平家物語 三十一 康頼祝詞
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『平家物語』巻第ニより「康頼祝詞(やすよりのっと)」。
鬼界が島に流された康頼入道・丹波少将成経は、都へ帰ることを願い、島の内に熊野三所権現を勧請して祝詞を捧げる。
前回「善光寺炎上」からのつづきです。
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あらすじ
鬼界が島に流された康頼、丹波少将成経、俊寛僧都の三人は、 平教盛の知行する肥前国鹿瀬の荘より衣食を送ってもらい、なんとか生きながらえていた。
康頼は鬼界ケ島に流される際、周防の室積(むろづみ)で出家し、法名を性照と名乗る。
出家の思い詠んで、
ついにかく 背き果てける 世の中を とく捨てざりし ことぞくやしき
(とうとう世を捨てて僧になったことだなあ。こんなことならもっと早く出家していればよかった)
康頼入道と丹波少将成経は、熊野信仰に厚い人で、熊野の三所権現をまつって都へ帰れるよう祈願するが、俊寛は信仰心のない人で、これを断った。
康頼入道と成経は島を歩き回り、熊野に似た地形を探し、
鬼界が島の景物を熊野になぞらえ「那智の御山」など、熊野にちなんだ地名をつけ、都へ返れるよう願って祝詞を上げる。
原文
さるほどに、鬼界(きかい)が島の流人(るにん)共、露の命草葉(いのちくさば)のすゑにかかツて、惜しむべきとにはあらねども、丹波少将(たんばのせうしやう)のしうと、平宰相(へいざいしやう)の領(りやう)、肥前国加瀬庄(ひぜんのくにかせのしやう)より、衣食を常に送られければ、それにてぞ、俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)も康頼も、命(いのち)をいきて過しける。康頼はながされける時、周防(すはう)の室積(むろづみ)にて、出家してンげれば、法名(ほふみやう)は性照(しやうせう)とこそついたりけれ。出家はもとよりの望(のぞみ)なりければ、
つひにかくそむきはてける世間(よのなか)をとく捨てざりしことぞくやしき
丹波少将、康頼入道(やすよりにふだう)は、もとより熊野信(くまのしん)じの人々なれば、「いかにもして、此島のうちに、熊野の三所権現(さんじよごんげん)を勧請(かんじやう)し奉ツて帰洛(きらく)の事を祈り申さばや」と云ふに、俊寛僧都は、天性(てんぜい)不信第一の人にて、是(これ)を用いず。二人は同じ心に、もし熊野に似たる所やあると、島のうちを尋ねまはるに、或(あるい)は林塘(りんたう)の妙(たへ)なるあり、紅錦繍(こうきんしう)の粧(よそほひ)しなじなに、或(あるい)は雲嶺(うんれい)のあやしきあり、碧羅綾(へきらりよう)の色一つにあらず。山のけしき木のこだちに至るまで、外(ほか)よりもなほ勝(すぐ)れたり。南を望めば、海漫々(かいまんまん)として、雲の波煙(けぶり)の浪(なみ)ふかく、北をかへり見れば、又山岳(さんがく)の峨々(がが)たるより、百尺(はくせき)の滝水漲(りうすいみなぎ)り満ち落ちたり。滝の音ことにすさまじく、松風神(まつかぜかみ)さびたる住ひ、飛滝権現(ひりようごんげん)のおはします、那智(なち)のお山にさ似たりけり。さてこそやがてそこをば、那智のお山とは名づけけれ。此峰(このみね)は本宮(ほんぐう)、かれは新宮(しんぐう)、是(これ)はそんぢやう其王子(そのわうじ)、彼王子(かのおうじ)なンど、王子王子の名を申して、康頼入道先達(せんだつ)にて、丹波少将相(あひ)ぐしつつ、日ごとに熊野(くまの)まうでのまねをして、帰洛(きらく)の事をぞ祈りける。