平家物語 四十一 有王(ありわう)

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『平家物語』巻第三より「有王(ありおう)」。俊寛の童有王が、鬼界ケ島に一人残された俊寛を訪ねて海を渡る。

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前回「少将都帰」からのつづきです。
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あらすじ

俊寛僧都が大事にしていた、有王という童がいた。

鬼界が島の流人が恩赦で都に帰ってくると聞き、有王は鳥羽へ向かうが、俊寛の姿がない。

人に聞くと、三人のうち俊寛だけは罪の深さゆえ、赦されなかったとのこと。

そこで有王は鬼界が島に赴くことを決意する。俊寛の姫君の元へ行き、文を預かって、商船に便乗して、途中衣服を剥ぎ取られなどしつつも、鬼界が島にたどり着く。

そこは田畑も村もなく、言葉も通じない所だった。有王は島の者に俊寛のことを聞くが、知っている者は誰もいない。

ある朝、有王は海辺で一人の乞食を見かける。元は法師のようだが、ボロボロの酷い格好である。

有王がその乞食に俊寛のことを尋ねると、乞食は「我こそその俊寛よ」と言って、バッタリと倒れ、気を失う。

しばらくして意識を取り戻した俊寛は、有王に島での生活の苦労を語り、棲家としているあばら屋へ招く。

かつて法勝寺の寺務職として多くの従者を従えていた人の住まいとは思えない、 それはひどいあばら屋だった。

…次回「僧都死去(そうずしきょ)」は7月8日(木)の配信です。

原文

さる程に鬼界(きかい)が島(しま)へ、三人ながされたりし流人(るにん)、二人は召しかへされて、都にのぼりぬ。俊寛僧都(しゆんくわんそうづ)一人、うかりし島の島守(しまもり)になりにけるこそうたてけれ。僧都のをさなうより不便(ふびん)にして召しつかはれける童(わらは)あり。名をば有王(ありわう)とぞ申しける。

鬼界が島の流人、今日すでに都へ入ると聞えしかば、鳥羽(とば)まで行きむかうて、見けれども、わが主(しゆう)はみえ給はず。いかにと問へば、「それは猶つみふかしとて、島にのこされ給ひぬ」ときいて、心うしなンどもおろかなり。常(つね)は六波羅辺(ろくはらへん)にたたずみありいて聞きけれども、いつ赦免(しやめん)あるべしとも聞きいださず。僧都の御娘のしのびておはしける所へ参ツて、「この瀬にももれさせ給ひて、御のぼりも候はず。いかにもして、彼島(かのしま)へわたツて、御行衛(ゆくゑ)を尋ね参らせんとこそ、思ひなツて候へ。御ふみ給はらん」と申しければ、泣く泣く書いてたうだりけり。暇(いとま)をこふともよもゆるさじとて、父にも母にも知らせず、もろこし舟のともづなは、卯月五月(うづきさつき)にとくなれば、夏衣(なつごろも)たつを遅くや思ひけん、やよひの末に都を出でて、多くの浪路(なみぢ)を凌(しの)ぎつつ、薩摩潟(さつまがた)へぞ下りける。薩摩より彼島(かのしま)へわたる船津(ふなつ)にて、人あやしみ、着たる物をはぎとりなンどしけれども、すこしも後悔せず。姫御前(ひめござん)の御文ばかりぞ、人に見せじとて、もとゆひの中に隠したりける。さて商人船(あきんどぶね)に乗ツて、件(くだん)の島へわたツてみるに、都にてかすかにつたへ聞きしは、事のかずにもあらず、田もなし、畠(はたけ)もなし。村もなし、里もなし。おのづから人はあれども、いふ詞(ことば)も聞き知らず。

