平家物語 三十ニ 卒塔婆流

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『平家物語』巻第ニより「卒塔婆流(そとばながし)」。

鬼界が島に流された康頼入道が都へ帰ることを願い、千本の卒塔婆に歌を書いて海に流すと、そのうちの一本が厳島神社に流れ着く。

前回「康頼祝詞」からのつづきです。
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あらすじ

鬼界が島に流された三人のうち、丹波少将成経と康頼入道は、島の中に 熊野三所権現に見立てた場所をしつらえ(「康頼祝詞」)、都へ帰れるよう祈っていた。

ある時、夜通し祈って今様を歌う。その明け方、康頼入道は夢を見た。

沖から白い帆をかけた舟が近づいてきて、赤い袴を着た女房が二三十人上がり、

よろづの仏の願よりも 千手の誓ぞたのもしき
枯れたる草木も忽ちに 花さき実なるとこそきけ
(どんなに多くの仏の誓願より、千手観音の誓願こそ頼りになる。
枯れた草木もたちまちに花を咲かせ、実を実らせるという)

と三べん見事に歌いきって、消えた。

目が覚めて康頼入道は「竜神が姿を変えて現れたのだ」と喜ぶ。

また、こんな夢もあった。

沖から吹く風が二人の袂に木の葉を吹き付けたので、見ると 熊野の神木、南木(なぎ)の葉である。

その南木の葉には虫食いの跡が文字の形になっていて、一首の歌が読み取れた。

千はやふる神にいのりのしげければなどか都へ帰らざるべき
(お前たちの神への祈りは、大変熱心だ。どうして都へ帰れないことがあるだろう。「千はやふる」は「神」の枕詞)

康頼入道は故郷の恋しさに、千の卒塔婆を作り、二首の歌をしるした。

薩摩潟おきのこじまに我ありと おやにはつげよ八重の潮風
(薩摩潟の沖にあるこの小島に私はいると、親に伝えておくれはるかな海をわたる潮風よ )

思ひやれしばしと思ふ旅だにも なほ古郷はこひしきものを
(思いやっておくれ ほんのしばらくの旅でも故郷は恋しいものだ。まして こんな いつ帰れるかわからない状況で、どんなに心細いか)

康頼入道は神仏に祈りながら卒塔婆を海へ流した。

その祈りが通じたのだろうか千本のうち一本が安芸の国厳島神社の御前の 砂浜に 打ち上げられた。

康頼入道の知り合いの僧が、西国修行の手始めに厳島へ立ち寄った時のこと。

宮人(神社に使える人)と思しき狩衣装束した男に出会い、厳島神社の由来 などを きいていた。

すると沖から一本の卒塔婆が流れてきて、そこに「おきのこじまに我あり」と康頼入道の歌が刻まれていた。

僧はこれを都に持ち帰り、康頼入道の妻子や、老母の尼公に見せた。

後白河法皇や清盛もこの話を知り、哀れに思った。

原文

丹波少将(たんばのせうしやう)、康頼入道(やすよりにふだう)、常は三所権現(さんじよごんげん)の御前(おんまへ)に参ツて、通夜(つや)する折もありけり。或時二人(あるときににん)通夜して、夜もすがら今様(いまやう)をぞうたひける。暁(あかつき)がたに、康頼入道ちツとまどろみたる夢に、おきより白い帆かけたる小舟(こぶね)を、一艘(さう)こぎ寄せて、舟のうちより紅(くれなゐ)の袴(はかま)着たる女房達、二三十人あがり、鼓(つづみ)をうち、こゑを調(ととの)へて、

