平家物語 十二 鹿谷

本日は『平家物語』の第十二回「鹿谷(ししのたに)」です。

打倒平家クーデター計画「鹿谷(ししのたに・ししがたに)事件」の前半となります。

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内容

摂政藤原基房(ふじわら もとふさ)一行は、高倉天皇御元服の儀の打ち合わせに向かう途中、平家の侍に襲撃された(殿下乗合」)。

このため、打ち合わせは延期されたものの、基房は天皇への加冠役に選ばれ、太政大臣の宣旨を受けた。

翌嘉応三年正月五日、高倉天皇御元服の儀が行われる。

その時、清盛の娘徳子(後の建礼門院)の入内が決まる。

身分上、入内は許されないので後白河法皇の猶子として入内した。

その頃、藤原師長(ふじわら もろなが)が、近衛左大将を辞職。

空席になった左大将へ昇進するのは、徳大寺の大納言実定卿(とくだいじのだいなごん じっていのきょう)と噂された。

新大納言成親卿(しんだいなごんなりちかきょう)は、この左大将への就任を強く望む。

後白河法皇に気に入られていたことをいいことに、石清水八幡宮で大般若を七日読ませ、祈る。

七日目に山鳩が三羽飛んできて、共食いして死ぬという不吉なしるしがあった。

神祇官は「天下の騒ぎ」と占う。

成親卿はこりずに上賀茂神社へ七夜参詣する。

七夜目に見た夢に、お告げがあり、お前の願いは聞き入れられないということだった。

それでも懲りない成親卿は、上賀茂神社に修行僧をこもらせて百日間の修法を行わせた。

七十五日目に雷が落ち、あやうく火事になりかけたので、神人らはこの僧を追い出した。

しかし成親卿がこれほど望んだにも関わらず、実定卿も成親卿も左大将になれなかった。

右大将であった小松殿(平重盛)が左大将に、中納言であった次男宗盛が位の高い人を幾人も飛び越して右大将に就任。

全て平家の意のままとなった。

徳大寺殿は家柄も学問も優れ、次期右大将と期待されていたが、宗盛卿に先を越されたのは遺恨なことで、しばらく自宅に閉じこもることにした。

大納言成親卿は、重盛、宗盛に先を越されたことに憤る。

平治の乱の時、敵側に同心して首を刎ねられる運命だったのを、小松殿の口ききによって助けられた恩を忘れ、必ず平家を滅ぼすといきまくのだった。

京都東山の鹿谷(ししのたに)に、俊寛僧都の山荘があり、大納言らは毎夜集まって平家打倒の策謀をめぐらせる。

ある夜、後白河法皇が故・少納言入道信西の子・静憲法印を伴って訪れる。

その席で、大納言は目の前の瓶子(とっくり)を引き倒し、「平氏が倒れた」とはしゃぐ。

各人、「瓶子(平氏)」の洒落に便乗してはしゃぎ、しまいに西光法師が「首をとるのが一番」と、瓶子の首をもぎ取ってしまう。

静憲法印は、あまりの恐ろしさに、物も言えなかった。

抜粋

さくら花 かもの河風うらむなよ 散るをばえこそとどめざりけれ

(賀茂の川風が吹いて桜の花(成親)を吹き散らしてしまうのだ。神の力でもどうすることも
できないのだから、恨むな)

東山の麓、鹿(しし)の谷と云ふ所は、うしろは三井寺につづいて、ゆゆしき城郭にてぞありける。俊寛僧都の山荘(さんざう)あり。かれに常は寄りあひ寄りあひ、平家ほろぼさんずるはかりことをぞ廻らしける。或時法皇も御幸なる。故少納言入道信西が子息、静憲法印(じょうけんほういん)御供(おんとも)仕る。其夜の酒宴に、此由(このよし)を静憲法印に仰せあはせられければ、「あなあさまし。人あまた承り候ひぬ。唯今もれきこえて、天下の大事に及び候ひなんず」と、大きにさわぎ申しければ、新大納言けしきかはりて、さッとたたれけるが、御前に候ひける瓶子(へいじ)を、狩衣の袖にかけて、引倒(ひきたふ)されたりけるを、法皇、「あれはいかに」と仰せければ、大納言立帰つて、「平氏(へいじ)たはれ候ひぬ」とぞ申されける。法皇ゑつぼにいらせえおはしまして、「者ども参ッて猿楽仕れ」と仰せければ、平判官康頼、参りて、「ああ、あまりに平氏のおほう候に、もて醉(ゑ)ひて候」と申す。俊寛僧都、「さてそれをばいかが仕らんずむ」と申されければ、西光法師、「頸をとるにはしかじ」とて、瓶子のくびをとッてぞ入りにける。静憲法印あまりのあさましさに、つやつや物も申されず。返すがえすもおそろしかりし事どもなり。

