宇治拾遺物語 7-5 長谷寺参籠(はせでらさんろう)の男、利生(りしやう)にあづかる事

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原文

今は昔、父母も主(しゆう)もなく、妻も子もなくて、ただ一人(ひとり)ある青侍(あをさぶらひ)ありけり。すべき方(かた)もなかりければ、「観音助け給へ」とて、長谷(はせ)に参りて、御前にうつぶし伏して申しけるやう、「この世にかくてあるべくは、やがてこの御前にて干死(ひじに)に死なん。もしまたおのづからなる便りもあるべくは、その由(よし)の夢を見ざらん限りは出づまじ」とてうつぶし伏したりけるを、寺の僧見て、「こはいかなる者の、かくては候(さぶら)ふぞ。物食ふ所も見えず。かくうつぶし伏したれば、寺のためけがらひ出(い)で来(き)て大事になりなん。誰(たれ)を師にはしたるぞ。いづくにてか物は食ふ」など問ひければ、「かく便りなき者は師もいかでか侍らん。物賜(たまは)る所もなく、あはれと申す人もなければ、仏の賜はん物をたべて、仏を師と頼み奉りて候ふなり」と答へければ、寺の僧ども集りて、「この事いと不便(ふびん)の事なり。寺のために悪(あ)しかりなん。観音をかこち申す人にこそあんなれ。これ集りて養ひて候はせん」とて、かはるがはる物を食はせければ、持(も)て来る物を食ひつつ、御前を立ち去らず候ひける程に、三七日になりにけり。

三七日果てて明けんとする夜の夢に御帳(みちやう)より人の出でて、「このをのこ、前世の罪の報(むく)ひをば知らで、観音をかこち申してかくて候(さぶら)ふ事、いとあやしき事なり。さはあれども、申す事のいとほしければ、いささかの事計らひ給(たまは)りぬ。まづすみやかにまかり出でよ。まかり出でんに、何(なに)もあれ、手にあたらん物を取りて、捨てずして持ちたれ。とくとくまかり出でよ」と追はるると見て、はひ起きて、約束の僧のがり行きて、物をうち食ひて、まかり出でける程に、大門にてけつまづきて、うつぶしに倒れにけり。

起きあがりたるに、あるにもあらず手に握られたる物を見れば、藁すべといふもの、ただ一筋握られたり。「仏の賜ふ物にてあるにやあらん」と、いとはかなく思へども、「仏の計らはせ給ふやうあらん」と思ひて、これを手まさぐりにしつつ行く程に、虻(あぶ)一つぶめきて顔のめぐりにあるを、うるさければ、木の枝を折りて払ひ捨つれども、なほただ同じやうにうるさくぶめきければ、捕へて、腰をこの藁筋(わらすぢ)にてひき括(くく)りて、枝の先につけて持たりければ、腰を括られて、外(ほか)へはえ行かで、ぶめき飛びまはりけるを、長谷(はせ)に参りたる女車の、前の簾(すだれ)をうちかづきてゐたる児(ちご)の、いと美しげなるが、「あの男の持ちたる物は何(なに)ぞ。かれ乞(こ)ひて我に賜(た)べ」と、馬に乗りて供にある侍(さぶらひ)にいひければ、その侍、「その持ちたる物、若公(わかぎみ)の召すに参らせよ」といひければ、「仏の賜(た)びたる物に候へど、かく仰(おほ)せ事(ごと)候へば参らせ候はん」とて取らせたりければ、「この男、いとあはれなる男なり。若公の召す物をやすく参らせたる事」といひて、大柑子(おほかうじ)を、「これ、喉(のど)渇くらん、食べよ」とて三つ、いとかうばしきみちのくに紙に包みて取らせたりければ、侍、取り伝へて取らす。

「藁一筋が大柑子三つになりぬる事」と思ひて、木の枝に結(ゆ)ひつけて、肩にうち掛けて行く程に、「故(ゆゑ)ある人の忍びて参るよ」と見えて、侍などあまた具(ぐ)して、徒(かち)より参る女房の、歩み困(こう)じて、ただたりにたりゐたるが、「喉の渇けば、水飲ませよ」とて、消え入るやうなりければ、供の人々手惑(てまど)ひをして、「近く水やある」と、走り騒ぎ求むれど、水もなし。「こはいかがせんずる。御旅籠馬(はたごむま)にやもしある」と問へば、「遥(はる)かに後(おく)れたり」とて見えず。ほとほとしきさまに見ゆれば、まことに騒ぎ惑ひてしあつかふを見て、「喉(のど)渇きて騒ぐ人よ」と見ければ、やはら歩み寄りたるに、「ここなる男こそ水のあり所は知りたるらめ。このあたり近く、水の清き所やある」と問ひければ、「この四五町が内には清き水候(さぶら)はじ。いかなる事の候ふにか」と問ひければ、「歩み困(こう)ぜさせ給ひて、御喉の渇かせ給ひて水ほしがらせ給ふに、水のなきが大事なれば、尋ぬるぞ」といひければ、「不便(ふびん)に候ふ御事かな。水の所は遠くて、汲(く)みて参らば程経(へ)候ひなん。これはいかが」とて、包みたる柑子(かうじ)を三つながら取らせたりければ、悦(よろこ)び騒ぎて食はせたりければ、それを食ひてやうやう目を見あけて、「こはいかなりつる事ぞ」といふ。

