平家物語 九 清水寺炎上

『平家物語』巻第一より「清水寺炎上(きよみずでらえんしょう)」。

あらすじ

二条上皇の葬送の夜、延暦寺が慣例を無視して興福寺の先に額をかけた。興福寺がそれに怒って、延暦寺の額を叩き壊した(「額打論」)。

延暦寺としては反撃してしかるべき所、何も言わず、その場はお開きになる。

後日、延暦寺の大衆(大勢の僧たち)が比叡山を下り京都に押し寄せると噂が立ったので、武士や検非違使が比叡山の西の麓(西坂本)の警護に当たる。しかし延暦寺の大衆はこれを破って、押し通る。

その頃、誰が言い出したか、「後白河院が延暦寺大衆に命じて平家を討伐させるらしい」と噂が立った。それで内裏の警護を強化する。平氏の一類は皆、六波羅に集まる。後白河院も急いで六波羅に御幸する。

清盛はこの頃大納言だったが、後白河院による平家討伐の噂を真に受けて、恐れた。しかし嫡男の重盛は噂を否定した。

延暦寺の大衆はしかし六波羅は攻めず、清水寺に押しよせる。仏閣・僧帽ことごとく焼き払った末に、比叡山に引き上げていった。

延暦寺大衆引き上げの後、重盛は後白河院を院の御所にお送りした。しかし清盛はまだ後白河院を警戒していた。清盛は重盛に対して言う。後白河院は前々から平家討伐を考えているからこんな噂が立つのだろう。お前も後白河院に心をゆるしてはいけないと。

重盛はそんな清盛の言動をたしなめる。

後白河院は御所にもどり、平家を追悼するなどという噂がなぜ立ったのだろうと不思議がる。側近の西光法師が言う。平家が身分不相応に繁盛しているので、天が人をして言わしめたのでしょうと。

原文

山門の大衆(だいしゆ)、狼藉(らうぜき)をいたさば、手むかへすべき処(ところ)に、心ぶかうねらふ方もやありけん。一詞(ひとことば)もいださず。御門(みかど)かくれさせ給ひては、心なき草木までも、愁(うれ)へたる色にてこそあるべきに、此(この)騒動のあさましさに、高(たか)きも賤(いや)しきも肝魂(きもたましひ)をうしなツて、四方(しほう)へ皆退散す。同(おなじき)廿九日の午剋(むまのこく)ばかり、山門の大衆、夥(おびただ)しう下落(げらく)すと聞(きこ)えしかば、武士、検非違使(けんびゐし)、西坂本(にしざかもと)に馳(は)せ向つて防ぎけれども、事ともせず、おしやぶツて乱入す。何者の申し出(いだ)したりけるやらむ、「一院(いちゐん)、山門の大衆(だいしゆ)に仰せて、平家を追討せらるべし」ときこえしほどに軍兵(ぐんぴやう)内裏に参じて、四方(しほう)の陣頭(ぢんどう)を警護す。平氏(へいじ)の一類、皆六波羅(ろくはら)へ馳せ集まる。一院もいそぎ六波羅へ御幸(ごかう)なる。清盛公其比(きよもりこうそのころ)いまだ大納言(だいなごん)にておはしけるが、大きに恐れさわがれけり。小松殿(こまつどの)、「なにによツてか、唯今(ただいま〉さる事あるべき」と、しづめられけれども、上下ののしりさわぐ事夥(おびただ)し。山門の大衆(だいしゆ)六波羅へは寄せずして、すぞろなる清水寺(せいすいじ)におし寄せて、仏閣僧房一宇(いちう)も残さず焼きはらふ。是(これ)はさんぬる御葬送(ごそうそう)の夜(よ)の、会稽(くわいけい)の恥を雪(きよ)めんが為(ため)とぞ聞えし、清水寺は興福寺(こうぶくじ)の末寺(まつじ)なるによつてなり。清水寺やけたりける朝(あした)、「や、観音火抗変成池(くわきやうへんじやうち)はいかに」と札に書いて、大門(だいもん)の前にたてたりければ、次の日又、「歴劫(りやくこふ)不思議力及ばず」と、かへしの札をぞうツたりける。衆徒(しゆと)かへりのぼりにければ、一院(いちゐん)六波羅より還御(くわんぎよ)なる。重盛卿計(しげもりのきやうばかり)ぞ御供には参られける。父の卿(きやう)は参られず。猶(なほ)用心の為歟(か)とぞ聞えし。重盛卿御送(おくり)より、かへられたりければ、父の大納言宣ひけるは、「扨(さて)も一院の御幸(ごかう)こそ、大きに恐(おそれ)おぼゆれ。かねても思食(おぼしめ)しより仰せらるる旨のあればこそ、かうはきこゆらめ。それにもうちとけ給ふまじ」と宣(のたま)へば、重盛卿申されける、「此事(このこと)ゆめゆめ御(おん)けしきにも御詞(ことば)にも出(いだ)させ給ふべからず。人に心づけがほに、なかなかあしき御事(おんこと)なり。それにつけても、叡慮(えいりよ)に背(そむ)き給はで、人の為に御情(おんなさけ)をほどこさせましまさば、神明三宝(しんめいさんぽう)加護あるべし。さらむにとツては、御身(おんみ)の恐候(おそれさふら)まじ」とて、たたれければ、「重盛卿はゆゆしく大様(おほやう)なるものかな」とぞ、父の卿も宣ひける。

