宇治拾遺物語 13-2 元輔(もとすけ)落馬の事

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原文

今は昔、歌よみの元輔(もとすけ)、内蔵助(くらのすけ)になりて、賀茂祭の使(つかひ)しけるに、一条大路渡りける程に、殿上人(てんじやうびと)の車多く並べ立てて、物見ける前渡る程に、おいらかにては渡らで、人見給ふにと思ひて、馬をいたくあふりければ、馬狂ひて落ちぬ。年老いたる者の、頭をさかさまにて落ちぬ。君達(きんだち)あないみじと見る程に、いととく起きぬれば、冠(かぶり)脱げにけり。髻露(もとどりつゆ)なし。ただほとぎを被(かづ)きたるやうにてなんありける。

馬添(うまぞひ)、手惑ひをして、冠(かぶり)を取りて着せさすれど、後(うし)ろざまにかきて、「あな騒がし。しばし待て。君達(きんだち)に聞ゆべき事あり」とて、殿上人(てんじやうびと)どもの車の前に歩み寄る。日のさしたるに頭きらきらとして、いみじう見苦し。大路の者、市をなして笑ひののしる事限りなし。車、桟敷(さじき)の者ども笑ひののしるに、一つの車の方ざまに歩み寄りていふやう、「君達、この馬より落ちて冠落(おと)したるをば、をこなりやと思ひ給ふ。しか思ふ給ふまじ。その故(ゆゑ)は、心ばせある人だにも、物につまづき倒るる事は常の事なり。まして馬は心あるものにあらず。この大路はいみじう石高し。馬は口を張りたれば、歩まんと思ふだに歩まれず。と引きかう引き、くるめかせば、倒れんとす。馬を悪(あ)しと思ふべきにあらず。唐鞍(からくら)はさらなる鐙(あぶみ)の、かくうべくもあらず。それに、馬はいたくつまづけば落ちぬ。それ悪(あ)しからず。また冠の落つる事は、物して結ふものにあらず、髪(かみ)をよくかき入れたるにとらへらるるものなり。それに鬢(びん)は失(う)せにければ、ひたぶるになし。されば落ちん事、冠恨むべきやうなし。また例なきにあらず。何(なに)の大臣(おとど)は大嘗会(だいじやうゑ)の御禊(ごけい)に落つ。何(なに)の中納言はその時の行幸に落つ。かくのごとく例も考へやるべからず。しかれば、案内(あんない)も知り給はぬこの比(ごろ)の若き君達、笑ひ給ふべきにあらず。笑ひ給はばをこなるべし」とて、車ごとに手を折(を)りつつ数へて言ひ聞かす。

かくのごとく言ひ果てて、「冠持て来(こ)」というてなん取りてさしいれける。その時に、どよみて笑ひののしる事限りなし。冠せさすとて、馬添の曰(いは)く、「落ち給ふ即(すなは)ち冠を奉らで、などかくよしなし事は仰(おほ)せらるるぞ」と問ひければ、「痴事(しれごと)ないひそ。かく道理をいひ聞かせたらばこそ、この君達は後々(のちのち)にも笑はざらめ。さらずは、口さがなき君達は長く笑ひなんものをや」とぞいひける。人笑はする事役(やく)にするなりけり。

現代語訳

今は昔、歌詠みの元輔(もとすけ)が内蔵助になって、賀茂祭の勅使を務めた折の事、一条大路を通っている時、殿上人の車がたくさん並んで見物をしていたが、その前を通る時、物静かには行進せず、しかるべき人が見ているのだからといって、鐙で馬を強く蹴ったので、馬が狂ったように暴れて落馬してした。年老いた者が頭から真っ逆さまに落ちたのである。君達が、「ああ大変だ」と見ていると、いともすばやく起きあがったが冠が脱げてしまった。髻が無く、まったくの禿頭だったので、ただ素焼きの瓶を被っているようであった。

馬の口取りがうろたえて、冠を拾って被せようとするが、頭の後ろの方へ押しやって、「ああ、騒がしい事よ。しばらく待て。君達に申し上げたいことがある」と言って、殿上人たちの車の前に歩み寄った。日が射していたので頭がきらきら光って、とても見苦しい。大路を埋めた人たちが大勢で笑って大騒ぎをしている。車に乗った者や桟敷で見物している者たちが笑って騒ぐので、そのうちの一つの車の方に歩み寄って、「君達は、この馬から落ちて冠を落としたことを愚かな事だと思われるか。そのようには思われまい。それは、たとえ思慮深い人でさえも物につまづいて倒れる事は常にあることだ。ましてや馬は分別があるものではない。この大路はたいそう石が出てごつごつしている。馬は手綱で引っ張られているので、歩もうとしても歩まれないのだ。ああ引きこう引きして口取りの男が引き回すので倒れそうになるのだ。馬を悪く思うものではない。唐鞍は平べったく、鐙には足のかけようがないのだ。そのうえ馬がひどくつまづいたので落ちたのだ。それはみっともないことではない。また冠が落ちたのは、ひもなどを使って結ぶのではなく、冠の巾子(こじ)の中に髪をさしいれて留めてあるわけだ。だが、私の鬢は年老いて抜けてしまっているので、毛はまったく無い。だから落ちても冠を恨むべきではない。また他に例が無いわけでもない。なにがしの大臣は大嘗会の御禊の時に落した。なにがしの中納言はその時の行幸の際に落した。このように数え上げたらきりがない。だから、事情も御存じない近頃の若い君達は、お笑いなさるべきではない。お笑いなさることは愚かなことだ」と言って、車ごとに指を折って数えあげながら説教して回った 。