「南無権現金剛童子(なむごんげんこんがうどうじ)、ねがはくは憐(あはれみ)をたれさせおはしまして、古郷(こきやう)へかへし入れさせ給ひて、妻子(さいし)をも今一度(いちど)見せ給へ」とぞ祈りける。日数(ひかず)つもりてたちかふべき浄衣(じやうえ)もなければ、麻の衣(ころも)を身にまとひ、沢辺(さはべ)の水をこりにかいては、岩田河(いはだがは)のきよき流(ながれ)と思ひやり、高き所にのぼツては、発信門(はつしんもん)とぞ観じける。参るたびごとには、康頼入道のツとを申すに、御幣紙(ごげいがみ)もなければ、花を手折(たを)りてささげつつ、維(ゐ)あたれる歳次(さいし)、治承(ぢしやう)元年丁酉(ひのとのとり)、月のならび十月二月(とつきふたつき)、日の数三百五十余ケ日(よかにち)、吉日良辰(きちにちりやうしん)を択(えら)んで、かけまくも忝(かたじけな)く、日本(にツぽん)第一大領験(だいりやうげん)、熊野三所権現(ゆやさんじよごんげん)、飛滝大薩埵(ひりやうだいさつた)の教領(けうりやう)、宇豆(うづ)の広前(ひろまへ)にして、信心の大施主(だいせしゆ)、羽林藤原成経(うりんふじわらのなりつね)、ならびに沙弥性照(しゃみしやうせう)、一心清浄(しやうじやう)の誠を致し、三業相応(さんごふさうおう)の志(こころざし)を抽(ぬきん)でて、謹(つつし)んでもツて敬曰(うやまつてまうす)。夫証誠大菩薩(それしようじやうだいぼさつ)は、済度苦界(さいどくかい)の教主(けうしゆ)、三身(さんじん)円満の覚王(かくわう)なり。或(あるい)は東宝浄瑠璃医王(とうばうじやうるりいわう)の主(しゆ)、衆病悉除(しゆびやうしつぢよ)の如来(によらい)なり。
現代語訳
そうしているうちに、鬼界ヶ島の流人たちは、露のようにはかない命が草葉の末にかかってるいるように、命を惜しむというわけではないのだが、丹波少将の舅、平宰相(平教盛)の領地である肥前国鹿瀬庄から、衣と食料を常に送られていたので、それによって、俊寛僧都も康頼も、命を生きて過ごした。康頼は流される時、周防の室積で、出家したので、法名は性照とつけたことよ。出家はもともと望みであったので、
つひにかくそむきはてける…
最終的にはこのように捨ててしまった世のを、もっと早く捨てなかったことがくやまれる。
丹波少将、康頼入道は、もともと熊野信仰の篤い人々であるので、「どうにかして、この島のうちに、熊野の三所権現を勧請し申し上げて、都に帰れるように祈り申し上げなくては」と言ったところ、俊寛僧都は、もともとの性質がまたとない不信心の人であって、これを用いなかった。二人は同じ心で、もしかして熊野に似た所があるだろうかと、島のうちを尋ねまわってると、あるいは堤の上の林の妙なる景色があり、花々が錦の刺繍を縫ったようにさまざまな粧いをしており、あるいは雲をまとった峯の見事な景色があり、緑の綾なすさまは、色一つでなく、さまざまに色彩豊かである。山のけしき木のこだちに至るまで、外の場所よりやはりすぐれている。南を望めば、海が満々と広がり、浪が雲や煙のように深く、北をかえり見れば、また山が険しくそびえているところから百尺もの滝の水がみなぎり落ちている。滝の音がことにすごく、松風の神さびた感じの住まいは、飛滝権現のおはします、那智のお山にまったくよく似ていた。だからすぐにそこを、那智のお山と名付けたことよ。この峰は本宮、あっちは新宮、これはどこそこの王子、など、王子王子の名を申して、康頼入道を先導者として、丹波少将を連れては、毎日熊野詣のまねをして、都に帰ることを祈った。「南無権現金剛童子、ねがはくは憐れみをたれてくださり、古郷へ再び返り入れるようにしてくださり、妻子をにももう一度あわせてください」と祈った。日数が経って替えの衣もないので、麻の衣を身にまとい、沢のほとりの水を浴びて身を清めては、岩田河のきよき流れを思いやり、高い所にのぼっては、熊野本宮の発心門と見るのだった。参るたびに康頼入道が祝詞を上げるのだが、幣帛として捧げる紙もないので、花を手折って捧げては、