御喉渇かせ給ひて、『水飲ませよ』と仰(おほ)せられつるままに、御殿籠(とのごも)り入らせ給ひつれば、水求め候ひつれども、清き水の候はざりつるに、ここに候ふ男の、思ひかけぬにその心を得て、この柑子を三つ奉りたりつれば、参らせたるなり」といふに、この女房、「我は、さは喉渇きて絶え入りたりけるにこそありけれ。『水飲ませよ』といひつるばかりは覚ゆれど、その後の事露(つゆ)覚えず。この柑子得(え)ざらましかば、この野中にて消え入りなまし。うれしかりける男かな。この男いまだあるか」と問へば、「かしこに候ふ」と申す。「その男しばしあれといへ。いみじからん事ありとも、絶え入り果てなば、かひなくてこそやみなまし。男のうれしと思ふばかりの事は、かかる旅にてはいかがせんずるぞ。食物(くひもの)は持ちて来たるか。食はせてやれ」といへば、「あの男、しばし候へ。御旅籠馬(はたごむま)など参りたらんに、物など食ひてまかれ」といへば、「承りぬ」とてゐたる程に、皮籠馬など来着きたり。「などかく遥(はる)かに後(おく)れては参るぞ。御旅籠馬などは常に先だつこそよけれ。とみの事などもあるに、かく後(おく)るるはよき事かは」などいひて、やがて幔(まん)引き、畳など敷きて、「水遠かんなれど、困(こう)ぜさせ給ひたれば、召し物はここにて参らすべきなり」とて、夫(ふ)どもやりなどして水汲ませ、食物し出(いだ)したれば、この男に清げにして食はせたり。物を食ふ食ふ、「ありつる柑子何(なに)にかならんずる。観音計らはせ給ふ事なれば、よもむなしくてはやまじ」と思ひゐたる程に、白きよき布(ぬの)を三疋(むら)取り出でて、「これ、あの男に取らせよ。この柑子(かうじ)の喜びは尽くすべき方(かた)もなけれども、かかる旅の道にては、うれしと思ふばかりの事はいかがせん。これはただ志の初めを見するなり。京のおはしまし所はそこそこになん。必ず参れ。この柑子の喜びをばせんずるぞ」といひて、布(ぬの)三疋(むら)取らせたれば、悦(よろこ)びて布を取りて、「藁筋(わらすぢ)一筋が布三疋(むら)になるぬる事」と思ひて、脇(わき)に挟みてまかる程に、その日は暮れにけり。

道づらなる人の家にとどまりて、明けぬれば鳥とともに起きて行く程に、日さしあがりて、辰(たつ)の時ばかりに、えもいはずよき馬に乗りたる人、この馬を愛しつつ、道も行きやらず、ふるまはする程に、「まことにえもいはぬ馬かな、これぞ千貫がけなどはいふにやあらん」と見る程に、この馬にはかに倒れて、ただ死にに死ぬれば、主、我にもあらぬ気色(けしき)にて、おりて立ちゐたり。手惑ひして従者どもも鞍(くら)おろしなどして、「いかがせんずる」といへども、かひなく死に果てぬれば、手を打ち、あさましがり、泣きぬばかりに思ひたれど、すべき方(かた)なくて、あやしの馬のあるに乗りぬ。

「かくてここにありとも、すべきやうもなし。我は往(い)なん。これ、ともかくもしてひき隠せ」とて、下種男(げすをとこ)を一人(ひとり)とどめて往ぬれば、この男見て、「この馬、我が馬にならんとて死ぬるにこそあんめれ。藁(わら)一筋が柑子三つになりぬ。柑子三つが布三疋(むら)になりたり。この布の馬になるべきなめり」と思ひて、歩み寄りて、この下種男にいふやう、「こはいかなりつる馬ぞ」と問ひければ、「陸奥国(みちのくに)より得させ給へる馬なり。万(よろず)の人のほしがりて、価(あたひ)も限らず買はんと申しつるをも、惜(を)しみて放ち給はずして、今日(けふ)かく死ぬれば、その価少分(せうぶん)をも取らせ給はずなりぬ。おのれも皮をだに剝がばやと思へど、旅にてはいかがすべきと思ひて、まもり立ちて侍るなり」といひければ、「その事なり。いみじき御馬かなと御侍りつるに、はかなく死ぬる事、命あるもの物はあさましき事なり。まことに旅にては皮剝ぎ給ひたりとも、え干(ほ)し給はじ。おのれはこの辺(へん)に侍れば、皮剝ぎて使ひ侍らん。得させてはおはしね」とこの布一疋(むら)取らせたれば、男、思はずなる所得(しようとく)したりと思ひて、思ひぞ返すとや思ふらん、布を取るままに見だにも返らず、走り往ぬ。

