宇治拾遺物語 1-1 道命(だうみやう)、和泉式部の許(もと)に於(お)いて読経(どきやう)し、五条の道祖神(だうそじん)聴聞(ちゃうもん)の事

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今は昔、道命阿闍梨(あじやり)とて、傅殿(ふどの)の子に色に耽(ふけ)りたる僧ありけり。和泉式部に通ひけり。経をめでたく読みけり。それが和泉式部がり行きて臥したるけるに、目覚めて経を心をすまして読みける程に、八巻(やまき)読み果てて暁にまどろまんとする程に、人のけはいのしければ、「あれは誰ぞ」と問いければ、「おのれは五条西洞院(にしのとうゐん)の辺(ほとり)に候(さぶら)ふ翁(おきな)の候ふ」と答へければ、「こは何事ぞ」と道命いひければ、「この御経を今宵(こよひ)承りぬる事の、生々世々(しやうじやうせぜ)忘れがたく候ふ」といひければ、道命、「法華経を読み奉る事は常の事なり。など今宵しもいはるるぞ」といひければ、五条の斎(さい)曰(いは)く、「清くて読み参らせ給ふ時は、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしやく)を始め奉りて聴聞(ちやうもん)せさせ給へば、翁(おきな)などは近づき参りて承るに及び候(さぶら)はず。今宵(こよひ)は御行水(ぎやうずい)も候はで読み奉らせ給へば、梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしやく)も御聴聞候はぬひまにて、翁参り寄りて承りて候ひぬる事の忘れがたく候ふなり」とのたまひけり。

されば、はかなく、さは読み奉るとも、清くて読み奉るべき事なり。「念仏、読経(どきやう)、四威儀(しゐぎ)を破る事なかれ」と、恵心(ゑしん)の御房(ごばう)も戒め給ふにこそ。

現代語訳

今となっては昔の事ですが、道命阿闍梨といって、道綱卿の子に色事に耽っている僧がいた。和泉式部に通っていた。この僧は経を読むのがまことに見事であった。それがある夜、和泉式部の元へ行って事を済ませて寝ていたが、ふと目が覚めて、経を一心に読んでいるうちに、八巻全部を読み終えて暁の時分にうとうとしかけていると、人の気配がしたので、「おまえは誰か」と聞くと、「私は五条姓西洞院辺りに住んでいる翁でございます」と答えたので、「いったいどうしたのか」と道命が言うと、「このお経を今夜拝聴いたしましたことは、未来永劫忘れることができません」と言う。道命は、「法華経を読むのはいつもの事だ。どうして、今夜に限ってそんな事を言われるのだ」と問うと、五条の道祖神は、「あなたが身を清めてお読みになられる時には、梵天、帝釈天を始めとして、高貴の方々がご聴聞なさいますので、私などのような者は、おそば近くに参上して拝聴することができません。今夜は御行水の作法もなさらずにお読みになられたので、梵天・帝釈も御聴聞なされぬ間に、この翁がこうしておそば近くに参って拝聴できましたことがうれしく忘れがたいことでございます」と言われたのであった。

だから、かりそめに、そのように経を読む場合にも、身を清めて読むべきだというわけである。「念仏、読経に際し、日常の定められた作法を破ってはならぬ」と、恵心の御坊も戒めておられる。

語句

■道命阿闍梨-藤原道綱の子(972~1020)。良源の弟子。第二十七代天王寺別当。「阿闍梨」は、師範師の意で、天台・真言の僧位の名。和泉式部との関係については、『宝物集』に「道命阿闍梨は、和泉式部に落つる不浄の僧なりしかども」、『梁塵秘抄』には「和歌にすぐれてめでたきは今様、道命、和泉式部」とあり、『古今著聞集』八「好色」にも両人の親密ぶりがうかがわれる。■傅殿-大納言藤原道綱(955~1020)。道長の異母兄。母は『蜻蛉日記』の作者。傅殿の「傅」は東宮傅(皇太子の養育役)のこと。■和泉式部-越前守大江雅致の娘。和泉守橘道貞に嫁して、和泉式部の名がある。歌にすぐれ、(中古三十六歌仙)、一条天皇の中宮彰子に仕えた。■経をめでたく読みけり-道命の読経ぶりの見事さは、「其声微妙ニシテ、聞ク人皆首ヲカタブケ不貴ズト云フ事無シ」(今昔・巻一二-三六話)、「其ノ声微妙ニシテ、自ラ律呂ニ合ヘリ。清濁軽重、韻節和雅ナリ」(元亨釈書)、「中古無双の能読」(読経口伝明経集)などと評される。■・・・がり-…のもとへ。…のいる所に。[参考]「行く」「通ふ」「遣(や)る」などの移動を表す動詞とともに用いられる。■生々世々-生まれ変わり死に変わりして限りなく多くの世を経る意。現世も来世も永遠に。いつまでも。▽仏教語。「世世」は「せせ」「よよ」とも読む。 生生世世の出典. 『南史なんし』王敬則伝おうけいそくでん. 生生世世の句例. ◎生々世々、決して忘れない. 生生世世の用例.■聴聞-説教や演説などを聞くこと。■八巻読み果てて-『法華経』一部、八巻二十八品。ここは、転読したことを言うか。「転読」とは、経典の本文を読誦せずに、経題や経典の初頭・中間・終末部などの要所を読んで、全体を読んだことに代える読み方。■五条西洞院(にしのとうゐん)の辺(ほとり)-五条大路と西洞院小路とが交差する地点。京都市下京区。■斎-「斎」は塞の神、道祖神。町々の地界や村々の道路の境界などに祭られ、悪疫・悪神をとどめ、旅人を守護する。五条西洞院の道祖神社の祭神は猿田彦の神。■梵天(ぼんてん)、帝釈(たいしやく)-ともに古代インドの神。梵天は天地宇宙の創造神、帝釈天は、「とうり天」の主神で、いずれも仏法の守護神。■行水-水で身体を洗い清める作法。■念仏、読経(どきやう)、四威儀(しゐぎ)を破る事なかれ-念仏、読経に際し、行住坐臥(ぎやうじやうざが)に守るべき戒律を破ってはならない」『源信僧都四十一箇条起請』中の文。■恵心-源信(942~1017)。良源に師事。道命の兄弟子にあたる。横側に住み、『往生要集』などを著し、天台浄土教を確立する。

朗読・解説:左大臣光永

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