「時はこれ治承元年丁酉(ひのとのとり)、月のならびは十月ニ日、日の数は三百五十余日、よい日よい時をえらんで、口にかけて申すも畏れ多い、日本で第一の霊験ゆたかな、熊野三所権現、飛滝大薩埵の教えに従わない者を忿怒の身によって導く尊厳なる熊野権現の御前にて、信心の施しをいたします主は、近衛府少将藤原成経、ならびに沙弥性照、ひたすら清められた誠の心をつくし、身口意の三業が一致した志を特に致して、謹んで申し上げます。いつたい証誠大菩薩(熊野本宮第一殿の本尊)は、苦海から衆生を救い浄土に渡す救い主であり、法・報・応の三身をすべてもった仏です。あるいは東方浄瑠璃医王の主(=薬師如来)であり衆生の病をことごとく除く如来であります。
語句
■平宰相 門脇宰相平教盛。教盛の娘が成経の妻。 ■肥前国鹿瀬庄 佐賀市嘉瀬町あたり。 ■周防の室積 山口県光市内。 ■熊野信じの人 熊野権現を熱心に信仰する人? ■熊野の三所権現 本宮の家都御子神(けつみこのかみ)、新宮の熊野速玉神、那智の夫須美神。 ■勧請 ある神社から別の神社にご神体を移し祭ること。分霊。 ■林塘 堤に植えた林。「東ニ顧ミレバ亦林塘ノ妙有リ」(『和漢朗詠集』下・山家 源順)。 ■紅錦繍 花で刺繍をしたように彩り豊かなさま。「野ニ著イテハ展ベ敷ク紅錦繍、天ニ当ツテハ遊織ス碧羅綾」(『和漢朗詠集』小野篁)。 ■雲峯 雲をまとう峯。 ■碧羅綾 緑の見事な色彩。雲をまとう峯の色彩を称える。 ■海漫々 海がどこまでも広がっているさま。「海漫々直下無底、傍無辺、雲濤煙浪最深処、人伝中有三神山」(『白氏文集』新楽府)。 ■雲の波煙の浪 海の波を雲・煙にたとえる。 ■峨々たる 山がけわしくそびえ立つさま。 ■飛滝権現 ひりようごんげん。 那智の滝を神として崇め称したもの。 ■さ似たりけり =さも似たりけり。 ■そんぢやう 「それ」「その」などの上につけて強調する語。 ■其王子 どこそこの何々王子。王子は熊野権現の末社。 ■先達 修験者の峰入りなどの先導者。 ■金剛童子 熊野権現の護り神。護法童子。 ■浄衣 神社参拝のときなどに着る白い衣、または絹の衣。 ■こりにかいては 垢離は 冷水を浴びて穢を取ること。それを行うことを「かく」という。 ■岩田河 岩田村(和歌山県西牟婁郡上富田町)を流れる川。熊野詣をする人はここで垢離をかく。富田川。 ■発心門 熊野本宮の総門。現存せず。
■のッと 祝詞。神にささげる言葉。 ■御弊神 神にささげる幣帛の紙。 ■維 ゐあたれる。維はこれと訓読する。 ■歳次 日付。 ■吉日良辰 よい日よい時。 ■日本第一大領験 日本第一の霊験ある。 ■飛滝大薩埵 飛滝菩薩。飛滝権現。千手観音の垂迹。 ■教令 けうりやう。仏の教えを信じない者に対して仏が忿怒の形をあらわして教えに従わせること。 ■宇豆の広前 「宇豆(珍)は尊厳ある。「広前」は大前に同じ。神の御前。 ■信心の大施主 ここに信心を行う主。 ■羽林 うりん。近衛府の唐名。成経は右近衛少将。 ■沙弥 剃髪した十戒を受けた者。 ■三業相応 さんごうそうおう。身・口・意で行う三つの業が一致していること。 ■証誠大菩薩 熊野本宮第一殿「証誠殿」に祀られる菩薩。阿弥陀如来の垂迹。 ■済度苦界
さいどくかい。衆生を苦海から救(済)って浄土に渡す(度)こと。 ■三身円満 さんじんえんまん。仏身仏の身体を意味する、三身(「法身」・「報身」・「応身」)を完全に保つこと。三身満徳。 ■覚王 仏。 ■東方浄瑠璃医王 とうばうじやうるりいわう。本宮第二殿、早玉宮の本地、薬師如来。浄瑠璃光世界の教主。 ■衆病悉除 衆生の病をことごとく除く。
