宇治拾遺物語 1-2 丹波国篠村(たんばのくにしのむら)、平茸生(ひらたけお)ふる事

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原文

これも今は昔、丹波国篠村といふ所に、年比、平茸やる方もなく多かりけり。里村の者これを取りて、人にもこころざし、又我も食ひなどして年比過ぐる程に、その里にとりて宗(むね)とある者の夢に、頭をつかみたる法師どもの二三十人ばかり出(い)で来(き)て、「申すべき事」といひければ、「いかなる人ぞ」と問ふに、この法師ばらは、この利比も宮仕(みやづか)ひよくして候(さぶら)ひつるが、この里の縁尽きて今はよそへまかり候ひなんずる事の、かつはあはれにも候ふ。また事の由(よし)を申さではと思ひて、この由を申すなり」といふを見て、うち驚きて、「こは何事ぞ」と妻や子やなどに語る程に、またその里の人の夢にもこの定(ぢやう)に見えたりとて、あまた同様に語れば、心も得で年も暮れぬ。

さて、次(つぐ)の年の九、十月にもなりぬるに、さきざき出(い)で来(く)る程なれば、山に入りて茸を求むるに、すべて蔬(くさびら)大方(おほかた)見えず。いかなる事にかと、里(さと)国の者思ひて過ぐる程に、故仲胤僧都(ちゆういんそうず)とて説法(せつぽふ)ならびなき人いましけり。この事を聞きて、「こはいかに、不浄説法する法師、平茸に生(むま)るといふ事のあるものを」とのたまひてけり。

されば、いかにもいかにも平茸は食わざらんに事欠くまじきものとぞ。

現代語訳

丹波の国篠村に平茸が生える事

これも今では昔の事になるが、丹波国篠村という所に、長い間、平茸がどうしようもないほど多く生えた。里村の者たちがこれを採り、人にも分け与え、自分でも食するなどして長年が過ぎるうちに、その里の長(おさ)の立場のある者の夢に、頭髪を少し伸ばした法師どもが二三十人ほど出てきて、「言うことがある」と言うので、「どういうお方ですか」と聞くと、「我々法師どもは長い間よく奉仕してまいりましたが、この里との縁が尽きまして、今は、他所へ退出しようと存じますがそのことが一方では名残り惜しゅうございます。また、退出する理由を言わなくてはと思い、その理由を伝えるのです」と言うのを見て、村長は非常に驚き、「これはどういうことだろうか」と夢の事を妻や子に話していると、またその里の人々も同じ夢を見たと言って多くの里人が話すので、合点がゆかないままに年が暮れた。

さて、次の九、十月になると、例年なら平茸が生えてくる時節なので、里の者が山に入り平茸を見つけようとするが、すべての平茸がまったく見えず、どうしたことだろうか、と里人が不思議に思って日が経つうちに、故仲胤僧都といって説法のたぐいなく上手な方がいらっしゃった。この話を聞いて、「これはどういうことだろうか。不浄説法をする法師は、平茸に生まれ変わるという事があるのだが・・・・・」とおっしゃいました。

だから、どう考えても平茸は口にしなくても別に不自由ではないだろう、ということだ。

語句

■丹波国篠村-京都府亀岡市篠帯の地。京都から山陰道を老坂を超えて丹波国に入ってまもなくの交通の要衝として栄えていた村里。■平茸-九、十月ごろ、山林の湿地の老木の根元などに生える。笠(かさ)の直径は約10センチ程で薄く平らで灰白色ないし淡紫色。大小が群生する。■つかみなる-「小掴(をつか)み」の意。頭髪が手でつかめるくらいに伸びているさま。頭髪を剃らずにいる破戒僧の様子。■宮仕(みやづか)ひ-人に仕える事。ここは平茸となって篠村の人々に奉仕してきたことをいう。■この定(じやう)に-このとうりに。さきの長老の夢と同じように。■蔬(くさびら)-ここは「きのこの類」の意。「クサビラー茸」■仲胤僧都(ちゆういんそうず)-十二世紀半ばに活躍した比叡山の僧で、説法の名手との誉れが高かった。権中納言藤原秀仲の子、権少僧都。■不浄説法-邪命説法とも。仏法のためにではなく、みずからの名利のために行う不浄な目的・動機による説法。あるいは仲胤の念頭には、無資格の僧が供養の大役を勤め、布施を受けた報いで茸になったという『景徳伝灯録』所載の事例があったかもしれない。

備考・補足

■故仲胤僧都-「故」と頭についているから、この法師はすでに亡くなっていると思われるが、亡くなっている人が里人の夢の話を聞くというのも変であり、この矛盾についてはどういう意味があるのか不明。

※編者が生前の仲胤僧都と何らかの接触があり、この「巻一の二」は、仲胤僧都の死亡時期と近い時期に成立したものではなかろうか?(谷口耕一氏の説から)

朗読・解説:左大臣光永