平家物語 二十九 山門滅亡

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『平家物語』巻第ニより「山門滅亡」。

比叡山は内部抗争により衰退しきっていた。

あらすじ

比叡山では大衆・学生(延暦寺で長年修行してる僧)らと堂衆(僧兵化していた下級僧)らが合戦を繰り返していた。大衆が堂衆を討つことを公家に訴えかけ、公家は武家に訴え、湯浅権守宗重以下の武士が討伐に向かうが堂衆に返り討ちにされた(「山門滅亡 堂衆合戦」)。

これによって比叡山を離れる僧が増え、山門の衰退が進んだ。

それは天竺の竹林精舎や給孤独園(祇園精舎)が、震旦(中国)の天台山や五大山が衰退していった様にも似ていた。

比叡山を去った僧の一人は、こんな歌を残した。

いのりこし我たつ杣のひきかへて人なきみねとなりやはてなむ
(意味)伝教大師が祈り続けてきたこの比叡山も、今や衰退しきって人のいない峰となりはてるのだろうか。

原文

其後は山門いよいよ荒れはてて、十二禅衆(ぜんしゆ)のほかは、止住(しぢゆう)の僧侶(そうりよ)も希(まれ)なり。谷々の講演摩滅(まめつ)して、堂々の行法(ぎやうぼふ)も退転す。修学(しゆがく)の窓を閉じ坐禅(ざぜん)の床(ゆか)をむなしうせり。四教五時(しけうごじ)の春の花もにほはず、三諦即是(さんだいそくぜ)の秋の月もくもれり。三百余歳の法灯(ほつとう)を挑(かか)ぐる人もなく、六時不断(ろくじふだん)の香(かう)の煙(けぶり)もたえやしぬらん。堂舎(どうじや)高くそびえて、三重の構(かまへ)を青漢(せいかん)の内に挿(さしはさ)み、棟梁遥(とうりやうはる)かに秀(ひい)でて四面(しめん)の椽(たるき)を白霧(はくぶ)の間にかけたりき。されども今は、供仏(くぶつ)を嶺(みね)の嵐にまかせ、金容(きんよう)を紅瀝(こうれき)にうるほす。夜の月灯(ともしび)をかかげて、$#x859d;(のき)のきのひまよりもり、暁(あかつき)の露珠(たま)を垂(た)れて、蓮座(れんざ)の粧(よそほひ)をそふとかや。夫(それ)末代の俗に至つては、三国の仏法(ぶつぽふ)も、次第に衰微せり。遠く天竺(てんぢく)に仏跡(ぶつせき)をとぶらへば、昔仏(ほとけ)の法(のり)を説き給ひし竹林精舎(ちくりんしやうじや)、給孤独園(ぎつこどくをん)も、此比(このごろ)は孤狼野干(こらうやかん)の栖(すみか)となツて、礎(いしづえ)のみや残るらん。白鷺池(はくろち)には水たえて、草のみふかくしげれり。退凡下乗(たいぼんげじよう)の卒塔婆(そとば)も、苔(こけ)のみむして傾(かたぶ)きぬ。震旦(しんだん)にも天台山(てんだいさん)、五台山(ごだいさん)、白馬寺(はくばじ)、玉泉寺(ぎよくせんじ)も今は住侶(ぢゆうりよ)なき様(さま)に荒れはてて、大小乗(だいせうじよう)の法門も、箱の底にや朽ちぬらん。我朝(わがてう)には南都(なんと)の七大寺、荒れはてて、八宗九宗(はつしゆうくしゆう)も跡たえ、愛宕護(あたご)、高雄(たかを)も、昔は堂塔軒(のき)をならべたりしかども、一夜のうちに荒れにしかば、天狗(てんぐ)の棲(すみか)となりはてぬ。さればにや、さしもやンごとなかりつる天台(てんだい)の仏法も、治承(ぢしよう)の今に及んで、亡びはてぬるにや。心ある人歎きなかしまずと云ふ事なし。離山(りさん)しける僧の、坊の柱に歌をぞ一首(しゆ)書いたりける。

