましく、世の中忘るる心地ぞしたまふ。公《おほやけ》ざまは、すこしたはれて、あざれたる方なりし、ことわりぞかし。これは才《ざえ》の際《きは》もまさり、心|用《もち》ゐ男|々《を》しく、すくよかに、足《た》らひたりと世におぼえためり」などのたまひてぞ対面《たいめ》したまふ。ものまめやかにむべむべしき御物語はすこしばかりにて、花の興《きよう》に移りたまひぬ。「春の花いづれとなく、みな開け出づる色ごとに、目おどろかぬはなきを、心短くうち棄てて散りぬるが、恨めしうおぼゆるころほひ、この花の独《ひと》りたち後《おく》れて、夏に咲きかかるほどなん、あやしう心にくくあはれにおぼえはべる。色も、はた、なつかしきゆかりにしつべし」とて、うちほほ笑みたまへる、気色ありて、にほひきよげなり。

月はさし出でぬれど、花の色さだかにも見えぬほどなるを、もてあそぶに心を寄せて、大御酒《おほみき》まゐり、御遊びなどしたまふ。大臣、ほどなく空酔《そらゑひ》ひをしたまひて、乱りがはしく強《し》ひ酔《ゑ》はしたまふを、さる心していたうすまひ悩めり。「君は、末の世にはあまるまで天《あめ》の下の有職《いうそく》にものしたまふめる、齢《よはひふ》経りぬる人思ひ棄《す》てたまふなんつらかりける。文籍《ぶんせき》にも家礼《けらい》といふことあるべくや。なにがしの教へもよく思し知るらむと思ひたまふるを、いたう心悩ましたまふと恨みきこゆべくなん」などのたまひて、酔《ゑひ》泣きにや、をかしきほどに気色ばみたまふ。「いかでか。昔を思うたまへ出づる御かはりどもには、身を棄《す》つるさまにもとこそ思ひたまへ知りはべるを、いかに御覧じなすことにかはべらん。もとより愚《おろか》かなる心の怠《おこた》りにこそ」とかしこまりきこえたまふ。御時よくさうどきて、「藤の裏葉の」とうち誦《ず》じたまへる、御気色を賜りて、頭中将、花の色濃くことに房長きを折りて、客人《まらうと》の御|盃《さかづき》に加ふ。取りてもて悩むに、大臣、

紫にかごとはかけむ藤の花まつよりすぎてうれたけれども

宰相盃を持ちながら、気色ばかり拝《はい》したてまつりたまへるさま、いとよしあり。

いくかへり露けき春をすぐしきて花のひもとくをりにあふらん

頭中将に賜へば、

たをやめの袖にまがへる藤の花見る人からや色もまさらむ

次々|順流《ずんなが》るめれど、酔ひの紛《まぎ》れにはかばかしからで、これよりまさらず。

七日の夕月夜《ゆふづくよ》、影ほのかなるに、池の鏡のどかに澄みわたれり。げに、まだほのかなる梢どものさうざうしきころなるに、いたうけしきばみ横たはれる松の、木高《こだか》きほどにはあらぬに、かかれる花のさま、世の常ならずおもしろし。例の弁《べんの》少将、声いとなつかしくて葦垣《あしがき》をうたふ。大臣、「いとけやけうも仕うまつるかな」とうち乱れたまひて、「年|経《へ》にけるこの家の」とうち加へたまへる、御声いとおもしろし。をかしきほどに乱りがはしき御遊びにて、もの思ひ残らずなりぬめり。

やうやう夜更けゆくほどに、いたうそら悩みして、「乱り心地いとたへがたうて、まかでん空もほとほとしうこそはべりぬべけれ。宿直所《とのゐどころ》ゆづりたまひてんや」と中将に愁へたまふ。大臣、「朝臣《あそむ》や、御休み所もとめよ。翁《おきな》いたう酔ひすすみて無礼《むらい》なれば、まかり入りぬ」と言ひ捨てて入りたまひぬ。