男、よくやり果てて後(のち)、手かき洗ひて、長谷(はせ)の御方に向ひて、「この馬を生(い)けて給(たま)はらん」と念じゐたる程に、この馬目を見あくるままに頭をもたげて起きんとしければ、やはら手をかけて起しぬ。うれしき事限りなし。「おくれて来る人もぞある。またありつる男もぞ来る」など、危(あやふ)く覚えければ、やうやう隠れの方に引き入れて、時移るまで休めて、もとのやうに心地もなりにければ、人のもとに引きもて行きて、その布(ぬの)一疋(むら)して轡(くつわ)やあやしの鞍(くら)にかへて、馬に乗りぬ。

京ざまに上(のぼ)る程に、宇治わたりにて日暮れにければ、その夜は人のもとに泊まりて、いま一疋(むら)の布して馬の草、我が食物などにかへて、その夜は泊りて、つとめていととく京ざまに上(のぼ)りければ、九条わたりなる人の家に、物へ行かんずるやうにて立ち騒ぐ所あり。「この馬京に率(ゐ)て行きたらんに、見知りたる人ありて盗みたるかなどいはれんもよしなし。やはらこれを売りてばや」と思ひて、かやうの所に馬など用いる物ぞかしとて、おり走りて寄りて、「もし馬などや買はせ給ふ」と問いければ、「馬がな」と思ひけるに程に、この馬を見て、「いかがせん」と騒ぎて、「只今(ただいま)かはり絹などはなきを、この鳥羽(とば)の田や米などにはかへてんや」といひければ、なかなか絹よりは第一の事なりと思ひて、「絹や銭などこそ用には侍れ。おのれは旅なれば、田ならば何かはせんずると思ひ給ふれど、馬の御用あるべくは、ただ仰(おほ)せにこそ随(したが)はめ」といへば、この馬に乗り試み、馳(は)せなどして、「ただ思ひつるさまなり」といひて、この鳥羽の近き田三町、稲少し、米など取らせて、やがてこの家を預けて、「おのれ、もし命ありて帰り上(のぼ)りたらば、その時返し得させ給へ。上(のぼ)らざん限りはかくて居給へれ。もしまた命絶えて亡(な)くもなりなば、やがて我(わ)が家にして居給へ。子も侍らねば、とかく申す人もよも侍らじ」といひて預けて、やがて下(くだ)りにければ、その家に入りゐて、得たりける米、稲など取り置きて、ただ一人(ひとり)なりけれど、食物(くひもの)ありければ、傍(かたは)らその辺(へん)なりける下種(げす)など出(い)で来(き)て使はれなどして、ただありつき、ゐつきにけり。

二月ばかりの事なりければ、その得たりける田を半(なか)らは人に作らせ、いま半らは我が料(れう)に作らせたりけるが、人の方(かた)のもよけれども、それは世の常にて、おのれが分(ぶん)とて作りたるは殊(こと)の外(ほか)多く出で来たりければ、稲多く刈り置きて、それよりうち始め、風の 吹きつるやうにて徳つきて、いみじき徳人(とくにん)にてぞありける。その家あるじも音せずなりにければ、その家も我が物にして、子孫など出(い)で来(き)て、殊(こと)の外(ほか)に栄えたりけるとか。

現代語訳

今は昔、父母も主人もなく、妻も子もなく、まったく身寄りのない一人の若い侍がいた。どうしようもなかったので、「観音様お助け下さい」と、長谷寺へ参り、観音様の御前にうつぶせになって訴えるには、「この世にこんなふうに生きていく定めなら、このままこの御前で飢えて死のう。もしまた万一、偶然良い機会に恵まれるのであれば、そのような兆しの夢を見ないうちはここを出るまい」と誓願して、うつ伏せになっているのを寺の僧が見て、「これは何者がこんなことをしているのか。物を食う様子もない。このようにうつ伏せになっていると死の汚れも出来(しゅったい)して寺のためにもならず、一大事になるであろう。誰を師の僧としているのか。どこで物を食べているのか」など尋ねると、「こんな寄る辺のない者にどうして師の僧などおりましょうか。食べ物をもらう所もなく、気の毒と言う人もいないので、仏の下される物を食べて、仏を師とお頼み申しているのです」と答えた。そこで、寺の僧たちが集まって、「これはとても困った事だ。寺の為に良くない。観音に恨みがましく愚痴を言っている。ここに集まって養ってあげよう」と言って、かわるがわる物を食わせたので、僧たちの持ってくる物を食いながら、観音の前を立ち去らずにいる間に、二十一日が過ぎてしまった。