いのりこし我(わが)たつ杣(そま)のひきかへて人なきみねとなりやはてなむ

これは、伝教大師(でんげうだいし)、当山草創(そうそう)の昔、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏たちに、いのり申されける事を思ひ出でて、読みたりけるにや、いとやさしうぞ聞(きこ)えし。八日は薬師の日なれども、南無(なむ)と唱(とな)ふるこゑもせず。卯月(うづき)は垂跡(すいしゃく)の月なれども、幣帛(へいはく)を捧(ささ)ぐる人もなし。あけの玉墻(たまがき)かみさびて、しめなはのみや残るらん。

現代語訳

その後は山門はいよいよ荒れ果てて、西塔三昧堂で奉仕する十二禅衆のほかは、比叡山に住み込みの僧もめったにない。谷々の僧坊で行われていた講演も少なくなり、あちこちの御堂での行法もすたれた。

学問を修める場も閉鎖され、座禅する者も減った。釈迦の一代記を語る四教五時の説法も盛んには行われず、三諦即是の教法も曇って見えなくなった。

三百余年つづいた天台宗の正法を興す人もなく、一日六回絶え間なく香をたく「六時不断」の香の煙もたえてしまうだろうか。

かつては御堂が高くそびえて、三重の構えを青空の内にそびえさせ、屋根がはるかに高く四面のたるきが白霧の中にかかっているように見えるほど、立派なものだった。

しかし今は、仏への供養は嶺の嵐にまかせ、仏像は雨露にさらされている。夜の月が灯火をかかげて、軒の間からもれて、明け方の露が玉をたれて、仏の蓮台座のよそおいを添えているとかいうことだ。

いったい仏法のおとろえた末代の俗世になっては、天竺・震旦・日本三国の仏法も、次第におとろえた。

遠く天竺に仏の遺跡をたずねると、昔釈迦が法を説かれた竹林精舎、給孤独園(ぎっこどくおん)も、この頃は狐や狼のすみかとなって、基盤だけが残っているのだろう。

竹林園にあった白鷺池(はくろち)は水が枯れて、草ばかり深くしげっている。釈迦が霊鷲山で説法した時に立てたという退凡(凡人を退ける)、下乗(貴人も車をおりる)の卒塔婆も、苔ばかりむして傾いた。

震旦にも天台山、五台山、白馬寺(はくばじ)、玉泉寺(ぎょくせんじ)も、今は住職もいないように荒れ果てて、大乗・小乗の仏法も、経文を入れる箱の底で朽ちてしまったのだろう。

わが国では南都の七大寺も荒れ果てて、八宗九宗も跡たえて、愛宕、高雄も、昔は堂塔が軒をならべていたが、一夜のうちに荒れてしまったので、天狗のすみかとなりはてた。

だからだろうか、あれほど尊かった天台の仏法も、治承の今におよんで、滅びはててしまったのは。

心ある人は嘆きかなしまない事はない。比叡山を離れた僧が、僧坊の柱に歌を一首書いた。

いのりこし…

(伝教大師さまが最初に祈られてから、その後も代々の祈りによって支えられてきたこの比叡山が、いまや一転して、人もいない峰と成りはてるのだろうか)

これは、伝教大師が、当山草創の昔、阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)の仏たちに、いのり申された事を思い出して、読んだのだろうか、たいそう殊勝に聞こえた。

八日は薬師如来の縁日だが、南無と唱える声もしない。四月は山王権現が垂迹した(仏が神のすがたとしてあらわれた)月であるが、幣帛を捧げる人もない。朱の玉垣は神々しく荒れさびれて、しめ縄だけが残るのだろう。

