宇治拾遺物語 7-4 検非違使忠明(けびゐしただあきら)の事

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これも今は昔、忠明といふ検非違使ありけり。それが若かりける時、清水(きよみず)の橋のもとにて京童部(きやうわらんべ)どもといさかひをしけり。

京童部手ごとに刀を抜きて、忠明を立ちこめて殺さんとしければ、忠明も太刀を抜いて、御堂(みだう)ざまに上(のぼ)るに、御堂の東のつまにも、あまた立ちて向ひ合ひたれば、内へ逃げて、蔀のもとを脇(わき)に挟みて前の谷へ躍(をど)り落つ。蔀、風にしぶかれて、谷の底に鳥のゐるやうにやをら落ちにければ、それより逃げて往(い)にけり。京童部ども谷を見下ろして、あさましがり、立ち並(な)みて見けれども、すべきやうもなくて、やみにけりとなん。

現代語訳

これも今は昔、忠明という検非違使がいた。それが若い時、清水の橋の下で京の無頼の若者たちと喧嘩をした。

若者たちは、手に手に刀を抜き、忠明に立ち塞がり閉じ込めて殺そうとしたので、忠明も太刀(たち)を抜いて、御堂(みだう)の方向に上(のぼ)ると、御堂の東の端にもたくさんの若者が立って向かい合ったので、御堂の中に逃げて、蔀(しとみ)の下部を脇(わき)に挟んで前の谷へ躍り込んだ。蔀は、風の抵抗を受けて、谷底に鳥がとまるように、静かに落ちたので、そこから逃げ去った。若者たちは、谷を見下ろして驚きあきれて、立ち並んで見ていたが、どうしようもなくて、それっきりで終わったということだ。

語句

■検非違使忠明(けびゐしただあきら)-伝未詳。大系は『権記』長徳 三年(997)五月二十四日条に、強盗追補のたに近江国(滋賀県)へ下向したと見える「忠明」がこの人物かとする。■検非違使-京中と周辺地域の犯罪を取り締まり、逮捕・検察・処罰を行う検非違使庁の役人。■清水の橋のもと-清水寺の本堂前面にある「清水の舞台」をさす。その舞台の下のあたり。■京童-洛中(都の中)の無頼の若者たち。■ざまに-方向に。■蔀(しとみ)-寝殿造りや社寺の外回りの建具で、格子の裏に板を貼った蔀戸。■風にしぶかれて-風の抵抗を受けて(急速に落下することはなく)。■やみにけりとなん-それっきりで終わったという。

朗読・解説:左大臣光永

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