二十一日目の夜が明けようとする夜の夢に、御帳から人が現れて、「この男が、前世の罪の報いば知らずに、観音に恨みがましく愚痴を言うのは、まことにけしからん事だ。さりながら訴えて申す事がとても気の毒なので、少しばかりのことをお取り計らいくだされた。まず早急に退出せよ。退出の時に、何であれ、手にあたる物を取って、捨てずに持っていよ。早々に退出せよ」と追い払われた。それで男は這うように起き出し、約束の僧のもとへ行って、物を食って退出したとき、大門の所でけつまづいて、うつぶせに倒れてしまった。

起き上がった時に、無意識のうちに手に握られている物を見ると、わらしべをただ一筋握っていた。これが「仏が下される物であろうか」と、非常に頼りなく思ったけれども、「仏がお計らいくだされた訳もあろう」と思って、これを手で持て遊びながら進んで行くと、虻が一匹、ぶんぶんと羽音をたてて顔の周りを飛び、うるさかった。木の枝を折って、追い払うが、ただ同じようにうるさく羽音を立てるので、捕まえて、虻の腰をこのわらすぼで引っ括り枝の先にぶら下げて持っていると、虻は腰を括られていて外(ほか)へは行けず、ぶんぶんと飛び回るのを、長谷寺参りの女車の簾の頭を持ち上げるようにして坐っていたたいそう美しい童子が、「あの男が持っている物は何か。あれをもらい受けて私に下さい」と馬に乗って供をしている侍に言ったので、その侍は、「その持っている物を若君が御所望になっている。さしあげよ」と言ったので、「仏からいただいた物ですが、そのように仰せであればさしあげましょう」と進呈すると、「この男、大変感心な奴だ。若君が御所望のものをすぐに進呈してくれるとは」と言って、そのお礼として、大きな蜜柑を、「これを。喉が渇いているであろう。食べよ」と、三つ、たいそう上等なみちのく紙に包んで与えられたので、侍は取り次いで渡した。

「藁一筋が大きな蜜柑三つになったぞ」と思って、木の枝に結いつけて、肩にかついで行くうちに、由緒ある人のお忍びの道中と見えて、侍などを大勢引き連れて歩いて来た女房が歩き疲れて、しゃがみこんで苦しそうにしていた。「喉が渇いた。水を飲ませよ」と気を失いそうなので、供の人たちはあわてふためいて、「近くに水はあるだろうか」と、あわて走り回って探すが水はない。「これはどうしたものか。もしかしたら御旅籠馬に積んであるかもしれない」と尋ねると、「馬は遅れて遥か後ろです」と言って見えない。女房はもう死にそうな様子で、供の者たちが、ほんとうにあわてふためいて処置に困っているのを見て、男は、「喉が渇いて騒いでいるんだな」と、そっと歩み寄って見ていると、人々は、「こなたは水のある場所を知っているだろう。この辺り近くに清水が出ている所があるか」と聞いてきたので、「この近くには清水はございません。いったいどうしたのですか」と尋ねると、「歩くのにお疲れになって、水を御所望であるが、水が無いのだ。主人の一大事であり、尋ねるのだ」と言う。男は、「お気の毒なことです。水のある所は遠く、汲んで来るならかなり時間がかかるでしょう。これはいかがでしょう」と、包んだ蜜柑を三つとも供侍に手渡すと大喜びして、女房に食わせると、女房はそれを食べてやっと目を見開いて、「これはいったいどうした事か」と言う。