よろづの仏の願(ぐわん)よりも 千手(せんじゆ)の誓(ちかひ)ぞたのもしき
枯れたる草木(くさき)も忽(たちま)ちに  花咲き実(み)なるとこそきけ

と、三べんうたひすまして、かき消つやうにぞうせにける。
夢さめて後、奇異(きい)の思(おもひ)をなし、康頼入道申しけるは、「是(これ)は竜神(りゆうじん)の化現(けげん)とおぼえたり。三所権現のうちに、西(にし)の御前(ごぜん)と申すは、本地千手観音(ほんぢせんじゆくわんおん)にておはします。竜神は則(すなは)ち、千手の廿八部衆(ぶしゆ)の其一つなれば、もツて御納受(なふじゆ)こそたのもしけれ」。又或夜(あるよ)、二人通夜して、同じうまどろみたりける夢に、おきより吹きくる風の、二人が袂(たもと)に木の葉を二つふきかけたりけるを、何となうとツて見ければ、御熊野(みくまの)の南木(なぎ)の葉にてぞありける。彼(かの)二つの南木の葉に、一首の歌を虫くひにこそしたりけれ。

千はやふる神にいのりのしげければなどか都へ帰らざるべき

康頼入道、古郷(ふるさと)の恋しきままに、せめてのはかりことに、千本(せんぼん)の卒塔婆(そとば)を作り、阿字(あじ)の梵字(ぼんじ)、年号月日(ねんがうつきひ)、仮名実名(けみやうじつみやう)、二首の歌をぞ書いたりける。

さつまがたおきの小島(こじま)に我ありとおやにはつげよやへのしほかぜ
思ひやれしばしと思ふ旅だにもなほふるさとはこひしきものを

是(これ)を浦にもツて出でて、「南無帰命頂礼(なむきみやうちやうらい)、梵天帝釈(ぼんでんたいしやく)、四大天王、堅牢地神(けんらうぢじん)、王城の鎮守(ちんじゆ)諸大明神、殊(こと)には熊野権現(くまのごんげん)、厳島(いつくしま)大明神、せめては一本なりとも、都へ伝へてたべ」とて、興津白浪(おきつしらなみ)の、寄せてはかへるたびごとに、卒塔婆を海にぞ浮(うか)べける。卒塔婆を作(つく)り出(いだ)すに随(したが)つて、海に入れければ、日数(ひかず)つもれば、卒塔婆のかずもつもり、その思ふ心や便(たより)の風ともなりたりけむ、又神明仏陀(しんめいぶつだ)もやおくらせ給ひけむ、千本の卒塔婆のなかに、一本、安芸国厳島(あきのくにいつくしま)の大明神の御(おん)まへの渚(なぎさ)に、うちあげたり。

現代語訳

丹波少将と康頼入道は、いつもは熊野三所権現の御前に参って、夜通し祈りを捧げる時もある。ある時二人で夜通し祈りを捧げて、一晩中今様を歌った。明け方に康頼入道が少しまどろんで見た夢に、沖から白い帆をかけた小船を、一艘漕ぎ寄せて、舟の中から紅の袴を着た女房たちがニ三十人あがって、鼓をうち、声をあわせて、

よろづの仏の願よりも…

あらゆる仏の誓願よりも、千手観音の誓願こそたのもしい。枯れた草木もたちまちに花咲き実がなるときく。

と三べん立派に歌い終えて、かき消すように消えた。夢さめた後、不思議に思い、康頼入道が申すには、「これは竜神が姿を変えて現れたのだと思う。三所権現のうちに、西の御前と申すのは、本地は千手観音でいらっしゃる。竜神は、千手観音二十八部衆の一つであるので、だからこそ、必ず願いをお聞き入れくださることがたのもしい」

またある夜、二人一晩中祈りを捧げて、同じようにまどろんで見た夢に、沖から吹いてくるが、二人の袂に木の葉を二つ吹きかけたのを、何となく取って見たら、熊野三山の御神木、梛(なぎ)の葉であった。その二つの梛の葉に、一首の歌を虫くいの穴によって書いていた。