有王(ありわう)、島の者にゆきうかツて、「物申さう」といへば、「何事」とこたふ。「是(これ)に都よりながされ給ひし、法勝寺執行御坊(ほつしようじのしゆぎやうのごぼう)と申す人の、御行(ゆく)ゑや知りたる」と問ふに、法勝寺とも執行とも、知ツたらばこそ返事もせめ、頭(かしら)をふツて、「知らず」といふ。其中にある者が心得て、「いさとよ、さ様(やう)の人は、三人是にありしが、二人は召しかへされて、都へのぼりぬ。今一人はのこされて、あそこ爰(ここ)にまどひありけれども、行ゑも知らず」とぞいひける。山のかたのおぼつかなさに、はるかに分け入り、嶺によぢ、谷に下れども、白雲跡を埋(うづ)んで、ゆき来(き)の道もさだかならず、青嵐(せいらん)夢を破って、その面影(おもかげ)も見えざりけり。山にては遂(つひ)に尋ねもあはず、海の辺(ほとり)について尋ぬるに、沙頭(さとう)に印(いん)を刻(きざ)む鴎(かもめ)、沖の白洲にすだく浜千鳥(はまちどり)の外(ほか)は、跡とふ者もなかりけり。

ある朝(あした)、いその方より、かげろふなンどのやうに、やせ衰へたる者、一人よろぼひ出できたり。もとは法師にてありけりと覚えて、髪は空さまへおひあがり、よろづの藻くづとりついて、おどろをいただいたるがごとし。つぎ目あらはれて、皮(かは)ゆたひ、身に着たる物は、絹布のわきも見えず。片手にはあらめをもち、片手には魚をもち、歩むやうにはしけれども、はかもゆかず。よろよろとして出できたり。「都にて多くの乞丐人(こつがいにん)みしかども、かかる者をばいまだみず。諸阿修羅等(しよあしゆらとう)、居在大海辺(こざいだいかいへん)とて、修羅(しゆら)の三悪四趣(さんあくよんしゆ)は、深山大海(しんざんだいかい)のほとりにありと、仏の解(と)きおき給ひたれば、知らずわれ、餓鬼道(がきだう)に迷ひ来(きた)るか」と思ふ程に、かれも是(これ)も次第にあゆみちかづく。

現代語訳

そのうちに、鬼界ヶ島へ、三人流された流人のうち二人は召還されて、都へのぼった。俊寛僧都一人、寂しい島の番人になったのは情けないことであった。

僧都が幼いころから可愛がって召し使っている童がある。名を有王と申した。

鬼界ヶ島の流人が、今日はもう都へ入ると聞いたので、鳥羽まで行き迎えて見たが、わが主人はお見えにならない。どうしたかと尋ねると、

「それはまだ罪が深いといって、島に残されなさったのです」

ときいて、残念などという言葉も生ぬるいほど残念である。平素は六波羅のあたりにたたずんで歩き回って聞いたけれど、いつ赦免があるだろうとも聞き出せない。

僧都の御娘のしのんでお住まいの所へ参って、

「今回も赦免におこぼれになって、都へおのぼりになることもございません。どうにかしてあの島へわたって、御ゆくえを尋ね参らせようと思うようになりました。御文をいただきましょう」

と申したところ、泣く泣く書いてお与えになった。

暇を願ってもまさか許さないだろうと、父にも母にも知らせず、宋国との貿易船のともづなは四月五月に解くので、夏になってしまうのが遅いと思ったのだろう、三月の末に都を出て、多くの波路をしのぎつつ、薩摩潟へ下った。

薩摩からあの島へわたる港で、人があやしんで、着ている物をはぎとりなどしたが、少しも後悔しない。

姫御前の御文だけを、人に見せまいと、もとゆいの中に隠していた。さて商人の船に乗って、例の島にわたってみると、都でかすかにつたえ聞いていたのは、問題にもならない。

田もない。畑もない。村もない。たまに人はあるが、言う言葉も聞き知らない。有王は、島の者に行きむかって、

「お尋ねします」

というと、

「何事だ」

と答える。

「ここに都から流されなさった、法勝寺執行の御房と申す人の、御行方を知っているか」

と質問すると、法勝寺とも執行とも、知っていれば返事もするだろうが、首をふって、

「知らない」

という。

その中にある人が思い当たって、

「さあ、そういう人は、三人ここにあったが、二人は召還されて、都へ登った。もう一人は残されて、あちこちに迷い歩いていたが、行方も知らない」

と言った。

山の方角の道がはっきりしないあたりにはるかに分け入り、峰によじ登り、谷に下ったが、白雲が足跡を埋めて、行き来の道もはっきりしない。

青葉吹く風が夢を破って、その面影も見えなかった。山ではついに尋ねあはず、海のほとりについて尋ねたところ、砂浜に足跡をつける鴎、沖の白洲に群れなす浜千鳥のほかは、行方を尋ねる者もない。