原文
或(あるい)は南方補陀落能化(なんばうふだらくのうけ)の主(しゆ)、入重玄門(にふぢゆうげんもん)の大士(だいじ)、若王子(にやくわうじ)は娑婆世界(しやばせかい)の本主(ほんじゆ)、施無畏者(せむいしや)の大士(だいじ)、頂上の仏面(ぶつめん)を現じて、衆生(しゆじやう)の所願(しよぐわん)をみて給へり。是(これ)によツて、かみ一人(いちじん)より、しも万民(ばんみん)に至るまで、或は現世(げんぜ)安穏のため、或(あるい)は後生善処(ぜんしよ)のために、朝(あした)には浄水(じやうすい)を結んで、煩悩(ぼんなう)の垢(あか)をすすぎ、夕(ゆふべ)には深山(しんざん)に向(むか)つて、宝号(ほうがう)を唱(とな)ふるに、感応(かんおう)おこたる事なし。峨々(がが)なる嶺(みね)のたかきをば、神徳のたかきに喩(たと)へ、嶮々(けんけん)たる谷のふかきをば、弘誓(ぐぜい)のふかきに准(なぞら)へて、雲を分(わ)きてのぼり、露をしのいで下る。爰(ここ)に利益(りやく)の地をたのまずむば、いかんが歩(あゆみ)を嶮難(けんなん)の路(みち)にはこばん。権現の徳をあふがずんば、何ぞ必ずしも幽遠の境(さかひ)にましまさむ。仍(よつ)て証誠大権現(しようじやうだいごんげん)、飛滝大薩埵(ひりようだいさつた)、青蓮慈悲(しやうれんじひ)の眦(まなじり)を相ならべ、さをしかの御耳(おんみみ)をふりたてて、我等が無二(むに)の丹誠(たんぜい)を知見(ちけん)して、一々(いちいち)の懇志(こんし)を納受(なふじゆ)し給へ。然(しか)れば則(すなは)ち結早玉(むずぶはやたま)の両所権現(りやうじよごんげん)、おのおの機に随(したが)つて、有縁(うえん)の衆生(しゆじやう)をみちびき、無縁(むえん)の郡類(ぐんるい)をすくはんがために、七宝荘厳(しつぽうしやうごん)のすみかをすてて、八万四千の光を和(やはら)げ、六道三有(ろくだうさんう)の塵(ちり)に同(どう)じ給へり。故(かるがゆゑ)に定業亦能転(ぢやうごふやくのうてん)、求長寿得長寿(ぐぢやうじゆとくぢやうじゆ)の礼拝(らいはい)、袖をつらね、幣帛礼$#x5960;(へいはくれいてん)を捧(ささ)ぐる事ひまなし。忍辱(にんにく)の衣(ころも)を重ね、覚道(かくだう)の花を捧げて、神殿(じんでん)の床(ゆか)を動かし、信心の水をすまして、利生(りしやう)の池を湛(たた)へたり。神明納受(しんめいなふじゆ)し給はば、所願なんぞ成就(じやうじゆ)せざらん。仰ぎ願はくは十二所権現(しよごんげん)、利生(りしやう)の翅(つばさ)を並べて、遥(はる)かに苦海(くかい)の空にかけり、左遷(させん)の愁(うれへ)をやすめて、帰洛(きらく)の本懐(ほんぐわい)をとげしめ給へ。再拝(さいはい)。とぞ、康頼(やすより)のツとをば申しける。
現代語訳
あるいは南方補陀落能化の主(=千手観音)であり、位を極めた菩薩であり、若王子は娑婆世界の主、観音菩薩であり、頂上の仏のみ顔をあらわして、衆生の願いをごらんなります。これによって上は天皇から下は万民に至るまで、あるいは現世を安穏に過ごし、あるいは後世往生できるために、朝には清められた水を手に結び、煩悩の垢をすすぎ落とし、夕べには深山に向かって、仏の名号を唱えていれば、神仏がお聞き入れにならないことはないでしょう。そびえ立つ峰の高いのを神の徳の高いことにたとえ、険しく深い谷を一切衆生を救うという弥陀の広大な誓いになぞらえて、雲を分けてのぼり、露をしのいで下ります。ここに菩薩の利益に満ちた大地を頼みにしないなら、どうして歩みを険しい道に運ぶでしょう。