千はやふる…

神に熱心に祈ったので、どうして都に帰れないことがあろうか。

康頼入道は、都の恋しいのにまかせて、せめての方法として、千本の卒塔婆を作り、阿字の梵字、年号月日、通称・本名、ニ首の歌を書いた。

さつまがた…

薩摩潟の沖の小島に私はいると、親に告げてくれ。はるかな海路を渡る潮風よ。

思ひやれ…

考えてみてほしい。ほんのしばらくと思うたびさえも、やはり古里は恋しいものを。ましてこんないつ帰れるかもしれない旅。いっそう古里が恋しいのだ。

これを浦にもって出て、「南無帰命頂礼、梵天、帝釈、四天王、大地を堅牢にする神々、都の鎮守の神々、中にも熊野権現、厳島大明神、せめては一本だけでも、都へお伝えください」といって、沖の白波の、寄せては返すたびごとに、卒塔婆を海に浮かべた。卒塔婆を作り出すとすぐに、海に入れたので、日数が経つと、卒塔婆の数も増えて、その思う心が助けになる風ともなったのだろうか。また神明仏陀が送らせになったのだろうか。千本の卒塔婆のなかに一本が、安芸国厳島の大明神の御前の渚に、打ち上げた。

語句

■通夜 一晩中仏に祈念すること。 ■よろづの仏の… 四句を「花さき実なると説い給ふ」として『梁塵秘抄』巻ニ、『梁塵秘抄口伝集』巻十に。 ■化現 神仏が姿を変えてあらわれること。 ■西の御前 熊野本宮第ニ殿、早玉宮の相殿(あいどの)、結宮(むすびのみや)。相殿は神社の主祭神に対して合祀された神、またはその神をまつった宮。 ■千手の廿八部衆 二十八部衆。千手観音の二十八の眷属。東西南北と上下に各四部、北東・東南・北西・西南に各一部ずつ、計二十八が配される。 ■もッて これまでの文をうけて強調。だからこそ、それゆえに。 ■納受 神仏が願いを聞き入れること。 ■御熊野 三熊野。熊野三山=新宮市の熊野速玉大社、田辺市の熊野本宮大社、那智勝浦町の熊野那智大社。 ■南木 梛。熊野三山の御神木。 ■虫くひに 虫食いの穴で文字が書いてある状態。 ■阿字 密教で、すべての文字の母とされる。 ■梵字 真言を文字にしたもの。 ■仮名実名 通称と本名。 ■さつまがた… 『千載集』羇旅歌に「心の外なることありて知らぬ国に侍りける時詠める 平康頼」、『宝物集』に「鬼界ガ島ニ侍リケル比、未ダイキタル由ヲ読テ母ノモトヘ 康頼入道性照」。 ■思ひやれ… 『玉葉集』羇旅歌に「遠き国に侍りける時都の人にいひつかはしける 平康頼」。 ■南無帰命頂礼 なむきみょうちょうらい。仏を拝むときに冒頭につける言葉。「南無」は仏を称える語。「帰命」は仏の教命に帰する(従う)こと。「頂礼」は頭を仏の足元につけて礼拝すること。 ■梵天 大梵天王。梵天王。欲界を離れた清浄な世界=梵天の主。 ■帝尺 帝釈天。須弥山、忉利天の喜見城(きけんじょう)の主。梵天とともに仏教の守り神。 ■四大天王 帝釈天の部下。須弥山の四方にいる。持国天、増長天、広目天、多聞天。「じぞうこうた」と覚える。 ■堅牢地神 大地を支え堅牢にする神。 ■王城の鎮守 平安京を守護する神々。伊勢・石清水・賀茂・松尾など二十一社。 ■興津白波 沖つ白波。沖に立つ白波。 ■便の風 都合のよい・役に立つ・有益な・助けになる風。 