このように言い終わってから、「冠を持って来い」と言いつけ、受け取って被(かぶ)った。その時どっと声があがって限りなく大騒ぎして笑う。冠を被らせようとして、馬添が、「落馬されてからすぐ冠を召されずに、どうしてこのようにつまらない事を仰せられるのか」と尋ねると、「馬鹿なことを言うな。このように道理を言い聞かせたからこそ、この君達は後々にも笑わないだろう。こうしなければ、口の悪い君達は、いつまでも笑の種にするだろうに」と言った。元輔は折につけて人を笑わせるようなことをよく言う人なのであった。

語句  

■元輔(もとすけ)-清原元輔(908~990)。清少納言の父。周防(すおう)・肥後の国守を歴任。『後撰集』の撰者の一人。■内蔵助-中務省に属する内蔵寮(くらりょう)の次官。祭祀(さいし)の奉幣(ほうへい)(神前に幣を奉納する事)も内蔵寮の任務の一つであった。■賀茂祭-上賀茂、下鴨両神社の祭。■おいらかにては渡らで-もの静かには行進せずに。■あふりければ-鐙(あぶみ)で障泥(あおり)の下の馬の腹をけって、馬を急き立てること。■馬狂ひて-馬が暴れて。■あないみじ-ああ大変だ。■いととく-たいそう早く。■髻露なし-頭頂に束ねてあるはずの毛髪が全くないこと。つまり、すっかり禿頭であったこと。■ほとぎ-素焼きの瓶(かめ)。丸みを帯びた形や色の具合が人間の禿頭に似ている様を例えた。■被(かづ)きたるやうにてなんありける-被ったようにつるりと禿げていた。

■馬添、手惑ひをして-馬の口取りをしていた従者がうろたえて。「手惑ひ」は、手がうまく使えないほどあわてふためくこと。■着せさすれど-被せようとするが。■後(うし)ろざまにかきて-頭の後ろへ押しやって。■聞ゆべき事あり-申し上げたいことがある。以下の説明は、車の中の自分より身分の高い貴族の青年たちへのへりくだった言葉遣いに始まるが、次第に熱してきて、丁寧調が消える。■市をなして-大勢集まって。■をこなり-愚か者。当時は無帽であることはたいへんな無作法で恥知らずなふるまいであった。■しか思ひたまふまじ-そのようには思われまい。■心ばせある人-慎重で心用意のある人。思慮深い人。■心あるものにあらず-分別のある者ではない。■石高し-石が出てごつごつしている。■口を張りたれば-口もとを手綱で引っ張られているために。■と引きかう引き、くるめかせば-ああ引きこう引きして、口取りの男がぐるぐる引き回すので。■唐鞍-唐風の鞍の意。行幸時の大臣や賀茂・春日への勅使などの乗馬に用いた飾り鞍。■さらなる鐙-盤(さら)のような平らな輪鐙であって。「鐙」は足踏みの意。鞍の両脇に下げ、騎者が足を載せる馬具。■かくうべくもあらず-足のかけようがない。「かくうべく」は「かくるべく」の音便。底本は「かくうへへも」。諸本により改める。■それに-しかもそのうえに。■物して結ふものにあらず-ひもなどで結びつけておくものではなく。■とらへらるるものなり-留められているものなのだ。■それに-それなのに、頭の両側の毛髪がなくなってしまっているので。■ひたぶるになし-(冠を巾子(こじ)の根元にかんざしで固定するための髻(もとどり)が)まったくない。■大嘗会-天皇の即位後、初めての十一月に行われる新嘗祭(にいなめさい)(その年の新穀を神に捧げる儀式)。「御禊」は、大嘗会に先立って、十月に天皇が荒見川や賀茂川の河原に出御して行なうみそぎの儀式。■考へやるべからず-数え上げていたら、きりがない。■案内-事情。■知り給わぬ-おわかりにならない。■おこなるべし-愚かな事であろうよ。

■落ち給ふ則-落ちた直後に。■よしなし事-どうでもよいこと。■人笑はする事役(やく)にするなりけり-折につけて人を笑わせるようなことをよく言う人なのであった。

備考・補足

■唐鞍を置く場合には、馬の額に銀面を当て、尾を尾袋に入れ、頸総(くびふさ)などの飾りをつけるので、馬にとっては足元が見えにくく、動きがやや不自由になる。また鞍橋(くらぼね)が幾分広く、鐙が輪鐙であるために乗り慣れていない乗手には安定感のよくない状態となる。元輔がむきになって弁解をしたくなる事情もあったわけである。

朗読・解説:左大臣光永