現代語訳

宰相(夕霧)はご自分のお部屋で、たいそう念を入れて化粧して、黄昏時も過ぎて、いつ来るかと内大臣が気をもんでいる頃に参られた。主のご子息たちが、中将(柏木)をはじめて、七八人うちつれて迎え入れ申し上げる。このご子息たちは、誰がということでなくそれぞれ美しいお顔立ちであるが、宰相はそれよりもなお素晴らしく、はっきりと美しげであるが、それでいて魅力があり、風格がありで、見ているほうが気恥ずかしくなるほど立派である。内大臣が宰相の御座を用意などさせなさるお心づかいは並々でない。御冠など召されてお出になるということで、北の方、若い女房などに、(内大臣)「のぞいて御覧なさい。宰相は、まことに立派に、ご成長なさるにつれてご立派になられる御方であるよ。物腰などもまことに静かでさまになっているではないか。はっきり群を抜いて大人びていかれることについては、父大臣にもまさっているようであるよ。あちら(源氏)はただもう優美で風情があって、会えば微笑ましく、俗世を忘れてしまう心地になる。だから公の場では、すこしくつろぎすぎてしまい、くだけているきらいがあった。それも道理であったのだ。こちらの宰相は、学問の程度も高く、心遣いが男らしく、しっかりしていて、申し分ない人だと、世間のおぼえがあるようだ」などおっしゃってご対面なさる。しかつめらしい形式ばったお話は少しだけにして、花見の宴にお移りになった。

(内大臣)「春の花はどれもこれも、みな咲き匂う色ごとに、目をおどろかさないものはないが、心短かに、花を惜しむ人の気持ちをなおざりにして散ってしまうのが、恨めしく思える。その時期に、この藤の花だけがあとに残って、夏まで咲きかかっているようすが、妙に奥ゆかしくしみじみと思われるのです。藤の花の紫の色も、また、親しみぶかい我々の縁とみることができましょう」といって、微笑んでいらっしゃる、その面持ちは、いかにもなにか言いたげに、美しく色づいている。

月はさしのぼってきたが、花の色ははっきりとも見えない頃であるが、花を愛でるのにことよせて、お酒を召し上がり、管弦のお遊びなどをなさる。内大臣は、ほどなく空酔をなさって、むやみに宰相にお酒をすすめてお酔わせになるのを、宰相はそれと承知して、断りづらくて困っていらっしゃる。

(内大臣)「貴方は、末世にはあまるほどの天下の識者でいらっしゃるらしいのに、年を取った人をお見捨てになることがまことに辛いですよ。昔の書物にも、家礼ということがあるはずです。何とかという人の教えもよくご存知だろうと思いますのに、ひどく私の心をお悩ましになられると、お恨み申し上げておりまして」などとおっしゃって、酔い泣きだろうか、おかしいほどに、おっしゃりたい真意をほのめかしていらっしゃる。(夕霧)「どうしてそんな。故人を思い出す御よすがとなる方々には、身を棄ててでもと存じておりますのに、それをどう曲解なさってのことでございましょう。もとより愚かな私の怠惰な心からきていることですが」と、恐縮して申し上げなさる。内大臣はよい頃合いを見てにぎやかになさって、(内大臣)「藤の裏葉の」とお口ずさみになられる、そのご意向をお受けして、頭中将(柏木)が、藤の花の色が濃くて特に房の長いのを折って、客人のお盃に添える。宰相がこれを取って応対に困っていると、内大臣が、

紫に……

(藤の花の紫に恨み言はもっていきましょう。藤の花が松よりも長く垂れているのがいまいましいですが=娘のほうに愚痴は申しましょう。娘をさんざん待たせた貴方がいまいましくいですが)

宰相が盃を持ったまま、形ばかり、お礼の所作をなさったさまは、まことに風情がある。

(夕霧)いくかへり……

(何度も涙にくれる春をすごしてきて、ようやく花がひらく折にあえるのでしょうか)

宰相が頭中将(柏木)に盃を取らせると、

たをやめの……

(乙女の袖と見まがうばかりの藤の花ですが、見る人次第でさらに美しくなるでしょう。貴方と結ばれて、妹もさぞ美しくなるでしょう)