一院還御(いちゐんくわんぎよ)の後、御前(ごぜん)にうとからぬ近習者達(きんじゆしやたち)、あまた候はれけるに、「さても不思議の事を申し出(いだ)したるものかな。つゆもおぼしめしよらぬものを」と仰せければ、院中(ゐんぢゆう)のきり者に、西光法師(さいくわうはふし)といふ者あり。境節御前(をりふしごぜん)ちかう候ひけるが、「『天に口なし、人(にん)をもツていはせよ』と申す。平家以(もつ)ての外(ほか)に過分に候あひだ、天の御ばからひにや」とぞ申しける。人々、「此事よしなし。壁に耳ありおそろしおそろし」とぞ申しあはれける。

現代語訳

ここでもし延暦寺の大衆が乱暴するなら、興福寺方も手向かうべきところだが、延暦寺のほうに思慮深く考えることがあったのだろうか、一言もしゃべらなかった。

帝(二条上皇)がお隠れになってしまっては、心無い草木までも愁いを含んだ色をしているべきなのに、この騒動のあさましさに、身分の高い者も下賤の者も驚いて、四方へ皆退散した。

同年七月二十九日の正午ごろ、延暦寺の衆徒が大勢で京都に降りてくるという噂が流れたので、武士、検非違使等が西坂本に馳せ向かって防いだが、問題ともせず押し破って京都に乱入した。

誰が言いだしたのか、「後白河上皇が延暦寺の衆徒に、平家を追討せよと命令された」という噂が立ったので軍兵が御所に参集して、四方の宮門近くにある衛府の詰所を警護した。平氏の一族は皆六波羅(ろくはら)へ馳せ集る。

後白河上皇も急いで六波羅へお出ましになる。清盛公はその頃いまだ大納言であられたが大いに恐れて騒がれた。

小松殿は「なんで今頃こんなことが起こるのか」と、鎮められたが身分の上の者も下の者も大変な騒ぎである。叡山の衆徒は六波羅へは押し寄せず、何の関係もない清水寺に押し寄せて、仏閣僧房一棟も残さず焼き払った。

これはこの前の御葬送の夜の恥を雪がんとする為であるということであった。清水寺は興福寺の末寺だったので襲撃されたのである。

清水寺が焼けた翌朝、「やぁ、観音火杭変成池はいかに」と札に書いて、大門の前に立てたところ、次の日又、「歴劫不思議力及ばず」と、返しの札を打ち付けた。

叡山の衆徒は帰り、山に上ったので後白河上皇は六波羅からお帰りになった。重盛卿だけがお供について行かれた。父の清盛卿は行かれなかった。

まだ用心しているためではないかという評判であった。重盛卿が後白河上皇を送られた後、お帰りになったので、父の大納言が言われたのは、「それにしても後白河上皇が我が邸に来られたのは、たいそう恐れ多い事である。

いつも平家打倒を考えておられるからこそ、このような噂が聞こえてくるのではないか。お前も心を許してはならぬぞ」と言われると、重盛卿は、

「このこと、ゆめゆめ御様子にも言葉にも出してはなりません。人に気をつけさせるような言動は、かえってよくありません。それにつけても天子のお考えに背かず、人の為に情けをほどこせば神や仏の加護があることでしょう。そういうことになったら父上が恐れることはありますまい」