「喉がお渇きになり、『水を飲ませよ』と仰って、そのまま気を失われましたので仰せの通り水を求めましたが、みつけることはできませんでした。しかし、ここに控えます男が思いがけず我々の事情をすばやく察して、この蜜柑を三つ献上してくれましたのでさし上げたのです」と答えた。すると、この女房は、「私は、それでは喉が渇いて気絶していたのか。『水を飲ませよ』と言ったのだけは覚えているが、その後の事はまったく覚えていない。この蜜柑を食べられなかったら、きっとこの野中で死んでいたであろう。ありがたいお方でしたこと。この男はまだいるのですか」とお尋ねになると、供の侍が「あそこにおります」と答えた。「その男にしばらく居るように言いなさい。どんなにありがたい観音の御利益があっても死んでしまっては何のかいもなくなっていたでしょう。礼として男が喜ぶ事をしてやりたいが、こんな旅の途中ではどうすればよいのか。食べ物は持って来ているのでしょうか。持たないようなら食べさせてあげなさい」と言う。そこで、「おまえ、しばらくそこに居れ。御旅籠馬などがやってきたら、食事をして行け」と言うと、「承知しました」と、控えていると、旅籠馬、皮籠馬などが到着した。「なんでこんなに遅れて来たのか。御旅籠馬などはいつも先にいなくてはならないのだ。急を要することもあり、こんなに遅れてよいものか」などと言って、すぐにまん幕を張り、畳などを敷いて、「水のある場所はここから遠いようであるが、お疲れなので、お食事はここでさしあげよ」と、お供の人夫たちを遣わしたりして水を汲ませ、食べ物を用意したので、この男にも、支度をして食べさせた。物を食べながら、「さっきの蜜柑は何になるだろう。観音がお計りになったことなので、まさか何のいいこともないままに終ることはないだろう」という思いを抱くうちに、女房は、白い立派な布を三疋(むら)取り出して、「これをあの男に与えよ。蜜柑のお礼は言葉では言い尽くせないものだが、こんな旅の道中では男が喜ぶようなお礼をすることはできません。これはただ感謝の気持のしるしです。京の住居はこれこれです。必ず来なさい。この蜜柑のお礼をいたしましょう」と言って、布三疋を与えた。男は喜んで布を受け取り、「藁一筋が布三疋になったぞ」と思って、小腋に挟んで行くうちに、その日は暮れてしまった。

街道に面した人の家に泊まって、夜が明けると鳥の鳴き声と共に起きて、行くと、陽が昇り、午前八時ごろ、何とも言えず立派な馬に乗った人が、この馬をやさしく労わりながら、先へ進みもせず、乗り回している。「何とも言えず良い馬だな、これが千貫がけなどという名馬なのであろうか」と見ていると、この馬は急に倒れて、そのまま死んでしまったので、主人は呆然と我を忘れた様子で、馬から降りて立ちすくんいた。慌てふためいて従者たちも鞍(くら)を外したりなどして、「どうしよう」と言うが、あっけなく死んでしまったので、手を打ち、驚きあきれ、今にも泣き出さんばかりの思いであるが、どうしようもなくて、主人は別の駄馬に乗った。                                                   

「こうしてここに居ても仕方がない。自分は行こう。この馬を何とかして人目につかない所へ片づけよ」と言って、主人は、下男を一人残して行ってしまった。それをこの男が見て、「この馬は自分の馬になろうとして死んだのであろう。蜜柑三つが布三疋になったのだ。この布が今度はきっと馬に替わろうとしているに違いない」と思い、歩み寄ってこの下男に、「これはどのような馬か」と尋ねると、「陸奥国(むつのくに)から手に入れなさった馬です。皆が欲しがって、値段に糸目もつけず買おうと言われる人もいましたが、主人は、ずっと惜しんで手放さずにいました。今日、こうして死んでしまったので、その代金は少しも取れないままになってしまいました。自分もせめて皮でも剝ぎたいと思いましたが、旅の道中ではどうしたらよいのかと、いたづらに見守って立っているたのです」と答える。男は、「その事だが、素晴らしい馬だと見ておりましたのに、あっけなく死んでしまいました。まったく命あるものが嘆かわしい事です。ほんとに旅の途中では皮を剝がれたとしても、乾かす事がおできになられますまい。自分はこの辺りに住んでおりますので、皮を剝いで使いましょう。私に譲っておいでなさい」と、この布を一疋(むら)与えると、男は、思いがけないもうけをしたと思って、青侍が心変わりをするとでも危ぶんだのか、布を取るとすぐ後ろを振り返る事もなく、走り去った。

男が、下男の姿がすっかり見えなくなった後、手を洗い、長谷寺の方角に向って、「この馬を生き返らせてください」と祈っていると、この馬は目を見開くやいなや頭を持ち上げて、起きあがろうとしたので、そっと手を貸して起こした。嬉しい事といったらない。「遅れて来る従者もありはしないか、また、先ほどの布を与えた男が戻ってはこないか」などと、危ぶんでいたが、やっと、人目につかないような場所へ馬を引き入れ、しばらく時がたつまで休めて、もとのように元気になったので、商人のいる所へ引き連れて行き、その布一疋(むら)を轡(くつわ)や粗末な鞍(くら)に換えて、馬に乗った。