語句

■十二禅主 比叡山西塔の三昧堂で昼夜結番(連続で仏事を行う)する十二人の僧。 ■止住の僧 しぢゅう。比叡山の僧坊に日常的に住んでいる僧。 ■堂々の行法 あっちの堂こっちの堂で行われる修行・修法。 ■四教五時 四教は釈迦の説法を四種に分けたのも。五時は釈迦の生涯を五時に分けたもの。五時八教とも。 ■春の花もにほわず 仏法がまともに行われていないことをたとえる。 ■三諦即是 さんだいそくぜ。三諦即是実相りこと。「三諦」は天台宗で説かれる空・仮(け)・中の3つの真理。それらは一体で真実普遍であるということ。すべての存在は空であるとする空諦(くうたい)。すべての存在は因果から生じる仮のものであるとする言葉や思慮の対象を超えたものであるとする中諦(ちゅうたい)。これら3つの真理が結局は一つであり普遍であるとする考え。ここでは「天台の教えも衰えた」くらいに解釈しておく。 ■三百余歳 延暦寺は延暦7年(788)最長が創始。治承2年(1178)まで390年。 ■法灯 闇を照らす光。天台の正法をさす。 ■六時不断 一日六回(晨朝(じんじょう)、日中、日没、初夜、中夜、後夜(ごや))炊かれる香。 ■青漢 ここでは青空。漢は天の川。 ■棟梁 棟木と梁が高くそびえる。屋根が高いこと。 ■四面の椽を白霧の間にかけたりき 四面の椽が霧の間に浮かんでいるような状態のこと。 ■供仏 仏への供養。 ■金容 仏像。 ■紅瀝 雨露のこと。 ■蓮座 蓮華座。仏の台座で蓮華型につくってある。 ■竹林精舎 インドマガダ国王舎城北方、迦蘭陀竹林園にあった寺。 ■給孤独園 インドの祇園精舎。釈迦が説法をした。 ■白鷺池 竹林園にあった池。 ■退凡下乗の卒塔婆 釈迦が霊鷲山で説法した時、アジャセ王が建てた卒塔婆「退凡」(凡人は去れ)、「下乗」(車から降りよ)。 ■天台山 中国浙江省。中国天台宗発祥の地。開祖智者大師の旧跡。 ■五大山 山西省にある霊山。別名清涼山。 ■白馬寺 河南省にある中国最古の寺。 ■玉泉寺 荊州にある智者大師創建の寺。 ■大小乗 大乗・小乗仏教。大乗仏教は紀元前後に成立した仏教。小乗仏教はそれ以前の仏教。広い教えで広く衆生を救うことを目的とし、小乗仏教は狭い教えで自分を救うことを目的とする、というが、小乗仏教は大乗仏教側が旧来の仏教「上座部仏教」を批判的に言った蔑称であり現在は使わない。 ■法門 仏法。 ■南都の七大寺 奈良の東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺。 ■八宗九宗 八宗は律宗・倶舎宗・成実宗・法相宗・三論宗・天台宗・華厳宗・真言宗。九宗は禅宗を加えたもの。 ■愛宕護 上嵯峨北部の愛宕山。山頂に愛宕権現(愛宕神社)がある。江戸時代まで神仏習合が進んでいた。 ■高雄 京都市右京区の山。山頂に高尾山神護寺がある。 ■いのりこし… 伝教大師最澄が延暦寺根本中堂創建の時の歌「阿耨多羅 三藐三菩提の 仏たち わが立つ杣に 冥加あらせたまえ」を踏まえる。「杣」はここでは比叡山。 ■阿耨多羅 三藐三菩提 あらゆる智慧を持った。 ■八日は薬師の日なれども 八日は薬師如来の縁日。延暦寺根本中堂の本尊が薬師如来。 ■南無 帰依する、敬礼するという意味の梵語。 ■卯月は垂迹の月 日吉山王権現の祭が4月中旬に行われるため。垂迹は仏が神の姿を仮にとって現れること。日吉大社の場合、西本宮で祀られている大己貴神の本地は釈迦如来。東本宮で祀られている大山咋神の本地は薬師如来。

朗読・解説:左大臣光永

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