宇治拾遺物語 1-3 鬼に瘤を取られる事
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これも昔、右の顔に大きなる瘤(こぶ)ある翁ありけり。大柑子(おほかうじ)の程なり。人に交じるに及ばねば、薪をとりて世を過ぐる程に、山に行きぬ。雨風ははしたなくて帰るに及ばで、山の中に心にもあらずとまりぬ。また木こりもなかりけり。恐ろしさすべき方(かた)なし。木のうつほのありけるにはひ入りて、目も合はず屈(かが)まりゐたる程に、遥(はる)かより人の音多くして、とどめき来る音す。
いかにも山の中にただ一人ゐたるに、人のけはひのしければ、少しいき出(い)づる心地して見出(みいだ)しければ、大方(おほかた)やうやうさまざまなる者ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物を褌(たふさぎ)にかき、大方目一つある者あり、口なき者など、大方いかにもいふべきにあらぬ者ども百人ばかりひしめき集りて、火を天の目のごとくにともして、我がゐたるうつほ木の前にゐまはりぬ。大方いとど物覚えず。
宗(むね)とあると見ゆる鬼横座(よこざ)にゐたり。うらうへに二ならびに居並みたる鬼、数を知らず。その姿おのおの言ひ尽くしがたし。酒参らせ、遊ぶ有様、この世の人のする定(ぢやう)なり。たびたび土器(かはらけ)始(はじま)りて、宗(むね)との鬼殊(こと)の外(ほか)に酔(よ)ひたる様(さま)なり。末より若き鬼一人立ちて、折敷(をしき)をかざして、何(なに)といふにか、くどきくせせる事をいひて、横座の鬼の前に練り出でてくどくめり。横座の鬼盃を左の手に持ちて笑(ゑ)みこだれるさま、ただこの世の人のごとし。舞うて入りぬ。次第に下より舞ふ。悪(あ)しく、よく舞ふもあり。
あさましと見る程に、横座にゐたる鬼のいふやう、「今宵(こよひ)の御遊びこそいつにもすぐれたれ。ただし、さも珍しからん奏(かな)でを見ばや」などいふに、この翁物の憑(つ)きたるけるにや、また然(しか)るべく神仏(かみほとけ)の思はせ給(たま)ひけるにや、「あはれ、走り出でて舞はばや」と思ふを、一度(いちど)は思ひ返しつ。それに何(なに)となく鬼どもがうち揚げたる拍子(ひやうし)のよげに聞えければ、「さもあれ、ただ走り出でて舞ひてん、死なばさてありなん」と思ひとりて、木のうつほより烏帽子(えぼし)は鼻に垂(た)れかけたる翁の、腰に斧(よき)といふ木伐(き)る物さして、横座の鬼のゐたる前に躍(をど)り出でたり。
この鬼ども躍りあがりて、「こは何(なに)ぞ」と騒ぎ合へり。翁伸びあがり屈(かが)まりて、舞ふべき限り、すぢりもぢり、ゑい声を出(いだ)して一庭(ひとには)を走りまはり舞ふ。横座の鬼より初めて、集りゐたる鬼どもあさみ興ず。
横座の鬼の曰(いは)く、「多くの年比(としごろ)この遊びをしつれども、いまだかかる者にこそあはざりつれ。今よりこの翁、かやうの御遊びに必ず参れ」といふ。翁申すやう、「沙汰(さた)に及び候(さぶら)はず、参り候ふべし。この度(たび)にはかにて納(をさ)めの手も忘れ候ひにたり。かやうに御覧にかはひ候はば、静かにつかうまつり候はん」といふ。横座の鬼、「いみじく申したり。必ず参るべきなり」といふ。
奥の座の三番にゐたる鬼、「この翁はかくは申し候へども、参らぬ事も候はんずらんと覚え候ふに、質(しち)をや取らるべく候ふらん」といふ。横座の鬼、「然(しか)るべし、然るべし」といふて、「何をか取るべき」と、おのおの言ひ沙汰(さた)するに、横座の鬼の言ふやう、「かの翁が面(つら)にある瘤(こぶ)をや取るべき。瘤は福の物なれば、それをや惜(を)しみ思ふらん」といふに、翁がいふやう、「ただ目鼻を召すとも、この瘤は許し給ひ候はん。年比(としごろ)持ちて候ふ物を故(ゆゑ)なく召されん、すぢなき事に候ひなん」といへば、横座の鬼、「かう惜しみ申すものなり。ただそれを取るべし」といへば、鬼寄りて、「さは取るぞ」とてねぢて引くに、大方(おほかた)痛き事なし。さて、「必ずこの度(たび)の御遊びに参るべし」とて、暁に鳥など鳴きぬれば、鬼ども帰りぬ。翁顔を探るに、年比(としごろ)ありし瘤跡なく、かい拭(のご)ひたるやうにつやつやなかりければ、木こらん事も忘れて家に帰りぬ。妻の姥(うば)、「こはいかなりつる事ぞ」と問へば、しかじかと語る。「あさましきことかな」といふ。