京の方に上る途中、宇治あたりで日が暮れたので、その夜は人の家に泊まることにして、もう一疋(むら)の布を馬の草、自分の食べ物などに換え、あくる朝たいそう早く京の方へ上って行くと、九条辺りの人の家に、どこかへ出かけようとして騒いでいる所がある。「この馬を京に引き連れて行けば、知り合いの人とあって、盗んだのかなどと言われるのもおもしろくない。そっと売り払ってしまいたいものだ」と思い、「こういう所にこそ馬は入用なはずだ」と馬から降り、そこへ走り寄って、「もし、馬などお買いになりませんか」と聞くと、馬が欲しいと思っていたところに、この馬を見て、「どうしよう」と騒いで、「今すぐには、馬の代わりになる絹などの持ち合わせはないが、この鳥羽の田や米などと換えてはくれぬか」と言った。男は、絹よりもその方がなによりと思ったが、「絹や銭なら必要ですが、私も旅の者ですから、田などもらってもどうしようもないと思いますが、馬が御入用であれば、ただおっしゃるとおりにいたしましょう」と言う。そこで買い手はこの馬に試乗し、走らせなどして、乗り心地を確認し、「まったく思ったとおりだ」と言って、この鳥羽の近くの田三町、稲を少々、米などを男に与えたうえで、すぐにこの家を預けて、「自分にもしも命があって帰ってきたなら、その時は返してください。都に帰ってこない場合は、そのまま住み続けて下さい。もしまた私が命が絶えて死ぬ事になったら、そのまま自分の家にして住んでください。私には子どももいないので、よもやとやかく言う者もおりますまい」 と言って、預けて、そのまま下って行ったので、その家に入って住み、手に入れた米、稲などを取り置いて、初めはただ一人ではあったが、食物も豊富にあったので、その隣り近所の身分の低い者たちがやって来て 、使われたりして、ともかく、住みつき、居ついてしまった。

二月ごろの事だったので、その手に入れた田を半分は人に貸して作らせ、残り半分は自分の為に作らせたところ、人の分の田もいいできであったが、それはまあ普通で、自分の分として作った田は、格別に収穫量が多かったので、稲を刈り置き、それを始めとして、風が吹き付けるように富が集まり、たいそうな大金持ちになった。その家の家主からも何の便りも無くなったので、子どもや孫にも恵まれ、殊の外栄えたという。

語句

■ただ一人(ひとり)ある青侍(あをさぶらひ)-まったく身寄りのない若い侍。「侍」とあるが、誰かに仕えているわけではなく、定職のない生活に窮している青年。■すべき方もなかりければ-どうしようもなかったので。■長谷(はせ)-長谷寺の本尊は十一面観音。長谷寺は奈良県桜井市初瀬にある新義真言宗豊山(ぶざん)派の総本山。古く奈良時代の建立であるが、平安中期以降の観音信仰の隆盛にともない、近江の石山、洛中の清水と共に霊験あらたかな観音霊場として多くの参詣者を集めていた。■かくてあるべきは-こうして生きていくというならば。■やがて-このまま。■干死(ひじに)に死なん-餓死してしまいたい。■けがらひ-この青侍が観音の前で餓死することによって生じる「触死」のけがれ。死人の蝕穢(しょくえ)は、葬送の日から三十日間の物忌を要した。従って、そういう事態になれば、長谷寺の僧たちにとっては一大事と懸念したもの。■不便の事なり-不都合な事である。■あしかりなん-良くないだろう。■誰を師にはしたるぞ-誰を師(この男の参詣の折に導師となっている長谷寺の僧)にしているのか。

■観音をかこち申す人-観音に恨みがましく愚痴を言う人。■あやしき-けしからぬ。■三七日-二十一日目。つまり青侍が心待ちにしていた満願の日。■たれ-完了の助動詞「たり」の命令形。■-がり-(接尾語)~のところへ。~のもとへ。多くは「行く」、「通ふ」、「尋ねる」などの移動を表す動詞を伴う。■大門-(長谷寺の)総門。正門。

■あるにもあらず-思わず知らず。無意識の中に。■御帳-几帳。とばり。■藁すべ-わらしべ。稲穂の芯。藁筋。■いとはかなく思へども-非常に頼りなく思ったけれども。いささかがっかりした気持ち。■ぶめきて-ぶんぶんとうなり声のような羽音をたてて。■女車-身分のある女性が乗る牛車。簾の内側に下簾をたれかけるのが男性の車と違う特長。■うちかづきたる児-持ち上げて頭にかぶるようにして(外の様子を眺めながら)坐っていた幼童。■かれ乞いて-あれをもらい受けて。■仏の賜びたる云々-この青侍の言い方は、恩着せがましい響きが感じられ、校注が指摘しているように、それは相手に対する駆け引きの気持ちの表れとみたい。■「この云々」-車内の幼児の母親かあるいは乳母と思われる女の言葉。■いとあはれなる男なり-(そんな大切な物を、こちらのわがままな依頼によくためらわずに応じてくれた、欲のない)まことに殊勝な男よ。車内の女性には、青侍が「仏の賜びたる物」と述べたことの効果がたちどころに現れた。■大柑子-大ぶりの蜜柑。柑子は現在の夏蜜柑のように大きなものではないので、その中で大きなもの。■喉渇くらん-喉がかわいていよう。この直ぐ後で、早速喉の渇いた女房に出会う事になる伏線的物言い。長谷寺へは遠方から参詣に来る者がほとんどであったから、徒歩の参詣者に対しては何よりの品。■いとかうばしきみちのくに紙-香をたきこめてあるたいそうよい香りのする陸奥産の壇紙(だんし)。この女車の乗手が経済的にゆとりのある高貴な者であることを物語る。