原文

康頼がゆかりありける僧、しかるべき便(たより)もあらば、いかにもして、彼島(かのしま)へわたツて、其行(そのゆく)ゑをきかむとて、西国修行(さいこくしゆぎやう)に出でたりけるが、先(ま)づ厳島(いつくしま)へぞ参りたりける。爰(ここ)に宮人(みやうど)とおぼしくて、狩衣装束(かりぎぬしやうぞく)なる俗、一人いできたり。此僧(このそう)何となき物語しけるに、「夫和光同塵(それわくわうどうぢん)の利生(りしやう)、さまざまなりと申せども、いかなりける因縁をもツて、此御神(おんがみ)は海漫(かいまん)の鱗(いろくづ)に縁をむすばせ給ふらん」と問ひ奉る。宮人(みやうど)答へけるは、「是はよな、娑羯羅竜王(しやかつらりゆうわう)の第三の姫宮(ひめみや)、胎蔵界(たいざうかい)の垂跡(すいしやく)なり」。此島に御影向(ごやうがう)ありし初(はじめ)より、済度利生(さいどりしやう)の今に至るまで、甚深奇特(じんじんきどく)の事共をぞかたりける。さればにや八社の御殿(ごてん)、甍(いらか)をならべ、社(やしろ)はわだづみのほとりなれば、塩(しほ)のみちひに月ぞすむ。しほみちくれば、大鳥居(おほどりゐ)、あけの玉墻(たまがき)、瑠璃(るり)の如し。塩引きぬれば、夏の夜なれど御(お)まへの白洲(しらす)に霜ぞおく。いよいよたツとくおぼえて、法施(ほつせ)参らせて居たりけるに、やうやう日暮れ月さし出でて、塩のみちけるが、そこはかとなき藻(も)くづ共のゆられ寄りけるなかに、卒塔婆(そとば)のかたのみえけるを、何となうとツて見ければ、「興(おき)の小島に我あり」と、書きながせることのはなり。文字をばゑり入(い)れ、きざみ付けたりければ、浪(なみ)にもあらはれず、あざあざとしてぞみえたりける。「あなふしぎ」とて、これを取ツて、笈(おひ)の肩にさし、都へのぼり、康頼(やすより)が老母(らうぼ)の尼公(にこう)、妻子(さいし)共が、一条(いちでう)の北、紫野(むらさきの)と云ふ所に、忍(しの)びつつ住みけるに、見せたりければ、「さらば此(この)卒塔婆が、もろこしのかたへもゆられゆかで、なにしにこれまでつたひ来て、今更物を思はすらん」とぞかなしみける。遥(はる)かの艶文(えいぶん)に及んで、法皇これを御覧じて、「あなむざんや。されば今まで、此者共は、命のいきてあるにこそ」とて、御涙をながさせ給ふぞ忝(かたじけな)き。小松のおとどのもとへ、送らせ給ひたりければ、是(これ)を父の入道相国に見せ奉り給ふ。柿本人丸(かきのもとひとまる)は、島がくれゆく船を思ひ、山辺(やまのべ)の赤人(あかひと)は、あしべのたづをながめ給ふ。住吉(すみよし)の明神は、かたそぎの思(おもひ)をなし、三輪(みわ)の明神は杉たてる門(かど)をさす。昔素戔烏尊(そさのをのみこと)、三十一字(じ)のやまとうたをはじめおき給ひしよりこのかた、もろもろの神明(しんめい)、仏陀(ぶつだ)も、彼詠吟(かのえいぎん)をもツて、百千万端(はくせんばんたん)の思(おもひ)をのべ給ふ。入道も石木(いはき)ならねば、さすが哀れげにぞ宣(のたま)ひける。

現代語訳

康頼に縁のある僧が、うまいついでがあれば、あの島にわたって、康頼の消息をきこうということで、西国修行に出たが、まず厳島へ参った。ここに神社の宮人とおぼしくて、狩衣装束をきた俗人が、一人出てきた。この僧は、何ということもない世間話をしたところ、「いったい和光同塵の仏の衆生に与えるご利益はさまざまであるといっても、どんな因縁をもって、この御神は、大海の魚に縁をお結びになられたのだろう」と宮人に質問申し上げた。宮人が答えたのは、「これはですね、沙羯羅竜王の第三の姫君で、胎蔵界の主・大日如来の垂迹です」。