隣にある翁、左の顔に大きなる瘤ありけるが、この翁、瘤の失(う)せたるを見て、「こはいかにして瘤は失せ給ひたるぞ。いづこなる医師(くすし)の取り申したるぞ。我に伝へ給へ。この瘤取らん」といひければ、「これは医師の取りたるにもあらず、しかじかの事ありて、鬼の取りたるなり」といひければ、「我(われ)その定(ぢやう)にして取らん」とて、事の次第をこまかに問ひければ、教へつ。この翁いふままにして、その木のうつほに入りて待ちければ、まことに聞くやうにして、鬼ども出(い)で来(き)たり。
ゐまはりて酒飲み遊びて、「いづら、翁は参りたるか」といひければ、この翁恐ろしと思ひながら揺(ゆる)ぎ出(い)でたれば、鬼ども、「ここに翁参りて候(さぶら)ふ」と申せば、横座の鬼、「こち参れ、とく舞へ」といへば、さきの翁よりは天骨(てんこつ)もなく、おろおろ奏(かな)でたりければ、横座の鬼、「この度(たび)はわろく舞うたり。かへすがへすわろし。その取りたりし質の瘤返し賜(た)べ」といひければ、末(すゑ)つ方(かた)より鬼出で来て、「質の瘤返し賜(た)ぶぞ」とて、今方々(かたかた)の顔に投げつけたりければ、うらうへに瘤つきたる翁に翁にこそなりたりけれ。物(もの)羨(うらや)みはすまじき事なりとか。
現代語訳
これも今は昔、右の頬に大きな瘤のある翁(おきな)がいた。大型のみかんほどの大きさである。そのため他人と交わることができずに、薪を採って暮らしを立てていたが、ある日、山へ仕事に入った。雨風がひどくて帰るに帰れず、しかたなく山の中に泊まることになった。ほかには一人の木こりもいなかった。その恐ろしさといったら紛らしようもない。木の洞穴(ほらあな)のあった所にかがんで入って、まんじりともせずこごんでいると、遠くから大勢の人の話し声がして、どやどや近づいてくる足音がする。
まことに山の中にたった一人でいたところに、人のやってくる気配がしたので、少しほっとした気持ちになって、外の方をのぞいてみると、およそ種々さまざまな連中が、赤い色の体には青い物を着、黒い色の体には赤い物をふんどしに締めて、いやはや目一つある者もあり、口のない者など、何とも言いようのない異形(いぎよう)の者どもが、百人ばかり所狭しと集まって、火を日輪のように真っ赤にともして、自分のいる洞穴の木の前に、ぐるりと輪になって座った。まるで生きた心地もない。
首領と思われる鬼は上座に座っている。左右に二列に居並んだ鬼は、数知れぬほど。その姿はどれもこれも言葉では言い尽くしがたい。酒を勧めて遊ぶありさまは、この世の人間そのままである。たびたび盃が交(かわ)されて、首領の鬼はしたたかに酔った様子である。末座から若い鬼が一人立ち上がって、折敷(おしき)<四角い盆>を頭にのせて、何と言うのか、くどくように節(ふし)のある調子で言って、上座の鬼の前にゆらゆらと歩み出て、くどき続けているようだ。上座の鬼が盆を左の手に持って笑い崩れている様子は、まるでこの世の人間そのままである。若い鬼は舞い終わって退いた。次々と下座の方から順に出て舞う。下手(へた)に舞うのもいれば上手(じようず)に舞うのもいる。
驚いて見ているうちに、上座に座っている鬼が、「今夜のこの酒盛りは、いつもよりおもしろい。ただ、このうえはいかにも珍しい芸を見たいものじゃ」などと言った時に、この翁は、何かの霊がとり憑いたためか、それともそのように神仏が思わせなさったのか、「ああ、走り出て舞いたい」と思う気持ちを、とにかく一度は思い返した。それでも、鬼どもがはやしたてる拍子が調子よく聞こえたので、「えい、ままよ、ただ走り出て舞うてやろう。死ぬならそれまでのことさ」と心に決めて、木の洞穴から、烏帽子を鼻までたれかけた翁が、腰に斧(よき)という木を伐(き)る物をさして、上座の鬼の面前に飛び出した。
この鬼どもはびっくりして立ち上がり、「これは何だ」と騒ぎ合った。翁は伸び上がったり、かがんだり、ありったけの舞の手を尽くし、体をひねり、くねらせ、「えい」と掛け声を張りあげて、その場所いっぱいに走り回って舞った。上座の鬼をはじめとして、集まっていた鬼どもは、びっくりしておもしろがった。