■故ある人-由緒ある人。■ただたりにたりゐたるが-(苦しそうに)ぐったりと座り込んでいる人が。■旅籠馬-旅行用の食料・雑品を入れた籠を運搬する馬。■ほとほとし-今にも死にそうである。■知りたるらめ-知っているだろう。■この四五町が内には-一町は約109メートル。ともかくこの近くには、という意。■大事なれば-(我々の仕える人にとって、もってのほかの)大事なので。■三つながら-三つともみな手渡したので。

■仰せられつるままに-仰せられたかと思うと。おっしゃると同時に。■御殿籠(とのごも)り-本来は寝室に入りになる、お休みになる、の意。ここでは「お眠りになる」の意味から気絶してしまった状態をさして言ったもの。■その心を得て-我々の事情をすばやく察して。■参らせたるなり-(早速)召しあがっていただいたのです。■絶え入りたりけるにこそあり-気を失ってしまっていたのです。■得ざらましかば-手に入れることができなかったとしたら。■かしこに候ふ-あそこにいます。■いみじからん事ありとも云々-(今回の長谷寺参詣によって)たとえすばらしいような果報を手にすることになるはずだったにしても、ここで死んでしまっては、参詣も無駄な事に終わっていたでしょう。「すばらしいような果報」とは、これから参詣して長期間滞在しようとしている長谷寺の観音の後利益。■男のうれしと思ふばかりの事-男がうれしいと喜ぶほどのこと。男に喜んでもらえそうな謝礼。■皮籠馬(かはごむま)-(さまざまな旅行の日用品や食糧、長期の参籠に必要な品々を詰めた)革張りの行李(こうり)を運ぶ馬。■常に先だつことこそよけれ-常に道中の人間よりも先行しているから役にも立つのだ。遅れて来たのでは何の役にも立たないことがあるのだ。■とみの事-急を要する事。(積んでいる物が)緊急に必要になるような事態など。■遠かんなれど-「遠くはあるなれど」の約。水のある場所はここから遠いようであるが。■夫(ぶ)どもやりなどして-お供の人夫たちを(急いで)遣わしたりして。■清げにして-(いかにも)立派にととのえて。■よもむなしくてはやまじ-まさか何のよいこともないままに終ることはないだろう。■疋-ニ反分(一反は約10.6メートル)を一巻にした織物を数える語。「ひき」とも言う。■志の初め-感謝の思いの一端。お礼のほんの手始め。■京のおはしまし所は-京都のお住まいになっている場所は。この女性の身分の高さを物語る。■そこそこになん-どこそこ、これこれという所である。

■道づらなる人の家-道路に面している人家。■辰の時-午前八時ごろ。■愛しつつ-やさしくいたわりながら。■道も行きやらず-先へ進みもせず。■ふるまはす-乗り回す。■千貫がけ-銭一千貫をかけて(支払って)手に入れるほどの破格の名馬。一貫は一千文。■ただ死にに死ぬれば-見る見るうちに死んでしまったので。■我にもあらぬで-われを忘れた様子で。■手惑ひして-慌てふためいて。■おろしなどして-外しなどして。■いかがせんずる-どうしようか。■かひなく-関係者たりの祈りや手当のかいもなく。■手を打ち-手を打ち合せ。ここははげしく無念さを表すしぐさ。■あさましがり-驚きあきれ。■-すべき方なくて-どうしようもなくて。■あやしの-粗末な。

