平家物語 四 禿髪(かぶろ)

『平家物語』巻第一より「禿髪(かぶろ)」。

平清盛は仁安三年(1168)病をきっかけに出家して浄海と名乗った。その後も平家一門の出世は留まるなかった。六波羅では禿髪とよばれる少年少女を召使い、平家の悪口を言う者を監視させた。

あらすじ

清盛は51歳の時病になったのをきっかけに出家し、浄海と名乗る。

そのせいか病はたちまち癒え、平家はいよいよ繁盛する。

清盛は平家に反対する者の口を塞ぐため 14、5、6の子供をえりすぐり、髪をおかっぱにし、密偵として使った。

平家の悪口をいう者があれば、この「かむろ」が聞きつけ、六波羅殿へ引っ立てる。

「六波羅殿のかむろ」といえば誰もが恐れ、手出しできなかった。

原文

かくて清盛公、仁安(にんあん)三年十一月十一日、年五十一にて、病(やまひ)にをかされ、存命(ぞんめい)の為(ため)に忽(たちま)ちに出家入道す。法名は浄海(じやうかい)とこそなのられけれ。其しるしにや、宿病(しゆくびやう)たちどころにいえて、天命を全うす。人のしたがひつく事、吹く風の草木(くさき)をなびかすがごとし。世のあまねく仰げる事、ふる雨の国土をうるほすに同じ。六波羅殿(ろくはらどの)の御一家(ごいつけ)の君達(きんだち)といひてンしかば、花族(くわそく)も英雄(えいよう)も、面(おもて)をむかへ、肩をならぶる人なし。されば入道相国(にふだうしやうこく)のこじうと、平大納言時忠卿(へいだいなごんときただのきやう)の宣(のたま)ひけるは、「此一門(このいちもん)にあらざらむ人は、皆人非人(にんぴにん)なるべし」とぞ宣ひける。かかりしかば、いかなる人も、相構へて其ゆかりに、むすぼほれむとぞしける。衣紋(えもん)のかきやう、烏帽子(えぼし)のためやうよりはじめて、何事も六波羅様(ろくはらやう)といひてンければ、一天四海の人、皆是をまなぶ。

又いかなる賢王賢主の御政(おんまつりごと)も、摂政関白(せつしやうくわんんぱく)の御成敗(ごせいばい)も、世にあまたされたるいたづら者なンどの、人の聞かぬ所にて、なにとなうそしり傾け申す事は、常の習(ならひ)なれども、此禅門(ぜんもん)世ざかりのほどは、聊(いささ)かいるかせにも申す者なし。其故は、入道相国のはかりことに、十四五六の童部(わらんべ)を、三百人そろへて、髪をかぶろにきりまはし、赤き直垂(ひたたれ)を着せて、召しつかはれけるが、京中にみちみちて、往反(わうへん)しけり。おのづから平家の事あしざまに申す者あれば、一人聞(いちにんき)き出(いだ)さぬほどこそありけれ、余党(よたう)に触(ふ)れ廻(めぐら)して、其(その)家に乱入し、資財雑具(ざふぐ)を追補(ついふく)し、其奴(やつ)を搦(から)めとツて、六波羅へゐて参る。されば目に見、心に知るといへど、詞(ことば)にあらはれて申す者なし。六波羅殿の禿(かぶろ)といひてンしかば、道を過ぐる馬車(むまくるま)もよぎてぞとほりける。禁門を出入りすといへども、姓名(しやうみやう)を尋ねらるるに及ばず、京師(けいし)の長吏(ちやうり)、これが為(ため)に目を側(そば)むとみえたり。

現代語訳

こうして清盛公は仁安(にんあん)三年十一月十一日、五十一歳で、病気にかかり、生きながらえるために急に、出家入道した。法名は浄海(じょうかい)と名乗られた。

そのしるしであろうか、年来の病気がたちまち治って、天命を全うすることができた。人が従属する様は、吹く風が草木をなびかせるかのようであった。

世人が皆尊敬したことは、降る雨が国土を潤すのと同じである。

六波羅殿(ろくはらどの)の御一家の公達(きんだち)であると言ったならば、花族(かぞく)も英雄(えいよう)も、顔を見合せ、肩を並べる人はいない。

だから入道相国の小姑(こじゅうと)である平大納言時忠卿が言われるには、「この平家一門でない者は、皆人でなしであろう」と言われた。

こういう状態なので、どんな人もなんとか平家の縁者になろうと務めたのであった。

衣紋(えもん)の着こなし方、烏帽子(えぼし)の折り方より初めて、何事も六波羅様と言ったので、世の人々は皆、これを手本とした。

又どんなに賢い王あるいは賢い主の御政(おんまつりごと)も、摂政関白の政治も、世間に持てあまされた無用の者などが人が聞いていない所で何となく悪口を言って非難することは、世の常ではあるが、この清盛の全盛時代には、少しも粗略に言う者はなかった。

その訳は、入道相国の計画で、十四五六の童部を三百人揃えて、髪をおかっぱに切りまわし、赤い直垂を着せて、召し使われていた者が、京都中に沢山いて、往来していた。

たまたま平家の悪口を言う者が一人でもいれば、聞き出さぬ間はとにかく、聞き出すとすぐほかの仲間に触れ廻って、その家に侵入し、家財道具を取り上げ、その人を逮捕して、六波羅へ連れて行く。

だから平家の横暴を誰もが見、心に知っていると言っても、口に出して申す者はいない。六波羅殿の禿(かぶろ)といったならば、道を通り過ぎる馬車も避けて通った。

宮門を出入りするけれども、警備の武士に姓名を尋ねられることもなく、京師(けいし)の長吏(ちやうり)はこのために、目をそらし、見て見ぬふりをしたのであった。

語句

■仁安三年 1168年 ■六波羅殿 清盛のこと。六波羅に一門の住居があったため。 ■花族も英雄(えいよう)も 「花族」は太政大臣に昇ることができる高貴な家柄。精華とも。「英雄」も同じ。 ■衣紋のかきよう 衣に描いている紋のかきよう、衣の着こなしぶり。 ■平大納言時忠卿 平時信の子。妹時子は清盛の妻。妹建春門院(滋子)は後白河院の女房となる。 ■烏帽子のためやう 烏帽子の折り方。 ■御成敗 政治をとりしきること。 ■そしり傾け申す 非難すること。 ■聊かいるかせにも申す者なし 少しもおろそかに言う人はいない。 ■かぶろ 髪を短く切って垂らす。 ■直垂 庶民の平服。後には武士や貴族も平服として着る用になった。 ■京師の長吏 「京師」は都。平安京。「長吏」は地方長官。

平家物語|原文・現代語訳・解説・朗読

朗読・解説:左大臣光永