上座の鬼が、「長年の間、この歌舞の遊びをしてきたが、まだ、このような者には出会ったことがない。今からは翁よ、こういう遊宴の席にはきっとまいれ」と言う。翁は、「仰せにも及びません。まいりましょう。このたびは突然のことで、舞い納めの手も忘れてしまいました。このようにお目にかないますならば、次はじっくりと舞って御覧にいれましょう」と言う。上座の鬼は「よくぞ申した。必ずまいらねばならぬぞ」と言う。
、
すると奥の座の三番目にいた鬼が、「この翁はこうは申しますが、まいらぬこともあるかもしれないと思われますので、質草をお取り置きになるべきでしょう」と言う。上座の鬼は、「もっともじゃ、もっともじゃ」と言って、「何を取ったらよかろうか」とおのおのの考えを言い合う時に、上座の鬼が、「あの翁の顔にある瘤(こぶ)を取るのがよくはないか。瘤は福の物だから、それを惜しむに違いない」と言うと、翁が、「ただ目や鼻をお取りなされようとも、この瘤だけはお許しいただきとうございます。長年持っておりますものを、いわれもなくお召し上げになるのは、むちゃというものでございましょう」と言うと、上座の鬼が、「こんなに惜しがっているのだ。ただそれを取るがよい」と言う。鬼が寄って「では取るぞ」と言って、ねじって引いたが、少しも痛くはなかった。「きっとこの次の遊宴んもまいれよ」と念を押して、暁になり、鳥などが鳴き始めたので、鬼どもは帰っていった。翁は顔を探ってみると、長年あった瘤が跡形なく拭い去ったように、すっかりなくなっていたので、木を伐ることも忘れて家に帰った。妻の老婆が、「これはどうしたことです」と尋ねたので、これこれしかじかのことと語る。老婆は、「なんとまあ、驚いたこと」と言う。
隣に住む翁は左の頬(ほお)に大きな瘤があったが、この翁の瘤がなくなったのをのを見て、「これはどんなふうにして瘤をなくされたのか、どこにいる医者が取ってくれたのか。私にも教えてください。この瘤を取りたい」と言ったので、「これは医者が取ったのではない。これこれのことがあって、鬼が取ったのだ」と言うと、7「自分もそのようにして取りたい」と言って、事の次第を細かに尋ねたので、教えた。隣の翁は教えられたとおりにして、その木の洞穴に入って待っていると、本当に話に聞いたように鬼どもがやって来た。
ぐるりと車座に座って、酒を飲み、歌舞をして、「どこだ、翁は来ているか」と言ったので、この翁は恐ろしいと思いながら、体を震わせながら出て行った。鬼どもが、「ここに翁がまいっております」と申し上げると、上座の鬼が、「こちらへまいれ、早く舞え」と言うので、前の翁よりは不器用で、おぼつかない感じに舞ったところ、上座の鬼は、「このたびは下手に舞ったな。どう見てもよくない。そのとっておいた質の瘤を返してやれ」と言った。そこで末座の方から鬼が出てきて、「質の瘤を返してやるぞ」と言って、もう片方の頬に投げつけたので、左右両方に瘤のある翁になってしまった。だから、物うらやみはしてはならないというわけ。
語句
■柑子-こうじみかん。今のみかんより小さく酸味が強い。■及ばず-できない。■世を過ぐる-生活をたてる。■はしたなし-激しい。■うつほ-(岩や木の)中が空洞になっている所。ほら穴。■ありけるに-「ける」が過去の助動詞の連体形であり、「ありける」つまり「あった」の下に「場所」とか「所」といった位置を示す語が省略されていると見る。■目も合はず-一睡もしないで。眠れないままに。■とどめく-がやがやと騒ぐ。■少しいき出(い)づる心地して-恐怖感から少し解放されて、ほっと一心地のついたさま。■やうやうさまざまなる者ども-種々様々な姿・形をした者ども。後代のいわゆる赤鬼・青鬼のような姿の鬼だけでなく、百鬼夜行と呼ばれた多様な怪物ども。■褌(たふさぎ)-さるまた・褌の類。■かき-「掻き」で締めるの意。■天の目-日輪・太陽のこと。■いとどもの覚えず-まったくわけがわからない。■宗(むね)-主要な者。中心人物。首領。■横座-正面の座席。上座。■うらうへに二並びに-「うらうへ」は裏と表。ここは、「左右」二列に向かい合って。