権現の徳をあおがないでは、どうして必ずこんな幽遠の堺においでになることがありましょう。だから証誠大権現、飛滝大薩埵よ、青い蓮の葉のような慈悲の目をならべ、御耳を振り立てて、われらがニつとない真心を見知って、ひとつひとつの熱心な志をおきき入れください。そしてまた結・早玉の両所権現は、おのおの心に従って、仏に縁のある衆生をみちびき、仏に縁のない多くの衆生を救うために、珍しい宝物で飾られた極楽世界のすみかを捨てて、仏の八万四千の姿から放つ光を隠して、六道三界をさまよう衆生の煩悩にまみれた世界に身を落とされた。だからこそ定業亦能転(ぢやうごうふやくのうてん、定まった業もよい方向に転ぶ)、求長寿得長寿(ぐぢやうじゆとくぢやうじゆ、長寿を求めれば長寿を得る)の礼拝をする者が列をなし、供え物を捧げる事が尽きない。袈裟を重ね仏に捧げる花を捧げて神殿の床を動かし、信心の水を利生の池にたたえています。神様がお受けくださるなら、願いが成就しないことがありましょうか。どうかお願いいたします。十二所権現よ、利生の翼を並べてはるか苦海の空にかけり、左遷された悲しみを鎮めて、都に帰る本望をとげさせてください。再拝。
と康頼は祝詞を捧げ申した。
語句
■南方補陀落能家 なんばうふだらくのうけ。結宮の本地、千手観音。補陀落はインドの南海岸にある山。観音菩薩が遊行能化する。能化は衆生を教え導くこと。 ■入重玄門の大士 にふぢゆうげんもんのだいじ。等覚の菩薩。等覚とは菩薩が修行して到達する階位(菩薩五十二位)の52位の中、下位から51番目にの菩薩の極位(この上が妙覚)。玄門は仏門。大士は菩薩。 ■若王子 にやくわうじ。若一王子とも。本宮第四殿。十一面観音菩薩の垂迹。 ■施無畏者 せむいしや。観音菩薩の異称。 ■宝号 仏の名号。 ■感応 信心が仏に伝わること。 ■弘誓 ぐぜい。仏の広大な、衆生を救うという請願。「弘誓ノ深キコト海ノ如シ」(『法華経』普門品)。 ■利益の地 菩薩を大地にたとえる。 ■青蓮慈悲 しやうれんじひ。仏菩薩の目。「青蓮」は蓮の葉が青く細長いのを仏の目にたとえたもの。 ■さをしかの 小鹿。おじか。耳にかかる枕詞。神の耳。 ■丹誠 たんぜい。まごころ。 ■結早玉 むすぶはやたま。結権現と早玉権現。 ■機に随つて 心に従って。 ■七宝荘厳 さまざまな宝で飾り立てられた荘厳な場所。極楽のこと。 ■八万四千の光を和げ 仏の八万四千の姿から放つ光。「光を和らげ」は「和光同塵」に通じる。仏が仏の光を隠し、あえて俗塵にまみれた衆生の中に身を落とすことによって衆生を救おうとするという考え。 ■六道三有 「六道」は衆生の輪廻する6つの世界。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上。「三有」は三界に同じ。欲界、色界、無色界。 ■定業亦能転 ぢやうごうふやくのうてん。定まった業因も、よい方向に転ぶ。「若其機感厚、定業亦能転」(『法華文句記』)。 ■求長寿得長寿 「求長寿得長寿」(長寿を求むれば長寿を得む)(『薬師本願功徳経』)。 ■幣帛礼$#x5960; へいはくれいてん。「幣帛」は神への捧げもの。「礼$#x5960;」は神仏への供え物。 ■忍辱の衣 僧侶の着る袈裟。 ■覚道の花 仏に供える花。 ■信心の水 信心が満ちて利生(衆生に利益を与える)を専らにすることを、満々と水を称える池にたとえた。 ■十二所権現 熊野の三所権現、五所王子、四所明神。 ■再拝 二度敬礼するの意。手紙の結び。
……
ようするに、
「都に返させてください」ということを、神に祈ったという話です。
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