次々と盃が流れるようだが、酔に紛れてうまくいかず、これよりよい歌はできない。

四月七日の夕月の光がほのかに輝く中、池の面が鏡のようにのどかに澄みわたっている。なるほど、まだ葉が見え始めたばかりの木々の梢が物足りない季節であるが、たいそうよい格好を見せて横たわっている松の木の、さほど木高いというほどではない枝に咲きかかっている藤の花のさまは、世の常ならずしみじみと風情がある。

例によって、弁少将が、とても魅惑的な声で、葦垣を歌う。内大臣は、「ひどく風変りな歌を歌うものだな」と威儀をくずされて、「年経にけるこの家の」と歌の文句を変えて合唱なさる、そのお声はまことに美しい。よい具合にくつろいだ御遊びなので、わだかまりもすっかり消え失せてしまったようである。

しだいに夜が更けていくにつれて、宰相は悪酔いしたふりをなさって、(夕霧)「酔い心地がひどくたえがたいので、退出するにしてもその道中がおぼつかなくなってしまったようです。宿直所をお貸しいただけましょうか」と、頭中将(柏木)に訴え申される。内大臣は、「朝臣や、ご休み所を用意しなさい。老人はひどく酔いがまわって礼儀もなにもないから、退出しよう」と言い捨てて奥へお入りになった。