と言って立たれたので、「重盛卿はおそろしくおおようなものだな」と、父の清盛公は仰せになった。

後白河上皇が御所にお戻りになった後、御前にいつもお側近くで仕えている近臣たちが大勢伺候しておられたところで、「なんとも意外な事をを言いだしたことか。

まったく考えてもいなかったよ」と仰せられたので、院の中の切れ者の中に西光法師という者がおり、ちょうどその時御前近くに控えていたが、

「『天に口なし。人をもって言わせよ』と申します。平家が非常に身分不相応に出過ぎますので、天の御警告なのでしょう」と申した。

その場にいた人々は、「そんなことを言ってもどうにもなりませぬ。壁に耳あり、誰が聞いているかもわかりません。恐ろしい、恐ろしい」と口々に言い合った。                                

語句

■同廿九日 七月二十九日。『百錬抄』などによると実際は8月9日。 ■下洛 比叡山を下って京都に入ること。 ■検非違使 けびいし。けんびいし。宮中警備にあたる。 ■西坂本 比叡の東麓で日吉社のある「坂本」に対し、比叡山の西の麓。修学院や大原のあたり。 ■一院 後白河院。上皇(院)が複数いるときに第一の院(治天の君)のことを言う。 ■陣頭 内裏の各問のそばにある衛府の役人の詰所。 ■大納言 太政官の次官。大臣につぐ。永万元年(1165)平清盛は権大納言。 ■小松殿 清盛嫡男・平重盛。 ■すぞろなる 特に関係のない。 ■さんぬる 「去りぬる」の音便。この前の。 ■会稽の恥 中国戦国時代、越王勾践は会稽山で呉王夫差に負けたが、後に国力を回復して呉王夫差を破り会稽の恥を雪いだ。 ■や、観音火坑変成地はいかに 「や」は呼びかけ。「観音火坑変成地」は『法華経』普門品にある、観音の力を信じれば火の穴も池に変わるということ。「たとひ害意を興して大いなる火坑におし落さんに、かの観音力を念ぜば火坑変じて池と成らん」清水寺は観音の寺であるにも関わらず焼けてしまったことを言う。 ■歴劫不思議力及ばず どんなに長い時間をかけても人の力ではわからない。「歴」は時を経ること。「劫は非常に長い時間。「不思議」は人智のおよばないこと。「弘誓深如海、歴劫不思議」(『法華経』普門品)。 ■人に心づけがほ 人に気づかせるようなそぶり。清盛は後白河院が平家を討とうとしていると疑っており、重盛はそんな考えは表に出してはいけませんと、父清盛をたしなめている。 ■神明三宝 神と仏。三宝は仏・法・僧。 ■ゆゆしく ひどく。 ■大様 落ち着きがあって小さなことにこだわらないこと。 ■さても不思議のことを 世間で「後白河院が延暦寺大衆を使って平家を討伐しようとしている」という噂が立ったことが、「不思議」と後白河は言う。まったく思いもよらないことであると。 ■おぼしめしよらぬ 平家を討伐するなど(私は)まったく思っていない。後白河院の自敬表現。 ■院中のきり者 院の御所を切り回している者。 ■西光法師 藤原師光。信西(藤原通憲)の侍として仕えたが、平治の乱のとき信西が死んで後、出家。西光と名乗った。 ■天に口なし 天はものを言わないが、人の口を借りて物言うという意味のことわざ。 ■過分 身分不相応。 ■壁に耳あり どこで誰がきいているかわからないと心配している。

……

延暦寺の大衆が清水寺を焼き討ちする件と、清盛が後白河院による平家討伐を疑い、重盛が清盛の疑いを否定したしなめる件、

2つのストーリーが並行して進む回です。

はやくも清盛と重盛のキャラクター性の違いがあらわれていて、面白いです。

清水寺が炎上した時の札の文句、

や、観音火坑変成地はいかに

『法華経』普門品にある、観音の力を信じれば火の穴も池に変わるという話を踏まえ、それなのに!観音をまつる清水寺が燃えてしまった。これはいったいどういうことだというニュアンスです。

それに対して、

歴劫不思議力及ばず 

どんなに長い時間をかけても人の力ではわからないと返しています。

次回「東宮立(とうぐうだち)」に続きます。

平家物語|原文・現代語訳・解説・朗読

朗読・解説:左大臣光永