この厳島に衆生を救うために現れなさったそのはじめから、衆生を救い利益しようとされている今に至るまで、とても不思議な事どもを語った。

だからだろうか、厳島の八社の御殿が甍をならべ、社は海のほとりにあるので、潮の満干に月が澄み渡っている。潮が満ちてくると、大鳥居とあけの玉垣が瑠璃のようだ。潮が引いてしまうと、夏の夜であっても御前の白洲が霜を置いたように見える。いよいよ尊く思えて、読経し申し上げていたところ、だんだん日が暮れて月が出て、潮が満ちたが、なんということもない藻くずなどがゆられ寄ってきた中に、卒塔婆の形が見えたのを、何となく取ってみれば、「興の小島に我あり」と、書き流した言葉であった。文字を彫り入れ、刻みつけてあるので、浪にも洗われず、はっきとり文字が見えている。「ああ思いがけないことだ」と、これを取って、笈の肩にさし、都へのぼり、康頼の老母の尼君や妻子などがゆられ、一条の北、紫野というところに、忍びつつ住んでいるのに見せたところ、「ではこの卒塔婆が、唐土の方へもゆられ行かないで、何しにここまで伝わり来て、いまさら物を思わせるのだろうか」と悲しんだ。はるかに後白河法皇のお耳にも届き、法皇はこれをご覧になり、「ああひどいことよ。では今まで、この者どもは、命生きてあるのだな」といって、御涙をお流しになったのは畏れ多いことであった。小松の大臣(重盛)のもとへ、送らせなさったところ、これを父の入道相国に見せ申し上げなさった。

柿本人麻呂は、島がくれゆく船を思い、山部赤人は、葦辺のたづをながめられた。住吉の明神は、寒い夜に木の片方をそいだような寒々した思いをなし、三輪の明神は杉の立つ門に私をたずねてこいと呼びかけなさった。スサノオノミコトが三十一字の和歌をはじめ作られててよりこの方、さまざまな神明、仏陀も、その歌を歌うことによつて、さまざまな思いをのべられた。入道もまさか石や木ではないので、やはり哀れげにおっしゃったのだった。

語句

■和光同塵 仏が仏としての光を隠して、衆生を救うために衆生と同じ煩悩の塵をまとった姿としてあらわれること。 ■利生 りしょう。仏が衆生に与える利益(りやく)。 ■海漫の鱗 かいまんのいろくづ。大海の魚。 ■沙羯羅竜王 しやかつらりゆうわう。八大竜王の三番目。 ■胎蔵界 『大日経(だいにちきょう)』にある仏の世界で、「金剛界」とならぶ。胎蔵界、金剛界を視覚的にあらわしたのが退蔵曼荼羅、金剛界曼荼羅。胎蔵界・金剛界の主が毘盧遮那仏=大日如来。ここでは胎蔵界=大日如来。 ■御影向 ごやうがう。神仏が衆生救済のためあらわれること。 ■済度利生 さいどりしやう。衆生を救い浄土に渡し利益を与えること。 ■甚深危特 きわめて不思議な。 ■八社 厳島神社の三女神と相殿五座をあわせる。 ■わだつみ 海。 ■月ぞすむ 「すむ」は「澄む」と「住む」を掛ける。 ■法施 経を唱えること。 ■そこはかとなき どこからというものでもない。 ■ゑり入れ 彫り入れ。 ■遙かの叡聞に及んで はるかに法皇のお耳に聞こえて。 ■柿本人丸 柿本人麻呂。文武・持統朝の歌人。山部赤人とならび称して「山柿(さんし)」という。 ■あしべのたづをながめ給ふ 「若の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」(万葉集919)。 ■かたそぎの思 「よや寒き衣やうすきかたそぎのゆきあひのまより霜やおくらん」(新古今・神祇)。「かたそぎ」は神社の屋根に使う千木(ちぎ)のこと。千木は木の片方が削ぎ落としていることから。 ■三輪の明神は杉立て門… 「わが庵は三輪の山もと恋しくはとぶらひ来ませ杉たてる門」(古今・雑下 読人知らず)。「三輪明神御歌 恋しくはとぶらひ来ませわが宿は三輪の山もと杉たてる門」(袋草紙)。 ■昔素戔嗚尊… スサノオノミコトが初めて和歌を詠んだことは『古事記』にみえる。「八雲立つ出雲八重垣妻ごめに八重垣つくるその八重垣を」。 ■百千万端 はくせんばんたん。さまざまな。 ■石木ならねば 「人非木石皆有情」(白氏文集・四・李夫人)。

次の章「三十三 蘇武

朗読・解説:左大臣光永

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