■ともかくもしてひき隠せ-何とかして人目につかない所へ片づけよ。■下種男-身分の低い男。下男。■死ぬるにこそあんめれ-死んだのであろう。■馬になるべくなめり-(きっと)馬に替わろうとしているに違いない。■こはいかなりつる馬ぞ-これはどうした馬か。■得させ給へる-手にお入れになった。■価も限らず-値段にかまわず。■放ち給はずして-お手放しにならないで。■価小分をも取らせ給はずなりぬ-代金を少しもお取りにならないで終わった。■皮をだに-せめて皮だけでも。■剝がばやと-剝ぎたいと。■まもり-見守り。■いみじき-素晴らしい。■あさましき-嘆かわしい。■え干し給はじ-乾かす事がおできになられますまい。■おのれは-自分は。■得させておはしね-私に譲っておいでなさい。■思はずなる-思いがけない。■所得したりと-もうけものをしたと。■思ひぞ返すとや思ふらん-青侍の気持ちが変りでもしたら大変、とでも思ったのか。■取るままに-取るとすぐに。■見だにも返らず-後ろを振り向きもせずに。■走り往ぬ-走り去った。

■よくやり果てて後-十分やり過ごして後。■生けて給(たま)はらん-生き返らせて下さい。■念じてゐたる程に-祈っているうちに。■見開くるままに-見開くとすぐに。■もたげて-持ち上げて。■やはら-そっと。■人もぞある-人もあるかもしれない。■ありつる男もぞ来る-先ほどの男が来るかもしれない。■やうやう-ようやく。■隠れ-人目につかないような場所。■時移るまで-時がたつまで。■もとのやうに心地もなりにければ-もとのように元気になったので。■引きもて行きて-引いて連れていって。■あやしの鞍-粗末な鞍。

■京ざまに-京の方に。■宇治わたりにて-宇治の辺りで。長谷寺を午前中に出発しても、馬を引き引きなので夕方になってようやく宇治に到着した。長谷から宇治までは約500キロメートル。ここで三疋目の布も有効に使われる。■つとめていととく-あくる朝たいそう早く。■九条わたりなる人の家-九条大路のあたりの人の屋敷で。南の方から来ると、都に到達してすぐの地域にある。■物へ行かんずるやうにて-どこかへ行こうとする様子で。■率(ゐ)て行きたらんに-引いていったならば。■よしなし-つまらない。■やはら-そろそろ。■売りてばや-売り払ってしまいたいものだ。■かやうな所-旅などに出るような所。■用なるものぞかし-必要なものだよと思って。■もし馬などや買はせ給ふ-もしや馬などお買いになりますか。■馬がな-ちょうど馬がほしいと。■かはり絹-馬の代金にあてるための絹織物。■鳥羽-『和名抄』に、山城国紀伊郡鳥羽(京都市南区上鳥羽のあたり)と見える洛南の穀倉地帯。青侍にとっては願ってもない田地。■かへてんや-かえてくれないか。■なかなか-かえって。■用には侍れ-必要ではありますが。■おのれは旅なれば-私は旅の途中ですので。■何にかはせんずる-何になろうかと存じますが。■仰せにこそ随はめ-仰せに随いましょう。■試み-ためし。■馳せなどして-走らせなどして。■ただ思ひつるさまなり-まったく思ったとおりです。■やがて-そのまま。■返し得させ給へ-返してください。■かくて居給へれ-こうしておいで下さい。■なくもなりなば-死にでもしたら。■上らざん限りはかくて居給へれ-私が都へ戻って来ない間は、そのまま住み続けておられよ。■やがて我が家にして居給へ-そのまま(あなたが)自分の家にしてお住みあれ。■よも侍らじ-よもやありますまい。■やがて-そのまま。■得たりける-もらった。■ただありつき、ゐつきにけり-ともかく住みつき、居ついてしまった。

■二月-陰暦二月。ちょうどその年の田犂(す)き、田打ちなど耕作を始める時期にあたっていた。■なからは-半分は。■いまなからは-もう半分は。■我が料(れう)に-自分の分として。■人の方のも-人の分も。■世の常にて-世間並みで。■出で来りければ-収穫があったので。■吹きつくるやうに-吹きつけるように。■徳つきて-富が身について。■いみじき徳人-たいそうな資産家、大金持ち。『今昔』は「其ノ後ハ、長谷ノ観音ノ御助ケ也ト知テ、常ニ参ケリ」と結んでいる。■家あるじ-家主。■音せずなりにければ-たよりがなくなってしまったので。

備考・補足

■長谷寺の門前でけつまずいて転んだ拍子に握った一本のわらしべが、三個の蜜柑となり、三個の蜜柑が三疋の布となり、三疋の布が名馬に、名馬が田地と家屋敷に、さらにそれが子孫繁栄へ、というふうに孤独で貧乏な青年がとんとん拍子に運が向いて、たちまち富裕な長者への階段を上って行く。しかし、読者はそれが観音の強力な加護によるものだということをしばし忘れさせられる。それほどに、青侍が度胸と駆け引きを武器にして自力で幸運を手に入れて行く過程の叙述が巧妙で自然なのだ。本話すなわち昔話の「わらしべ長者」が、飽かず語られ続けてきた理由もそこにあろう。

朗読・解説:左大臣光永


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