■ゐ並みたる-並んで座っている。■おのおの言ひ尽くしがたし-どれも言葉では言い尽くしにくい。■酒参らせ-酒をさしあげ。■する定なり-するとうりである。「定」は、連体語を受けて、「・・・とうりである」の意。■土器(かはらけ)-素焼きの土器。ここでは、盃のやり取りを指す。■宗との鬼-首領にあたる鬼。■ことのほかに-格別に。■折敷(をしき)-縁の付いた四角い盆■何と言ふにか-何を言っているのか。■くどきくせせることを言ひて-くどくどと同じことを繰り返しながら、べらべらと勝手にしゃべりまくる様子。「くどく」はくどくどと。「くせせる」は、早口に述べる事か。■練り出でて-ゆっくりと歩み出て。■くどくめり-くどくどと述べ立てるようである。■笑みこだる-笑い転げる事。「こだる」は倒れかかること。■ただ-ひとえに。■舞ひて入りぬ。-舞って退いた。■次第に下より-順を追って下座から。■あしく、よく舞ふもあり-下手に舞うのもいれば、上手に舞うのもいる。■あさましと-あきれたことだと。■言ふやう-言うには。■いつにもすぐれたれ-いつもより勝っている。■さも-いかにも。■奏(かな)で-楽を奏して舞いを舞うこと。ここでは舞そのものを指す。「奏づ」の連用形の名詞化。■見ばや-見たいものだ。■ものの憑きたるけるにや-何かの霊が乗り移ったのだろうか。■しかるべく-そのように。■あはれ-ああ。■舞はばや-舞いたい。■それに-それでも。■うちあげたる拍子の-手や物をたたいて歌いはやす様子が。■よげに-よさそうに。■さもあれ-ええままよ、ひとつやってみよう。「さもあらばあれ」と同意。何かを思い切ってする時にいう言葉。■舞ひてん-舞ってやろう。■死なばさてありなんと思ひとりて-死んだら死んだでそれまでのことよと思い定めて。■烏帽子-元服した男のかぶりもの。古くは、黒の紗(しゃ)または帛(はく)で作ったが、後には紙で作って、黒の漆で塗り固めた。平安中期からは、貴人は平服だけに用いたが、無官の者は晴れの時にもかぶった。■斧(よき)-斧の小さなもの。手斧。木を伐る道具。■踊り出でたり-飛び出した。■踊りあがりて-飛び上がって。■こは何ぞ-これは何だ。■舞ふべき限り-舞えるだけ。■すぢりもぢり-さまざまに身をよじらせること。■えい声-「えい」という掛け声。■一庭-庭全体。庭じゅう。■あさみ興ず-驚きあきれて面白がる。■言はく-言うには。■多くの年頃比-長い年月にわたって。■かかる-このような。■つれ-完了の助動詞「つ」の已然形。■かやうの-このような。■御遊びにかならず参れ-自分の遊宴に「御」という尊敬の語を用いるとともに、相手に「参れ」という謙譲の語を用いるのは、話者が絶対の地位にあることを示す。いわゆる絶対敬語の一つの例にあたる。■沙汰に及び候はず-仰せには及びません。「沙汰」は指令・命令。ここでは、「参れ」という指図。■にはかにて-急なことで。■候はんずらんと覚え候ふに-あるかもしれませんと思われますので。■質-約束の保証として預かる物品。■取らるべく候ふらん-お取りになるのがよいでしょうか。■しかるべし-もっともだ。■取るべき-取ったらよいだろうか。■沙汰するに-相談していると。■瘤は福の物-当時の俗信と思われる。■許し給ひ候はん-お許しいただきとうございます。■年比-長年。■故なく召されん-理由もなくお取りになるのは。■すぢなきことに候ひなん-筋の通らないむちゃくちゃなこと。「術(すぢ)なき事」と読み、途方に暮れてしまう(ほどに悲しい事)、と解する説もある。■さは-それでは。■ねぢて-ねじって。■おほかた-まったく。■たびの-次の。■暁-夜半過ぎから夜明け近くまでをいう。夜の明ける前のまだ暗い時分。鳥が鳴くことによって、夜が明けるのを知ると、鬼はこの世に留まる事が出来ない。■かい拭(のご)ひたるやうに-拭い去ったように。「かい」は接頭語で、「かき」の音便。「のごふ」は、「ぬぐふ」と同じ意。■つやつや-少しも。下に否定の言葉を伴って、いささかも、少しもの意。■木こらんこと-木をきること。■その定にして-そのとおりにして。前の翁のしたようにして。■ゐまはりて-輪になって座って。■天骨-生まれつきの才能。器用さ。■おろおろ-不完全に。不十分に。■うらうへに-両方の頬に。