語句

■黄昏も過ぎ 内大臣の歌に「わが宿の藤の色こきたそかれに」とあった(【藤裏葉 03】)。 ■心やましきほど 内大臣が夕霧はいつ来るのかとじりじり待ち焦がれている頃合いに。参考「いまぞしるくるしきものと人待たむ里をば離れずとふべかりけり」(伊勢物語四十八段)。 ■なほ人にすぐれて 夕霧の容姿のすぐれていることは繰り返し描写されている(【藤裏葉 02】)。 ■御冠 烏帽子でよいところをわざわざ冠をかぶるところに、丁重に夕霧を客人として迎える意図が出ている。 ■北の方 内大臣の北の方。もと右大臣家の四の君。弘徽殿皇太后の妹。 ■警策 詩文や人柄などが、人を驚かすほど立派であること。「警」はいましめること。「策」は馬に当てる鞭。 ■公ざまは 源氏は風流で美しいが、公の場に出すとあまりに風流すぎ、くだけた感じになると、そこが玉に瑕であると内大臣は見ている。 ■ことわりぞかし 源氏は宮中で生まれ育ったので、人臣とはおのずと違っているの意。 ■すくよかに 「すくよかなり」はここではしっかりしている。 ■むべむべしき御物語 形式ばった会話。儀礼にのっとった挨拶など。 ■うち棄てて 花を惜しむ人の気持ちをないがしろにして。参考「ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ」(小倉百人一首三十三番 紀友則)、「世の中にたえてさくらのなかりせば春の心はのどけからまし」(伊勢物語八十ニ段)。 ■夏に咲きかかるほど 藤が晩春から夏にかけて咲くことをいう。「夏にこそ咲きかかりけれ藤の花松にとのみも思ひけるかな」(拾遺・夏 源重之)。 ■色も 「紫」は「縁」に通じる。「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」(古今・雑上 読人しらず)が有名。参考「むらさきの色こき時はめもはるに野なる草木ぞわかれざりける」(伊勢物語四十一段)。内大臣は雲居雁を藤の花に見立て、夕霧に結婚をすすめている。 ■うちほほ笑みたまへる 言外に雲居雁との結婚をすすめる意図をただよわせる。 ■もてあそぶに心を寄せて 藤の花を賞翫するという名目で。 ■空酔 酔の勢いに乗じて言いたいことを言おうとする。 ■乱りがはしく むやみに。度を越した酒のすすめ方をする。 ■さる心して 夕霧も、内大臣の意図を察知している。自分を酔わせて話をつけさせようとしていると。 ■すまひ悩めり 「すまふ」は辞退する。 ■有職 朝廷行事や儀式などに通じている人。 ■文籍 古典。古い書物。 ■家礼 「高祖五日ニ一タビ大公ニ朝スルコト、家人父子ノ礼ノ如シ」(史記・高祖本紀)。子が、血がつながっている父ではないがそれに準じた敬意を目上に人によせることをいう。 ■なにがしの教 孔子の教え。儒教。 ■藤の裏葉の… 「男のもとより頼みおこせてはべりければ/春日さす藤の裏葉のうらとけて君し思はば我も頼まむ」(後撰・春下 読人しらず)。歌意は、うら(心)が解けて、貴方から私のことを思ってくれるなら、私も貴方を頼みにしましょう。「春日さす藤の裏葉の」までが「うらとけて」の序詞。この歌をふまえて、雲居雁の立場から夕霧に承諾の意を投げているわけである。つまり「結婚を認める」という意味となる。巻名のゆらい。 ■御気色を賜はりて 内大臣の意図をくんで。 ■紫に… 前の「藤の裏葉を」をふまえる。「かごと」は恨み言。「うれたし」はいまいましい。「紫」は雲居雁。「まつ」は「松」と「待つ」をかけるが、実際に松に藤の花が咲きかかっている。参考「松に藤なみ咲きかかつて」(『平家物語』巻七「竹生島詣」)。「うれたし」に藤の「うれ(末)」をかける。 ■拝したてまつりたまへる 拝舞。お礼の所作。 ■いくかへり… 「花のひもとく」は花が開く。結婚の望みがかなうことをいう。 ■たをやめの… 「藤の花」は雲居雁。 ■順流る 酒宴で盃がまわってくると歌を一首ずつよむのが作法。 ■七日 前に「四月の朔日ごろ」とあった。 ■夕月夜 夕月のこと。 ■げに 前の内大臣の御文にあった「わが宿の」の歌(【藤裏葉 02】)などをふまえて、「おもしろし」にかかる。 ■けしきばみ 「気色ばむ」は気取ったふうをする。かっこうを作る。松を擬人化している。 ■例の弁少将 内大臣の息子。美声の持ち主。宴の場でよく歌う(【梅枝 03】)。 ■蘆垣 「葦垣真垣、真垣かき分け、てふ越すと、負ひ越すと、誰、てふ越すと、誰か、誰か、この事を、親に、まうよこし申しし、とどろける、この家、この家の、弟嫁《おとよめ》、親に、まうよこしけらしも、天地《あめつち》の、神も、神も、証《そう》したべ、我はまうよこし申さず、菅の根の、すがな、すがなき事を、我は聞く、我は聞くかな」(催馬楽・葦垣)。歌意は、「葦垣も真垣も、真垣もかきわけて、今日越えて行くと、女を背負って越えて行くと、誰が今日越えて行くと、誰が、誰がこの事を、親に告げ口したのだろう。評判高いこの家、この家の弟嫁が、親に告げ口したのだろう。天地の神も、神も、証してください、私は告げ口申していません、つまらない、つまらない事を私は聞く 私は聞くことよ」。夕霧が雲居雁を連れ去ったことを、内大臣兄弟の嫁が内大臣に告げ口して、駆け落ちは失敗に終わった、告げ口したのは私ではありませんよの意。夕霧と雲居雁の縁談が成就したことを冗談めかして悪しざまに歌っている。 ■けやけうも 「けやけし」は異様だ。場違いだ。あてこするような催馬楽の文句に対していう。 ■うち乱れ 行儀を崩して。 ■年経にけるこの家の 前の催馬楽の「とどろける、この家、この家の」を「年経にけるこの家、この家の」と即興で歌詞を替えて合唱したのだろう。 ■そら悩み 酔ったふりをして。 ■空も 「空」は方角、場所の意。帰りの道中のこと。 ■ほとほとしうこそはべりぬべけれ 「殆《ほとほと》し」は、「ほとんど…しそうだ」の意。それを否定しているので、「無事に帰れそうもない」の意にここではなる。 ■宿直所 泊まる所。一晩泊めてくださいと頼んでいるのである。 ■朝臣や 内大臣が柏木に呼びかける。 ■翁 内大臣の自称。 ■無礼なれば 礼儀を保つことができないから。

朗読・解説:左大臣光永