ある朝、いその方から、蜉蝣などのように、やせ衰えた者が一人よろよろと出てきた。もとは法師であったと思われ、髪は空にむかってはえ上がり、さまざまな藻くずがとりついて、雑草を頭にのせたようである。

関節がむき出しで、皮はたるんで、身に着ているものは、絹とも布とも見分けがつかない。片手には海藻をもち、片手には魚をもち、歩くようにはしているが、まるで進まず、よろよろとして出てきた。

「都で多くの物乞いを見たが、このような者を見たことはない。さまざまの阿修羅は海のほとりに住むと(法華経に)いうが、修羅のいる三悪四趣(地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道)は、深い山広い海のほとりにありと、仏の説きおかれたので、知らないうちに私は、餓鬼道に迷い来たのだろうか」と思う時に、あっちもこっちも次第に歩み近づく。

語句

■島守 島の番人。 ■うたてし 情けない。残念だ。 ■不便 かわいがって。 ■この瀬 今回。 ■たうだりけり 「賜びたりけり」の音便。お与えになった。 ■もろこし船 中国(宋)との貿易船。 ■夏衣たつを… 「夏衣」と「たつ(裁つ)」は縁語。「たつ」は「裁つ」と「立つ」を掛ける。 ■もとゆひ もとどりを束ねる紐。 ■いさとよ さあ、という掛け声。 ■白雲跡を埋んで 「山遠くしては雲行客の跡を埋む、松寒くしては風旅人の夢を破る」(和漢朗詠集・下・雲)。 ■青嵐 青葉を吹く風。 ■沙頭に印を刻む鴎 沙頭は砂浜。「沙頭に印を刻む鴎の遊ぶ処、水庭に書を模(うつ)す雁の度る時」(和漢朗詠集・下・水付漁夫 大江朝綱)。 ■すだく 集まる。 ■跡とふ者 消息をたずねる者。 ■かげろふ とんぼ。 ■よろぼひ出できたり よろよろと出てきた。 ■空さまへおひあがり 空に向かってはえのび。 ■おどろ 茨などの雑草。 ■つぎ目 骨の継ぎ目=関節。 ■ゆたひ たるんで。 ■絹布のわきも見えず 絹か布か見分けもつかない。 ■あらめ 海藻の一種。 ■はかもゆかず 「はか」は仕事の進捗ぶり。効果が出ない。進まない。 ■乞丐人 物乞。 ■諸阿修羅等… さまざまな阿修羅どもは、大海のあたりに住むの意。『法華経』の法師功徳品の句。古代インドで天帝の敵である悪魔。仏教に取り入れられ、守護神となる。 ■三悪四趣 三悪は三悪道。三悪趣ともいう。地獄道・餓鬼道・畜生道。四趣は四悪道。四悪趣ともいう。三悪に修羅道を加えたもの。 ■餓鬼道 貪欲、嫉妬の罪を犯した者が死後落ちる世界。落ちた者は飢えに苦しむ。