語句

■主上御元服の御さだめ 高倉天皇ご元服の打ち合わせ。 ■摂政殿 高倉天皇摂政・松殿基房。 ■さてもわたらせ給ふべきならねば そのままでというわけにもいかないので。摂政を務めている以上、官位も昇進させないというわけにはいかないの意? ■兼(かねて)宣旨をかうぶり 前もって宣旨(天皇からの告知)を受けて。 ■慶申(よろこびまうし) 官位昇進のお礼を申し上げること。 ■にがにがしう 不愉快に。うっとうしく。 ■嘉応三年 1171年。正しくは正月三日(『玉葉』)。 ■朝覲(ちょうきん)の行幸(ぎょうごう) 天皇が年のはじめまたは即位・元服の後に上皇・皇太后の御所に挨拶のため行幸すること。 ■参らつさせ給ひて 「参らさせ給ひて」の音便。 ■叙爵 官位に叙すること。 ■らうたく かわいく。 ■入道相国の御娘 平徳子。後の建礼門院。 ■女御 天皇の御寝所に仕える女官。中宮の下。更衣の上。または上皇・皇太子の侍女。 ■猶子 養子。 ■妙音院の太政(だいじょう)のおほいとの 妙音院の太政大臣。宇治の悪左府藤原頼長の次男、藤原師長。 ■其時は未だ内大臣の左大将 藤原師長、仁安三年(1168)左大将、安元元年(1175)内大臣、安元三年(1177)左大将辞任。なのでこの話の時点では実際にはまだ「内大臣」ではなかった。 ■其仁(そのじん) 仁は人。大将になるのにふさわしい人物である。 ■花山院中納言兼雅卿 藤原兼雅。花山院家4代。後花山院左大臣と称した。 ■新大納言成親 中納言・藤原家成の子。正二位・権大納言。 ■ひらに申されけり 切に希望された。 ■院の御気色よかりければ 新大納言成親は後白河法皇に気に入られていたので。 ■八幡 男山にある石清水八幡宮。 ■信読 経典の文句を省略しないでぜんぶ読むこと。 ■大般若 『大般若波羅蜜多経』600巻。 ■甲良 男山のふもとにある高良社。武内宿禰や住吉明神を祭る。 ■仕者 仕える者。 ■宮寺 新宮寺。神社内にある寺。石清水八幡宮ははやくから神仏習合がすすみ、多くの新宮寺があった。 ■検校 寺社で事務を司る者。 ■匡清法印 16年にわたって石清水八幡宮の寺務をつとめた人物。 ■神祇官 全国の神社神官を統括する役所。■御占 亀占。亀の甲を焼いて、出来た亀裂によって、吉凶を判断する。 ■御つつしみ 謹慎して物忌すること。 ■中御門烏丸(なかのみかどからすまる) 中御門大路と烏丸(からすまる)小路の交差するところ。中御門大路は現在の丸太町通の一部が重なる。烏丸小路は現在の通り名「からすま」ではなく「からすまる」と読む。 ■賀茂の上の社 上賀茂神社。賀茂別雷神社。京都市北区。 ■さくら花賀茂の河風うらむなよ… さくら花に成親を、賀茂の河風に賀茂の神を当て、いくら願っても叶えることはできないが、恨むなよの意を詠む。 ■こめて こもらせて。 ■拏吉尼(だぎに)の法 仏教の守護神「夜叉」の一つ荼枳尼天(だきにてん)に諸願成就を祈ること。 ■外法(げほう)賀茂の社で拏吉尼天に祈ったため、邪法であると。 ■社家 代々神職を勤める家。現在も上賀茂神社そばに社家町が残る。 ■神人 じにん。じんにん。神社に仕える職員。 ■しら杖 白木(塗料を塗らない木材)の杖。 ■しらげ 玄米を臼でついて白くすること。転じて、人を打つこと。 ■一条の大路(おほち)より南へ 一条大路は平安京の北のはずれであり、この世とあの世の境界とされた。安倍晴明や百鬼夜行の伝承が残る。一条より北が神領であった。 ■神は非礼を享け給はず 神は非礼をお聞き入れにならない。『論語集解義疏』の「神ハ非礼ヲウケズ」が出典。 ■非分の大将 成親が大将の地位を望むのを、分不相応であると作者はいっている。 ■小松殿 平重盛。 ■上臈 身分の高い人。 ■申す計(ばかり)もなかりしか 言葉では言えないほど、酷いことであった。 ■一の大納言 大納言が数人いる中の、主席の大納言。 ■花族英雄(かそくえいよう) 「花族」は大臣大将を兼ね、太政大臣まで進むことのできる家柄。英雄も同じ。 ■才学優長 学才に優れていること。 ■家嫡 家の嫡男。 ■加階 官位昇進。 ■籠居とぞきこえし 賀茂の神のお告げの示していたところ。 ■いかがせむ どうしようもない。 ■やすからね 心穏やかでない。 ■万思ふさまなるがいたす所なり 何でも平家の思い通りになってるから、こんなことになるのだ。 ■ほこれり 自慢する。 ■平治にも 平治の乱。平治元年(1160)、藤原信頼と源義朝が組んでクーデターを起こした。 ■越後中将 越後守兼右中将。 ■小松殿やうやうに申して 重盛の北の方は成親の妹。重盛の嫡男、惟盛の北の方は成親の二女。重盛三男清経の北の方は成親の五女。小松家と藤原成親はむすびつきが強かった。 ■外人もなき所に ほかの人が誰もいない所に。他には平家を討とうなんて者がだれもいないところに、わざわざ言い出した、のニュアンス。 ■其営(そのいとなみ) 平家を討つための戦の準備。 ■鹿の谷 京都府左京区鹿谷。霊厳寺門跡の脇の細道から登っていける。 ■俊寛僧都 右大臣源顕房のひ孫。父は藤原寛雅。三条坊門京極に住居があったため京極と号した。 ■山庄 山荘。 ■故少納言入道信西 藤原通憲。日向守、少納言に至るも出世の望みなく出家して信西と名乗った。しかし後白河上皇に重く用いられ院政に参加。学識すぐれ、大内裏の再建事業などを成し遂げたが、平治の乱で死ぬはめになった。 ■静憲法印 藤原通憲の六男。思慮深い人物で後白河も清盛も清憲を信用していた。ここでは俊寛はじめ浮かれた面々と静憲とで、言動が対照的に描かれている。 ■たはれ 倒れ。 ■ゑつぼにいらせおはしまして 「ゑつぼ」は「笑壺」。面白がって笑うこと。 ■猿楽 即席の戯れに演じる、滑稽な芸能。祭礼の際の見世物として演じられることもあった。 ■平判官康頼 平康頼。信濃守中原頼秀の子。『宝物集』の作者として知られる。「判官」は検非違使尉の別称。 ■西光法師 俗名藤原師光。後白河の近習。信西の従者。平治の乱で信西が死んだ後、出家。 ■与力の輩 陰謀に参加した者共。 ■成正 源成雅。村上源氏。右大将源顕房の孫。陸奥守・源信雅の四男。左近衛権中将。近江中将と呼ばれた。保元の乱で崇徳上皇方について出家、越後に流された。 ■法勝寺執行 法勝寺は白河上皇が平安京東の白河に建立した六勝寺のうち最大のもの。執行は寺務総括役。 ■山城基兼 中原基兼。後白河の近習。 ■式部大輔雅綱 正しくは式部大夫章綱。後白河の近習。式部大輔は式部省の次官。式部大夫は式部丞で五位の者。式部省は律令制八省の一つ。宮中の儀式・文官の考課などを行う。■宗判官信房 惟宗(これむね)信房。検非違使尉。惟宗氏は秦氏の子孫とされる。 ■新平判官資行 平資行。北面の武士。検非違使。 ■多田蔵人行綱 清和源氏多田満仲七世。平頼盛の子。摂津国多田庄(兵庫県川西市)が住む。

……

前半は話が入り組んでいますが、ようするに清盛の息子たちがバンバン出世していく。それで、追い越されていく人たちの恨み節です。後半は、有名な鹿谷山荘での密謀の場面ですね。瓶子だ倒れたのを、平氏が倒れたとしゃれている…ほんとうにこんなやり取りがあったのかわかりませんが、情景がうかぶ、印象深い一幕と思います。

次回は『平家物語』の第13回、「俊寛沙汰 鵜川軍(しゅんかんのさた うがはいくさ)」です。

朗読 平家物語

朗読・解説:左大臣光永