原文

もしか様(やう)の者も、わが主(しゆう)の御ゆくゑ知りたる事やあらんと、「物申さう」どいへば、「何ごと」とこたふ。「是に都より流され給ひし、法勝寺執行御坊(ほつしようじのしゆぎようのごぼう)と申す人の、御行ゑや知りたる」と問ふに、童は見忘れたれども、僧都は争(いか)で忘るべきなれば、「是こそそよ」といひもあへず、手にもてる物を投げ捨てて、いさごの上に倒(たふ)れふす。さてこそわが主(しゆう)の御行ゑは知りてンげれ。僧都やがて消え入り給ふを、ひざの上にかきのせ奉り、「有王が参ツて候。多くの浪路をしのいで、是まで尋ね参りたるかひもなく、いかにやがてうき目をば見せさせ給ふぞ」と、泣く泣く申しければ、ややあツてすこし人心地(ひとごこち)出でき、たすけおこされて、「誠に汝(なんぢ)が是まで尋ね来る心ざしの程こそ神妙(しんべう)なれ。明けても暮れても、都の事のみ思ひゐたれば、恋しき者共が面影(おもかげ)は、夢にみる折もあり、まぼろしにたつ時もあり。身もいたくつかれよわツて後は、夢もうつつも思ひわかず。されば汝が来れるも、ただ夢とのみこそおぼゆれ。もし此事(このこと)の夢ならば、さめての後はいかがせん」。有王、「うつつにて候なり。此御有様(おんありさま)にて、今まで御命ののびさせ給ひて候こそ、不思議には覚え候」と申せば、「さればこそ。去年(こぞ)少将や判官入道に捨てられて後のたよりなさ、心の中をばただおしはかるべし。その瀬に身をも投げんとせしを、よしなき少将の、今一度都の音づれをもまてかしなンど、なぐさめおきしを、おろかにもしやとたのみつつ、ながらへんとはせしかども、此島には人のくひ物たえてなき所なれば、身に力のありし程は、山にのぼツて硫黄(いわう)と云ふ物をとり、九国(くこく)よりかよふ商人(あきびと)にあひ、くひ物にかへなンどせしかども、日にそへてよわりゆけば、今はその態(わざ)せず。かやうに日ののどかなる時は、磯(いそ)に出でて網人釣人(あむうどつりうど)に手をすりひざをかがめて魚(うを)をもらひ、塩干(しほひ)の時は貝を拾ひ、あらめをとり、磯の苔に露の命をかけてこそ、今日(けふ)までもながらへたれ。さらでは浮世(うきよ)を渡るよすがをば、いかにしつらんとか思ふらん。爰(ここ)にて何事もいはばやとは思へども、いざわが家(いへ)へ」と宣へば、此御有様(このおんありさま)にても、家をもち給へるふしぎさよと思ひて行く程に、松の一村(ひとむら)ある中に、より竹を柱にして、葦(あし)を結(ゆ)ひ、けたはりにわたし、上にもしたにも松の葉をひしと取りかけたり。雨風たまるべうもなし。昔は法勝寺の寺務職(じむしき)にて、八十余ケ所の庄務(しやうむ)をつかさどられしかば、棟門平門(むねかどひらかど)の内に、四五百人の所従眷属(しよじゆうけんぞく)に囲繞(ゐねう)せられてこそおはせしが、まのあたりかかるうき目を見給ひけるこそふしぎなれ。業(ごふ)にさまざまあり。順現(じゆんげん)、順生(じゆんしよう)、順後業(じゅんごごふ)といへり。僧都一期(いちご)の間、身に用ゐる処(ところ)、大伽藍(だいがらん)の、寺物仏物(じもつぶつもつ)にあらずと云ふ事なし。さればかの信施無慙(しんぜむざん)の罪によツて、今生(こんじやう)にはや感ぜられけりとぞ見えたりける。

現代語訳

もしかしてこのような者でも、わが主人の御ゆくえを知っている事でもあろうかと、

「お尋ねします」

と言えば、

「何事だ」

と答える。

「ここに都から流されなさった、法勝寺執行の御房と申す人の、御ゆくえを知っているか」

と質問すると、

童は見忘れたが、僧都はどうして忘れるはずもないので、

「これこそそれよ」

と言い終わりもせず、手に持った物を投げ捨てて、砂の上に倒れ伏す。

それでわが主人の御行方は知られたのだった。

僧都はすぐに意識不明になられたのを、ひざの上にかき乗せ申し上げ、「有王が参ってございます。多くの波路をしのいで、ここまで尋ね参ったかいもなく、どうしてすぐに悲しい目をお見せになるのですか」と、泣く泣く申したところ、

ややあって少し人間らしい心地が出てきて、助け起こされて、

「本当にお前がここまで尋ね来た心ざしの程の殊勝であることよ。明けても暮れても、都の事のみ思っていたので、恋しき者共の面影は、夢に見る折もあり、まぼろしに立つ時もあり。身もたいそう疲れ弱って後は、夢も現実も区別がつかず思われた。なのでお前が来たのも、ただ夢とのみ思われた。もしこの事が夢ならば、覚めた後はどうすればよいのだ」

有王、

「現実でございます。この御有様にて、今まで生きながらえなさってこざいましたことこそ、不思議に覚えてございます」

と申せば、

「そのことだ。去年少将や判官入道に捨てられて後の頼りなさ、心の中をただ想像してみるがよい。その瀬に身を投げようとしたのを、あてにならない少将の、もう一度都からの連絡をも待ちなさいなど、なぐさめ置いたのを、愚かにも「もしや」と頼みつつ、生きながらえようとはしたが、この島には人の食い物がまったくない所であるので、身に力のあった時は、山に登って硫黄という物をとり、九州から通う商人にあい、食い物に交換などしたが、日にしたがって弱りゆけば、今はその行いもしない。このように日ののどかな時は、磯に出て漁師釣り人に手をすり膝をかがめて魚をもらい、潮が干いている時は貝をひろい、海藻をとり、磯の苔に露の命をかけて、今日までも生き延びたのだ。そうでなくては浮世を渡る手立てを、どうしたと思うか。ここで何事も言はねばとは思うけれど、さあ、わが家へ」

とおっしゃるので、この御有様でありながら、家をお持ちであることの不思議さよと思って行くうちに、松の一むらある中に、海岸に打ち寄せた竹を柱にして、葦を結い、桁と梁にわたし、上にも下にも松の葉をびっしりと取りかけている。こんなものでは雨風が防がれようもない。

昔は法勝寺の寺務職をで、八十余ケ所の荘園の事務を行われので、大小の門の内に四五百人の召使い一族の者に尊敬されて取り囲まれていらしたが、目の前にこのような悲しい目を御覧になることは不思議であるよ。

業(ごう)にさまざまある。今生にて報いのあらわれる「順現業(じゅんげんごう)」、後生にて報いのあらわれる「順生業(じゅんしょうごう)」、後生のさらに次以降の生にて報いのうらわれる「順後業(じゅんごごう)といっている。

僧都一生の間は、身に用いるところは大伽藍の、寺物仏物にないという事はない。

だから「信施無慙(しんぜむざん)」の罪…信者の施しを受けながら、仏道に反した行いをして、それを恥じないという罪によって、生きているうちにはやくも報いを受けたのだと思われた。

語句

■さればこそ そうだろう。 ■より竹 海岸にうち寄せた竹。 ■けたはり 桁と梁。屋根を支える材。棟木と平行に置くのが桁。棟木と直角に置くのが梁。 ■貯まる 防ぎ止める。 ■寺務職 寺院の雑務をつかさどる役職。 ■庄務 荘園についての事務。 ■棟門平門 棟門は屋根つきの門。平門は屋根なしの平な門。 ■所従眷属 所従は召使い。眷属は一族。 ■囲繞 尊敬されて取り巻かれる。 ■業 身・口・意により作り出すさまざまな行い。 ■順現・順生・順後業 三時業(さんじごう)。業の報いがいつあらわれるかの三段階の別。業の報いが今生のうちにあらわれるのが順生業。次の生で報いがあわれるのが順生業、次の次以降の生で報いが現れるのが順後業。 ■信施無慙 しんぜむざん。僧が信者から布施を受けながら、悪い行いをし仏道に外れ、それを恥じないこと。 ■感ぜられけり 業の結果としての報いを受けること。
 

朗読・解説:左大臣光永

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